短編その二

□風営法的ビフォーアフター
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「改装よ!」

ばんっ、と雑多なパンフレットをテーブルの上に叩きつけ、トアは声高に宣言した。

「はあ」

それに気のない相槌を打つアルハイン。
彼は白百合を思わせるしなやかな指でもって、手元のクッキーを一つ摘まむ。
そして目の前に座る、愛しい恋人の口に有無を言わさず放り込んだ。
トアは何の抵抗もなく口を閉じ、もぐもぐごくりと味わってから飲みこんだ。
恋人同士の戯れというよりも、単なる餌付けに近い流れである。
そして小首を傾げながら、目を輝かせて繰り返すのだ。

「この宿、改装していい?」
「なんでまた急に」

慈愛の笑みを浮かべながら、アルハインはトアに優しく問いかける。
その表情にはありありと『また可哀想な子が何かを言い出した……』という愛しさが滲み出ているのだが、昂揚したトアがそれに気付くわけもない。
トアは手を大きく広げ自分なりの高説を論じ始める。

「あのね、私なりに宿場経営のノウハウを掴もうと、色んな観光ガイドを読んで勉強していたの!」
「……ああ、そういえば最近、観光パンフレットを真剣な目で睨んでましたよねトアさん」

顎を撫でて訳知り顔のアルハイン。
あちらこちらに赤ペンで線を引きスクラップまでして熱心に研究しているようだったので、彼としては愛しい恋人とのロマンスとか遠出とか宿泊とか、そういった煩悩すら期待していた。
それが結局これである。
アルハインは僅かに肩を落とすのだが、すぐに気を取り直し微苦笑を浮かべるのだった。
この恋人が自分の思い通り、無償で可愛さや愛嬌などを振りまいてくれるわけがないので。

「ですが、トアさんの調べていた類の宿と……ここはまるで別物だと思うのですが……」

語尾を弱めつつも、アルハインはささやかな抵抗を絞り出す。
トアが持ち出して来ているパンフレットは、色鮮やかなイラストや『窮屈な日常を脱ぎ捨てよう!』やら『大自然の中でほっと一息』……といった大きなロゴが踊っていて、見るからにレジャーやリゾート一直線のそれである。
まかり間違っても、魔王城のほど近く、魔王に挑む戦士たちが束の間の休息を取るというストイックな目的を持つこの宿が、参考にしてはならない分野であると思われた。
非日常かつ枯れた大自然の中であるし、魔王とそれに属する魑魅魍魎がまったりだべる、ある種癒しの空間であるとはいえ。
しかしトアは屈しない。者言いたげなアルハインの手を取って、神妙な面持ちで語りかける。

「確かに、こんな最悪な立地条件で観光経営に励むだなんて馬鹿げてると思うよ……今だって潰れて然るべき赤字具合だし……」
「そりゃまあ、元々利益出すために作ったわけじゃありませんし」
「でもね、設備とサービスを改善することによってリピーターを増やすことはできると思うの! そうすれば収支とんとんになるかもしれないし、アーさんの暇つぶしがてらの挑戦者さんが増えるかもしれないし!」
「暇つぶし……ではなく、我輩の魔王としての威光を更に増すべくという崇高な目的のため」
「そんなわけで! お願いしますオーナー様! 改装にゴー・サインを出して下さい!」

わりとかみ合わない会話を経て、アルハインにびしっと紙きれを突きつけるトアだった。
アルハインはそれをおずおずと受け取り目を通す。
誓約書らしきその書面には、甲乙間の契約がどうたら、甲は乙に対してなんたらの責任を負い、などとくどい文章がびっしりと書き込まれている。
どんな内装になっても経営主は文句を言いません賠償も要求しませんと、概ねそんな内容である。
法的に、完全灰色の臭いがした。
しかし目の前の現実とは相反し、アルハインの心は少しばかり温かくなっていた。
方向性はどうであれ、トアが自分のために考えて行動を起こしてくれている。
それがなんとも胸を打って、浸るべく押し黙るアルハイン。
だがトアはそれを何と取ったのやら。途端にはっと悟ったように慌てだし。

「べっ、別にレイト兄ちゃんが今度南の国で観光客向けのホテルを建てようかなーって思ってるみたいだから、経営アドバイザーとして金一封をもらう契約を交わしたわけじゃないんだからねっ! どうせこの宿で経営失敗した所で私の懐は傷まないし、好き勝手に宿経営の形を実験模索してみようとか、思ってるわけじゃないんだからねっ!!」
「ツン利己!?」

新ジャンルすぎて、ちょっと思考が追いつかないアルハインだった。
しかし気を取り直してか、彼は一つごほんと咳払い。

「まあいいでしょう……現場の意見は吸い上げてこその王ですから。それが職場兼愛の巣ともあればなおさら快適にして然るべし」
「あ、そういうのはいいから。後で文句言われると面倒なんでとにかくサインしてね。拇印はここ。日付は入れてあるから。ほら早く」
「はい……」

どす黒い輝きを放つトアの瞳に射竦められて、アルハインはびくびくと誓約書にサインを刻んだのだった。
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