魔王のおやど

□第十四話
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今日も今日とて、トアは宿の雑務に追われていた。
正規の客など稀とはいえ仕事はいくらでも存在する。
雇い主の魔王に、三食きっちり提供することもトアの立派な仕事だった。
元々服務規程にそのような項目は含まれていなかったのだが、近頃そうした家政婦的仕事も増えてきた。

今日の夕飯はいい豚肉が安く手に入ったので、無難にトンカツの予定である。
台所に立って、衣をつけた豚肉をじゅーっと揚げていくトア。隣に控えるのは魔王・アルハインだ。
黒の外套は風もないのにかすかに揺らめき、はためき、威厳を湛えて主の異質を表している。その主はどこか悲痛げな面持ちで人の頭蓋……ほどもあるキャベツ半玉をざっくざっくと刻んでいた。
泣く子も真顔になって黙り込むシュールな絵だ。
恋仲であるはずの二人の間に会話はない。ただ日常の音だけで満たされている。
しかしそれもアルハインにとっては限界のようである。
一枚二枚とカツを油から上げてたトアに対し、頃合いとばかりにアルハインは勇んで口を開くのだった。

「世界の半分なんてケチ臭いこと言わず……いっそ八割くらいなら賜ってくださいますか!?」
「は?」

真剣にほざく彼のことを、トアはぱちくりと見つめてみる。
何だこの規模の大きな押し売りは、概ねそんなニュアンスの冷えた双眸だった。
はーあと義務のようにため息をこぼすトア。
愛が重かったり、むやみやたらと城の権利書や魔王としての全権委任状を押し付けられそうになったり。
そうした面倒にもそろそろ慣れてきた。なのでぴしゃりと切り捨てるのみだった。

「いりません。十割でも絶対にいりません」

首を振りながら次を揚げ始めたトアに、アルハインはしょんぼりと肩を落とす。しかしそれもすぐになりを潜めて、ぱぁっと明るさを取り戻すのだ。碌でもない逞しさを発揮する魔王である。

「えーっと……じゃあ貨幣経済を掌握してみせましょう!」
「やーめーなーさーい!私が好きなのはお金とお金儲けです!そういう完全ゴール押さえられても困ります!」
「じゃあどうすれば我輩の愛を表現すればいいんですか!? 我輩にはこの美貌と財力と権力を惜しげもなくぶつけることでしか、貴方の愛を繋ぎ止めることなんてできません……!」

そう叫んでぶんっと包丁を持った腕を大きく振るう。瞬間、残っていたキャベツが均等な太さの千切りへと姿を変える。
なら最初からそうしろよ……と無駄な力の出し惜しみに、冷たい目を向けるトア。しかしすぐにさっとカツに視線を戻す。

「自慢なんだか自虐なんだか分からない逆ギレはやめてくれる?あと、油の泡と音で上げるタイミング見てるんだから静かにして」
「我輩の美しい囀りが揚げ物に負けるんですか!?」
「だって今日は奮発して一枚五ルドのお肉だし……はい、千切りが終わったらジャガイモの皮剥きよろしくね。アーさんジャガイモのポタージュ好きでしょ? だから大人しく黙ってて」
「ああもうこういう所帯染みた会話すごくいい……! でも複雑すぎる……!」

ぶわっと壮絶な泣き顔になってから、アルハインはしかし大人しく戸棚を漁るのだった。
トアに料理の手伝いを頻繁にやらされているために、彼は台所のどこに何がしまわれているのか、手に取るように覚えてしまっていた。
程なく銀のピーラーを取り出して、しゃりしゃり……と薄く千切れることなく皮を剥く。

「うう……我輩とは……魔王とは一体……」

拗ねるアルハイン。しゅんと肩を落として皮を剥くその姿が、ずいぶんと様になっていた。

「もう、面倒な魔王さんなんだから」

カツを揚げ終えて、トアはやわく苦笑する。
あからさま、子供を見守る母のような面持ちだったが、それは幾分かの照れもしっかりと含んでいた。
視線をやや逸らしながら彼の隣にちょこんと立ってみる。

「そんな即物的なものより……もっと違うものがいいな」
「はあ……金品や物ではないもの……」

考え込んでみるアルハイン。ややあってジャガイモを掴んだままでぽんと手を打ち。

「あ、我輩の魔力一日レンタルとかどうでしょう」
「くれるんじゃないんだ」
「さ、さすがに下賜するのはちょっと……欲しいと申し上げるのなら考えますが」
「いいよいいよ、いらないから。困るだけだから。本気で。やめて」

慌てるアルハインを、真顔で切り捨てるトアだった。はあ、とため息をつくことも忘れない。

「アーさん、私が今までもらって一番嬉しかったプレゼントって……なんだと思う?」
「え……っと」

顎を撫で宙空を見つめるアルハイン。そして浮かんだらしい回答を、噛み砕くこともなくそのまま吐き出して。

「宿の仕事を頑張ってくれた際の、特別配当とか賞与とかですか?」
「一旦お金から離れてみようかな!?  違うでしょもっとあるでしょ!?  私も大概だと思うけど、アーさんも高確率で空気読んでくれないよね!?  だから!  これとかあるでしょ!!」
「いたっ……って、これは……」

硬くて平たい物で背中を叩かれてアルハインは顔をしかめる。が、彼女の持った凶器、革張りの本を目に止めて、はたと目を点にするのだった。
つい先日、連絡用兼内緒話用にと与えてみた日記帳だった。
たまに夜中や仕事でお互い会えない時、戯れにやり取りを続けていた。
トアから帰ってくるのはいつもいつもそっけない返事ばかりだった。
ツンデレだから仕方ない、と萌えてはいたが、やはり少し寂しくもあったところ。
そんな彼女が今、その日記で自分を殴って、なんだか顔を赤らめてもじもじとしている。
ごくり、とツバを飲み込んでしまうアルハインだった。

「こ、こういう……仲良くなれるようなプレゼントが……いいんだもん」
「トアさん……!」

そこで感極まってアルハインはトアを抱きしめようと。

「はいカーット」

ピクリとそこで固まった。ひどく平坦な声だった。
台所の出入り口におそるおそると目をやるアルハイン。
予定調和とばかりの当然さで、声の主はぐっ、と片手の葡萄酒を瓶ごと煽ってみせる。
無論その整った相貌は冷え切った無表情しか映していない。

「いい流れです我が君。そして女将。真っ当な恋仲の男女のようなやり取りができるようになるとは。今日も今日とてずっと見守っていた甲斐があるというものです」
「それを世の中では窃視と言います!!」

しみじみ頷く彼女、シャロンに絶叫で返すアルハインだった。
しかしトアの方はといえば、あっけらかんとシャロンに笑顔を向ける。

「シャロンさん、お酒足りてますか?  待っててくださいね、今日はお酒に合うようにトンカツにしてみました!  それと枝豆もつけちゃいます!」
「うむ、気遣い傷みいる」

鷹揚に頷くシャロンだった。納得がいかないのは頭を掻き毟るアルハインだけだ。

「何ですかこの良待遇!?  大黒柱か何かなんですかこの酔っ払いは!  トアさん目を覚ましてください!」
「えー……だってー……」
「ははは、これも人徳でございますよ我が君」
「陽も高い内からアルコールを摂取するような魔物に人徳だとか笑わせやがりますよ……!」

ぐしゃり、とジャガイモを握りつぶす魔王であった。

「あ、アーさんちょうど良かった。ジャガイモが数足りないなーって思ってたところなの。潰した一個とあといくつか、お城でもらってきてくれる?」
「あ、では私にも酒のつまみにチーズを少々注文していいでしょうか」
「我輩は居酒屋の店員ではありません!!」
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