リクエスト短編集

□掘られ(かけ)る話
1ページ/2ページ

その日は、全ての事が上手く行った。
朝はシャロンといつもより長く会話が成立したし、昼間は久々に大好きな母親と直接会うことが出来た。
そして、最も大きな成果は、今夜はこちらに遊びに来たいというトアの申し出を、珍しくも却下した己の英断だった。
母親や兄弟についてじっくり聞かせて欲しいらしかったが、仕事が少しばかり残っていたためまた今度と言い聞かせた。
去り際トアはやや寂しそうにしていたものの、それを察してか察せずしてか、アルハインがまだ少し残ると宣言したので、今頃は宿でぬるい仲の良さを発揮していることだろう。
間違いが万に一つも起こらないとは言えないが、まあ宿の安全装置は万全であるはずなので、何かがあればすぐに察知して飛んでいけることだろう。
自分の身の安全が、保障されていればの話だが。


「今晩は! 早速ですが本日急にムラムラと来てしまったのでホーティちゃんの息子君で私の息子を一時的に慰めてみようかと馳せ参じてみました!」

何故か、それが在った。
このような悪趣味なオブジェを自室に備え付けた覚えは無いので、沸いたという表現が正しいかもしれない。
自分のベッドに我が物顔で腰掛けて(後で消毒しなければ)、傍らには何やら大きな紙袋を置いている。袋の口はきちんと折り畳まれ、中身は確認できなかった。
漠然とした嫌な予感に、手に汗握り身構えるワイザーだった。

「…………帰れ」

有り余る殺意憤り未知の恐怖、それら全てを一言に凝縮してみるが、放った先の忌むべき灰色は、さらりと受け止め満足げに微笑むばかり。

「おやおや息子君噂に違わぬツンデレですね。そういう所はやはり昔とちっとも変らない」
「貴様とは、これまでろくに出くわせていないと思うのだが……」
「ああそういえばそうでしたねえ。私肉体関係や愛の絡まない過去は中々記憶に残らないタチでしてうふふふふふふふふふ」

いつも以上に一片の曇りもない爽やかな、だからこそ胡散臭い独特の笑みを浮かべ、大仰に手を広げて意味不明の言葉を連射するそれ。
言葉尻が何か、こわい。
お馴染の──と言うほど面識は無いのだが、母親その他から、命の危険すらあるため決して二人きりになってはならないと教えられてきた要注意人物である。
名前は失念したが、全体的に灰色で、とてもじゃないが明るい日の元と純朴なトアなどの前に出せないような反道徳的反社会的言動。
他にこんな人物が複数いるとも思えないので、見分ける分には何ら問題は無い。
強いて問題点を挙げるとするのなら、今現在立ちはだかる己の貞操の危機だ。大きい。大きすぎて目眩がする。

「まあまあ使用箇所の拡張とか痔とか性病とか色々リスクはありますがまあそれも男女の性交渉と何ら変わりのないリスクですし」

こちらがろくに言葉を発しないのを良い事に、灰色は何かしらを語り出す。
常に上がり調子な独特の早口のために、ろくに内容は聞き取れない。脳が理解を拒んでいるだけかもしれない。
とりあえず退路を探す。直接宿に戻ることも考えたが、これが追いかけて来ないとも言えずすっぱりと諦める。
可愛い妹とこの汚物とが顔を合わせて言葉を交わすようなおぞましい事態など、あってはならないことである。

「初めてでしょうし優しく時間を掛けてじっくり馴らして差し上げ」
「急用を思い出したので失礼する!」

遮るどころか発言を完全に意識の外に追いやって、後ずさる。
その際決して背を向けたりはしない。ある意味これがせめてもの、しかし効果的な防衛であった。
このまま逃げてパラケスス辺りにまた助けて頂こう。
情けない話だが、自分一人でこれに立ち向かうなど無謀でしかない。そう決意してじりじりと距離を開けていくのだが。

「ああご心配には及びません! もし万が一あそこが緩んでしまったとしても大丈夫!」

しかし何故かすぐ背後から聞こえてしまう声。
気付けば目の前から灰色が消え失せ、自身の首筋に生ぬるい息と軟体動物門腹足網的ぬめりと不快感が這い、数拍遅れてああ五本の指が触れているのかと察知し、さてではもう片方の手は一体何処にあるのかと言えば。

「っっっぎゃああああああああぁあぁぁぁあああああああああああぁぁぁああああああ?!!」
「回復魔法をしゃららんっ☆と掛けてやれば使用前の状態に治して差し上げることだって出来るんですよ! いやあ万能ですねえ魔法万歳! 私本当に魔王やってて良かったと思います!」
「聞きたくない何も喋るなその手を離せえええええええ!!」
「分かりました」
「分かった、のか……?」
「筆下ろしもこの際ちゃっちゃとやっちゃいましょうか。胸を借りる気でついでに穴まで借りてしまえばいいと思いますよ! 因みにこの通り道具も事細かなプレイに対応できるよう出来るだけ持って来ましたので何も心配はありません! まずこちらは直腸洗浄」
「母上えええええええええええ?!!」

汚れる自分をお許し下さいとばかりに叫び。

「しね」

簡素な言葉が小さく届いたかと思えば、憑き物がべりっと剥がれ落ちたのを感じた。
それと同時に気が抜けて床に手を付き倒れてしまうが、心はこの上もなく踊っていた。心臓も高速で踊り狂っていたが。
もしや祈りが届いて母親が助けに駆けつけてくれたのかと、歓喜の涙すら浮かぶ中ぱっと振り返ると。


「なにやってるのかなあ。なにやってるのかなあ。なにを、やっているのかなあ」

人形のように可愛らしい女児が、灰色のマウントを取って、天使の笑顔で代わる代わるその鳩尾に、その小さな拳を叩き込んでいた。

「だっ……っってだって私が誠心誠意口説いているのにクーちゃんが全然構ってくれないから」
「おなじみの『つん』だよ。わかれよ。いいかげんそういう『きゃら』だって、りかいしろよ。それを『でれ』させるのが、しゅーちゃんのしごとでしょう。それなのに、なんで、おしごとほうきして、おとこにはしっているのかなあ。ねえ、ねえ。どうしてかなあ」
「うわあいクーちゃん久々にマジギレですかでもそんな本性と言うか『ツン』を見せるのは私だけかと思うとますますもう可愛くなって滾っていつもより少し割り増しで大きぐばぐぅっぶっふあぁっっ」

結局あらん限りの力を込めた一発で、灰色を黙らせる女児だった。
言葉を失うワイザーに気付いたのか、ぱっとそのままの笑顔で振り返る。

「まにあった?」
「……はい。助けて頂き、その……有難うございます」

今だ握られたままの拳に視線を捕われながらも、ワイザーは硬く答える。
しかし女児は気にすることもなく灰色の上からひょいと飛び降りると、既に動かなくなったその首根っこを軽く掴む。
彼女の正体に対する疑問や、その無造作かつにこやかな動作に空恐ろしいもの諸々を覚えるワイザーではあったが、母親と似て小さくてしっかりした微笑ましい生き物なのだと無理やりに納得してしまうが吉であった。

「それじゃあごめんなさいでした!」
「は、はあ」
「きっといいことあるから、げんきだしてね! ばいばい!」

そのままワイザーが対応に困っていると、女児は灰色を引致し姿を消した。
しばし床に座り込んだまま固まり警戒を続けるも、どうやら本当に帰ってくれたようで、恐ろしい気配はもうどこにも感じられない。
ふう、と命を繋ぎ止めた喜びを、静かに吐き出してみる。
二度三度と噛み締めていくうちに、心も大分落ち着きを取り戻すことができていた。ただ仕事をする気力は当然のことながら、当分回復しそうにない。
とりあえず、これから宿に戻ってトアに慰めて貰うことにしよう。
そう決意して、腰を上げかけたその時。


「おや、自己解決なさったのでしょうか」
「っっシャロン殿?!」

今度も突然の声だった。
驚き顔を上げると、まさかのシャロンが目の前に立っている。
彼女は手には大ぶりの剣を携え、周囲を油断なく見回していた。
しかし、どこにも敵が隠れていないと悟ったのか、すぐに剣を下ろして警戒を解く。
そして彼女にしては珍しく、憐れみを湛えた瞳でワイザーを見下ろした。
思わずワイザーは立ち上がることも忘れて、その深紅の瞳に見入ってしまう。

「叫び声が聞こえましたので、どうせ『あれ』だろと当たりを付け、暇潰しがてら退治に来たのですが」
「あ、ああ……ご丁寧にありがとうございます」
「いえいえ。ワイザー殿も災難でしたね」

そして、ふっと、微かに笑うシャロン。
今までに見たこともないような穏やかな笑みに、ワイザーはますます目が離せなくなってしまう。それは聖母にも似た慈悲深いもので、母親のような安心感を抱かせる。
いっそもう先程の灰色に感謝してしまう程には、彼の心は今日一番の舞い上がりを見せていた。


「えー……その、ワイザー殿」

そんな中、シャロンが何やら言い辛そうに口を開く。
この上更に何かが起こりそうな予感に、ワイザーは床に座ったまま、背筋を伸ばしてその時に備える。

「は、はい。何でしょうか」

若干目を逸らしながら、シャロン。

「例え童貞だからといって、何も気になさることはないと……私は思いますので」



その後どのようにして彼女との会話を打ち切り、いつ宿に戻ってトアに泣き付いたのか、記憶にない。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ