短編その二

□黒色魔王と捨てた色
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赤茶けた大地。燃える空。蔓延る血汐。
見渡す限りの地表には足の踏み場もないほどに、数多の死骸が転がり朽ちていた。
鎧を纏う人の、翼をもがれた魔物の、針山と化した巨竜の、種族生まれ敵味方あらゆる区別なく命を絶たれた者たちが、嘆くこともなく眠っていた。
辺りは死の静寂に包まれている。
日も落ちかけ陰る死の世界。
ほんの少し前まで轟いていた戦場も残滓すら感じられない。

屍肉を啄むはずの禿鷹すら、その一種荘厳とも言える墓場に一羽たりとも舞い降りない。
開けた場所であり、空は高く、どこを向いても地平線がすっと真一文字に引かれている。
そうだというのにただただ肉と血が、死臭が、海のように広がるばかりでどこにも流れず留まり、淀んでいた。
死にまみれた地獄の世界。
そんな中、生きているものはただ二つ。

「君が最後ですね」
「お前が最後じゃな」

一つは男。巨大な鎌を持った、長い黒髪、黒ずくめの青年。
一つは翁。杖をつき、黒のローブを身にまとう白髪の老人。
両者等しく血で汚れ、満身創痍も過言ではない有様だが、にまりと交わしたその笑みはどちらもぎらぎらと生気に満ちていた。

「さてと」

老翁は深緑の瞳を細め、おもむろに片手を上げる。
それに呼応するようにして男の足元に闇が生まれ、「去ね」とその手を握る老翁。
途端に闇から生じた巨大な顎に男は頭の先まで飲み込まれる。
闇の顎は鳴動し、辺りに響く咀嚼の音。
それを老翁は冷ややかな目で見つめていた。
疎ましげに片手を下ろし、ため息混じりに今度は杖でとんと地を叩く。

「まったく……つまらん戦争じゃのう」

老翁がぼやく。
瞬間、闇の顎が白の光を漏らし膨らみ爆ぜた。
爆風と渦巻く炎が辺りの死骸を諸共吹き飛ばし、焼き尽くした。
老翁はその白髪をわずかに焦がすこともなく涼しい顔である。
その眼前に煌めく切っ先が迫ろうと、杖を少し掲げて阻むその程度。眉をひそめすらしなかった。
老翁に切りかかったその男は、漆黒の髪をたなびかせながら穏やかな微笑を浮かべている。
どちらも引かず、どちらも押し切らず。
彼らの均衡は爆風が去り再び静寂が訪れてもなお保たれたままだった。
静かに睨み合ったまま、先に口を開いたのは老翁の方だった。

「のう、儂らはいつまでこんな無為な争いを続けねばならんのだ?」
「誰のせいですか」

それに男は笑みを歪めて返すのだ。

「君が私の邪魔をしていなければもっと早くに人間を駆逐できていたはずなのに。ただただシャボン玉が割れるようにあっけなく。何も残さず。徹底的に」
「ふぉっふぉっ……そう言ってもらえて何よりじゃ」

老翁は愉快げに杖を振りきった。
男は弾き飛ばされ、しかし間髪入れず老翁の頭めがけてまたも鎌を振り下ろした。
老翁はたん、と地を蹴りそれを避ける。
飽きず迫る男。逃げながらも飄々と老翁は語り続けた。

「お前が神として、一度は創り上げ育み見守った人という種族。それを今度は魔王として刈り取ろうと言う。かつての忠臣としては、阻む他あるまいて」
「ですが君も知っているはずでしょう!」

男が声を荒げて鎌を振るう。
ますます単調となる太刀筋を、老翁は欠伸まじりに杖で弾く。
かん、かん、と澄んだ音が空高くこだました。
その音が響くたび、次第に男の顔から笑みが消え、ついには泣き出さんばかりの悲痛な色ばかりが浮かび始める。
男は涙を堪えながら、あらん思いをぶつけんがために鎌を振るう。叫ぶ。人を滅ぼすそのために。

「人間があの子に何をしたか! あの子がどれだけ苦しんだか! あの子がどれだけ生きることを望んでいたか! あの子の短くも小さな命を踏み躙り摘み取り焼き尽くした人間が明日を続いていい道理などあるはずがない!!」
「結果的にそうなったのだとしても……!」

その想いを、太刀を、老翁は一喝と共に薙ぎ捨てた。
無様に転がる男を見下ろし、老翁は吐き捨てるように言ってのける。

「儂らとてその加害者の一端だろう」
「だから……だからこそ!!」
「なあ。神としても、魔王としても半端なお前。お前の友として、従者として、宿敵として……これだけは言わせもらおうか」

地に伏せくぐもった嗚咽を漏らす男に、老翁は杖を突き付け。

「お前は自分の敷いた運命に負けたんじゃよ、シュライク」

憐れみと共に光弾を放った。




「う……わあ」
「おはよ」

目覚めれば、愛しい彼女の膝枕であった。
背中も首筋も、ひどい寝汗でぐっしょりと濡れている。
視界はぐるぐると回っていて起き上がることすら敵わない。
仕方なしにそのまま彼女の膝で横になったまま、顔を覆って呻くばかりであった。
そんな彼の灰色の髪を、彼女は愛おしげにそっと梳き、くしゃくしゃと頭を撫でてやる。

「わるいゆめでもみてたの? すっごくうなされてたけど」
「昔の夢を……少し……」

重いため息をこぼす彼。片手で顔を隠したそのままで、手さぐり彼女の頬を撫でる。

「うなされていると分かっていたら起こして下さいよクーちゃん」
「えー」
「そんな義理はないとか言わないで下さいね? 私達は恋人で夫婦で愛し合っていて」
「うん。だからねしゅーちゃんのくるしむかおがかわいくってー」

ずっとみていたかったの、と愛しい彼女は悪びれもせず快活な笑い声を上げた。
それなら仕方がありませんね、と彼はすんなりと納得し微笑んだ。

彼は指の隙間から、そっと彼女の顔を窺った。
屈託のない、張り付いたような美しい笑みがそこにある。
いっそ作り物めいた美しさ。
それが偽物だと分かっているからこそ、彼はその微笑みを心行くまで愛することができている。

彼は目を閉じ、過去を振り返る。
あれから少しして結局自分は力を捨てて故郷を飛び出し、挙句こんなところに辿り着いた。
気の遠くなるような果てしなく長い時を経てもなお、あれらの過去は一向に離れてくれそうな気配がない。だが彼は。

(忘れることは許されない……)

愛してしまったせいで潰えてしまった短いあの命を、彼は生が続く限り、抱えていかねばならない。
それは贖罪であり、また彼が無為に生を繋ぐ理由でもあった。

「クーちゃん」

かつて愛してしまった少女に似ても似つかず、寂しがりやで我儘で弱く儚い、愛しい恋人の名を読んでみる。
彼女は彼の顔を覆った手を取り、無理やりに彼の眼を開かせる。
逃げるなよ、と言いたげな笑顔で覗きこむ彼女に、彼は微笑み言うのである。

「ねえクーちゃん……もし私が君と出会えたことが運命だったなんて言ったら」
「おこる」

ぴしゃり、と崩さぬ笑みで彼女は言う。

「うんめいなんて、くーがいくらでもかえられる。そんなちんけな、くっだらないものと、しゅーちゃんとのであいを、いっしょにしないで」
「ですよねえ」
「あやまりなさい」
「はいクーちゃんごめんなさい」
「よろしい」

満足げにそう言って、彼女は褒美とばかりに彼の額にそっと口付けを落としてくれた。
触れるだけの、じゃれ付くような、遊びのようなその所作に、彼は僅かに笑みを歪ませる。
それでも彼は逃げることなく彼女を見つめ。

「じゃあ運命じゃなくて必然でも絶対でもなくて」
「うん?」
「クーちゃんは自分の意思で何処にも……君だけは私を置いて何処にも行かないで下さいね」
「いかないよ」
「……はい」

行くところなんてないんだから、という言葉にようやく涙した。



(書くつもりのない灰色過去ネタ)

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