短編その二

□パラケスス夫妻のV.D
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神は世界を、大地を、海を、空を創生なされた。
そうして生き物を創り上げるその時になってから、少し迷ってまずは一人のエルフを生み出した。
そのエルフは神のよき友人として、創世の、治世の手助けを行った。
神がどこぞに消えた後人を滅ぼさんと興った魔王に対抗し、彼は仮の神として人を率いた。
しかし彼は魔王の消えたその後しばらく、歴史上から姿を消す。
再び世に現れた時、彼は神としてではなく、今度は魔王の忠臣として在った。


この世に彼、パラケススを知らぬ者は、恐らくどこにもいないだろう。
創生神の唯一の友。
最古のエルフ。
知の大賢者。
最上最悪の裏切り者。
彼を示す二つ名は、時を経るごとに増すばかり。
神話をまとめた書物であれば少なくとも十行目から彼の名が現れるし、その活躍はただでさえ史学、地誌学、錬金術……あらゆる学問において幅を利かせてあまりある。子どもは寝物語に彼の名を覚えてしまう。
なので、魔王城を目指す者の中には、魔王討伐を夢見る冒険者だけでなく、学者などもが含まれる。彼と言葉を交わすことは、学問を修めんとするものにとって至高の喜びなのである。
またそうした憧れを抱くのは、なにも人間だけに限られたことではない。魔物の中にも彼と言葉を交わしたい、彼の元で学びたい、彼の手助けをしたい。そう希望するものが後を絶たなかった。
しかし彼は息子の一人だけを側に置き、あらゆるそうした要望を突っぱねてきた。
はるばる訪れる人間の学者に至っても、言葉を交わすどころか問答無用で叩きのめし、興味のかけらも示さない。
かと言って彼は気難しいわけでもない。
親しい者にはとことん甘くて面倒見がよく、時にはしっかりと道を示して叱咤激励したりもする。
人生相談から恋の悩みまで。例え事例が世紀の難局であったとしても、彼の知の前においては子どものおつかいレベルになり下がる。
彼に解けない問題はないのである。たった一つを除いては。



時を刻む時計を睨む。
窓の外に広がる、青空を見据える。
しん、と続く静寂に耳をすませる。

彼、パラケススはじっと時を耐えていた。
魔王城の最上階。魔王とその直属の配下、三柱が棲まう階層に、ひっそりとある彼の個室。
本棚からは書物があふれ、床に大きな山をいくつもいくつも作っている。その他怪しげな魔法陣が雑多に描かれ、足の踏み場もない。ずらっと並ぶ棚に詰められているものは、乾燥植物、鉱物、何かの動物の目玉などなど。魔窟といっても相違ない内装……かと思えば机には白い花が咲く小さな鉢がいくつか並んでいて、きれいにラッピングされたプレゼントらしきものが置かれていたりして、妙な生活感であふれていた。
そんな部屋の中で、パラケススは何者かを待っていた。
肘掛椅子に腰かけて、組んだ手で口元を隠しつつ、神妙な面持ちで背を丸めてあるその姿。
それはいつもの老翁然とした姿ではなく、彼が大昔、本当のほんとうの大昔にそう在った、若かりし頃の姿であった。
椅子に収まっていても分かる長身痩躯。あらゆる年頃の女性が、全会一致で讃えかねないその美貌。髪こそ真白に染め上げられているものの、濃緑の瞳は生気を失わず、むしろ据わりきり、淀みきったその眼光には魔王すら射竦めかねない力があった。
身に纏うのは王侯貴族もかくやあらんと言うべききらびやかな礼装で、その上に真黒のローブを無造作に羽織っている。
パラケススは動かない。ただただ身じろぐこともできず、その時をひたすら待っていた。
時刻は正午をすぎた頃合いだ。
本日の来客はいまだゼロである。
彼はしかし来るかどうかも分からない来客を、今日という日が始まったその瞬間から、こうしてじーっと待ち続けていた。
何故か。それは本日という日が、恋人や夫婦にとってかけがえのない特別なものであったからである。
今日は男女でプレゼントを交換しあい、日ごろの感謝と、愛を囁き深めあう日らしいのだ。
女性からはチョコレートやクッキーなどの菓子類を。男性からは花束やら指輪やらブランド物のバッグやら金銀宝石などなどを。
ヒエラルキーの開きが如実に表れる、そんなイベントである。
そのためパラケススは待っていた。
最愛と言っては憚るので、気持ちをひた隠しにしてしまっている、妻の来訪を。

「トリス……」

その名をぽつりと呟いて、頭を抱えて身悶える。
そんなことを彼はひたすら数分置きに繰り返していた。
本日贈り物を交換し合うのは、何も恋人同士に限った話ではない。日ごろお世話になった方々へ、もしくは片思いの相手へ、想いと一緒にプレゼントを贈ったりもする。
だが彼はそうした全てを、事前に断り尽くしていた。
城勤務のメイドたちだけでなく、マリアやトアにもやんわり今年は構わないようにと予防線を張っておいて、そうして妻を迎え入れる準備は万端だった。
少し前まで、妻は深い山奥にたった一人で隠れ暮らしていた。実子やその他エルフたちが時折訪れる以外、あまり外の世界に接することはなく、浮世離れを保ち続けていた。
それがほんの数ヶ月前から、この魔王城から最も近い人間の街、アイルズベリィで部屋を借り、悠々自適に遊び暮らしているのである。
なので今年こそは。今年こそは彼女も今日という日の意味するところを知り、自分に会いに来てくれるのではないか。

「うぅう…………」

しかし長針があと十一回半回ってしまえば、今日という日が終わってしまう。半日というのは長いようでいて短い。このまま妻が現れなければどうしよう。彼は悩む。身悶える。
時間を操る大魔術を使うことはできない。
その気になれば彼は世界、時間、生き物すべてを止めるもまき戻すも意のままだ。だがそれをすると、この世の魔王たるアルハインにだけはどうしても勘付かれてしまうだろう。

(あいつにだけは……今のあいつにだけは同情されてたまるかってーの!)

日頃実の息子のように、いや、それ以上に可愛がっている魔王のことを、彼は今日ばかりは顔を見かけた瞬間に嬲り殺す気満々でいた。
何故か。自分にはない幸せを、手一杯に抱えているからだ。
アルハインは本日、トアを連れてぶらりとどこか遠くの国に遊びに行った。
日頃の労をねぎらってやるなどともっともらしいことをほざいてはいたが、顔見知りが確実にいない場所で色々よろしくやることくらいは目に見えていた。
ただしさすがにまだ最後の一線を越える勇気はないようで、夜景を眺めてから帰ってくるらしい。
ワイザーは宿の留守番を任されて、シャロンのためにとつまみを作り続けている。
マリアは異世界にいる標的に押しかけ女房中。
灰色い悪友は……確かめるまでもなく嫁と通常運転していることだろう。
彼を取り残し、周囲は皆幸せに肩までゆっくり浸かっている。彼だけが水風呂に頭までざぶんと沈んでいた。
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