魔王のおやど

□第四話
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闇が急に晴れ、気付いた時には見慣れぬどこかに立っていた。
空は今にも泣き出しそうな酷い曇天で、踏みしめる地面も雑草すら生えてはおらず、痩せて荒廃した大地といった表現がぴたりと当てはまる。
そんな物寂しい場所だった。
いや、そんなことよりも風景で最も気になる要素といえば──


「トアさん!」

声に驚きその方向を見れば、到着を待っていたらしいアルハインが、にこやかに駆け寄ってきた。
昨日とはうって変わって貴族と見紛うほど上品な正装に、飾り気のない漆黒の外套を羽織っている。
まあまあ似合っているのだが外套は相当古いものであるらしく、あちこち傷みがあって、裾が少しほつれていた。
切り取ればそのまま名画になる麗しき笑顔を浮かべ、彼はトアの肩を抱き芝居がかった口調で語る。

「我輩自ら一晩で作ったんですよ、心して拝見なさい」

彼が指差すそこには、大きな木造二階建て。なんとなく堅固な印象を与える建造物。
正面玄関には【準備中】の札が掛けられていた。
恐らくこれがアルハインの言う宿屋なのだろう。
よくよく見れば、【INN】と簡素な看板も立っているし。

(でも一晩って)

やはり魔術を使ったんだろうが、それにしても桁外れの能力な気がする。


トアは色々と腑に落ちないまま、アルハインの説明に耳を傾けていた。
一仕事やり遂げた満足感でテンションが高くなっているようで、アルハインは勢いよく喋り続け口を挟む隙を与えない。

正面玄関から入ってすぐに受付があり、その奥には女将の部屋と大きな食堂台所、そして風呂場。二階は三つの客間があり、収容人数は10人ほど。冷暖房は魔術を駆使してみたので年中快適。同様に台所も火や水は使い放題だし、風呂も毎日沸かし放題。皿やシーツなどの備品は、言ってくれれば必要に応じていくらでも支給する等々。

聞けば聞くほど、こんな辺境に立っているくせ妙に整備が行き届いた宿屋だった。
客足は絶望的だとか言っていたし、採算は度外視なのか?でも、何のために?

(ち、違う! もっと突っ込まなきゃいけないことがあるって!!)

アルハインは気付いていないようだが、先ほどからトアは宿ではないある一点──ここから北の方角に見える、大きな建造物を凝視したまま、固まっていた。
十七年間溜め込んだ知識を総動員して、あの建物が何なのか、ある一つの予想を立てる。
でもそれは、笑い飛ばしてしまいたくなるほどの、意味不明な解答で。


ひとしきり喋り終えて満足したのか、アルハインはさあ、と胸を張る。
ちょっと高圧的だが、それがなんだかトアには可愛らしく感じられた。

「今言ってやったことで、何か分からないことがあれば質問しなさい。我輩が教えてあげましょう」

好機だった。促されなければ、きっとトアはまだしばらく固まったままだっただろう。
気乗りはしないし、目を背けていたい現実だが、確認を取らないことには先に進めない。
一応仕事の話をしに来たのだから(ちょっと忘れかけていたけれど)、働く環境がどう酷いかを知っておかなければ。予想が合えば、酷いどころか命の危険があるけれど。

「え、えっとね、アーさん。ならちょっと聞いていい?」
「どうぞ」

トアはゆっくり、北の方角を指差し訊ねる。

「あれ…………何?」
「魔王城ですよ?」


平然と言いやがったこいつ!!
思考が追いつかないトアは、悲鳴を上げることも放棄して、彼の言う魔王城を呆然と見つめるだけだ。


トアが指差したもの。それは巨大な城だった。
北の曇天を背後に、地を這い蹲る無力な生き物達をあざ笑うように空高く聳え立ち、いっそ死すら予感させるほどの禍々しい瘴気を放つ。
近づくことも、目にすることも憚られるような魔の城。それが、魔王の住まう魔王城。

最近アイルズベリィに着いてからよく耳にしたその単語。
まさか実物を拝むことになるなんて!
ていうか、なんでこいつらはこんな場所で平然としていられるの?!


不思議そうに自分を眺める二人には目もくれず、トアはこんがらがる思考をどうにか制御する。
さっき聞いたのはここがどこか。なら、その理由も早く問いただして、この気楽な変態をどうにかしなくては。
混乱しっぱなしのトアは、それでもなんとか最後の気力を振り絞って、最後の質問を投げかける。

「な、なんで魔王城の近くに私たちがいるのかなぁ?」
「そりゃあ」

天気の話でもするように、見れば分かるのにといった様子で、アルハインは。


「魔王城最寄り宿屋の説明会に決まっているでしょう」


決定的な言葉を言い放った。
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