魔王のおやど

□第六話
1ページ/8ページ

(ふかふかー……)

微睡みの中、まず浮かんだ思考はこれだった。

(ぬくぬくだー)

全体通してまともと言えるかどうかは微妙だったが、とにかくトアは幸せだった。


深い睡眠から覚めた時、トアはふかふかでぬくぬくな場所にいた。
自室のものより広くて柔らかくて温かな、ベッドの上、毛布にくるまって。
太陽の他に、何か心安らぐ匂いで満たされたその場所は、再度の眠りを誘うほど心地よく――

「どこだここ?!」
「おんや」

飛び起きるトア。
真横から間延びした声が上がり慌ててそちらを見ると。

「目が覚めたようじゃの」
「ぱ……パラケススじいちゃん」

安楽椅子に腰掛け笑う、小柄な老人がいた。
きょろきょろと辺りを見回すが、広い部屋の中、アルハインの姿は見えなかった。

老人はベッドから出ようとするトアを制して、液体の入ったグラスを渡した。
喉に効く薬だと言われ、トアはありがたくちびりちびりと飲み始める。
それを見つめる老人の目は、孫に対するような優しいものだった。


この老人はパラケススという名の、最後の三柱である。
真っ黒なローブを羽織り、真っ白な杖をつくという、おとぎ話でよくあるような魔法使いスタイル。
少し腰が曲がっていて、長く伸びた髪も髭も真っ白というご老体だが、そこから僅かに覗く深緑の瞳はとても柔和で生気に満ちている。
肌に刻まれた皺の深さがかなりの高齢であることを示しているものの、実年齢はその何百倍以上だという話だ。

パラケススはエルフ族の一人である。
長命と膨大な魔力を誇るエルフ族は、人と魔の対立関係において中立な立場を取る。
とはいえ、彼らの言う中立とは手を出さないという意味ではなく、どちらにでも就くというある種日和見的な中立だった。
そのため魔王に仕える者もいれば、人の世に出る者、エルフ族の里から一歩も出ない者、はたまた心変わりして昨日までの敵に寝返る者などもいる。

彼はずっと魔王に仕えていて、ここでは誰よりも古株なのだという。
それなのに、人間であるトアがこの地で暮らし働くことを心配してくれているようで、ちょくちょく手紙を寄越してくれた。
何か変わったことはないかと尋ねるその手紙に、いつもトアは来た客のことや、アルハインたちとのやり取りなどをしたためて返している。その際にちょっとした焼き菓子などを添えたりして、感謝の意を示していた。
仲介を頼まれていたアルハインが寂しそうにしていたから、彼に手紙を書いてやったこともある。内容はといえば明日は来るのかなどといった簡素なものだったが、やり取りができたことで満足したのか、妙に嬉しそうにしていたのが印象的だった。

(あ……まただ)

トアの脳内には相変わらずアルハインが巣食っていた。
目が覚めてから、妙にアルハインのことを意識してしまう。というか、姿が見えないのに側にいるような気さえする。
悶々と悩みながらも、トアはまだ半分以上残った薬を大事そうに飲み続ける。
ふぉふぉ、とのんびりした笑い声を上げるパラケスス。

「昨夜遅くにの、若が嬢ちゃんをここに連れて来おってな。怪我の具合なんぞを見させてもらったよ」
「あ……どうもありがとうございました」
「いやいや。大事ないようで良かったわい」

そういえば手足も喉も痛くないし、きつく縛られていたはずなのにどこにも赤い跡が残っていない。
時間が経つにつれて、トアは落ち着きを取り戻し、周囲を確かめる余裕が生まれてきた。
どう考えても宿ではなく、パラケススがいることを考えると、この場所は。

「ねえねえ、ここは魔王城なの?」
「そうじゃよ。来るのは初めてかの?」
「うん。凄いんだね」

それは、素直な感想だった。
改めて部屋を見渡せば、やたら広々としていて天井も無駄に高い。
今寝かされているベッドも初めてお目にかかる天蓋つきだし、置かれている姿見や机といった家具は、どれをとっても高そうなものばかり。
よくよく見ればこのグラスも細かい細工が施されているし、部屋にある物全てに最上級のものが使われているのだろう。

じっとグラスを見つめるトアを見て、パラケススは何やら自慢げに胸を張り、笑みを深める。

「そりゃそうじゃ。ここは城でも一番良い部屋じゃ」
「へー、お客さま用の部屋とか?」
「いんや。若の部屋じゃよ」

ブファッ!


思いっきり、口に含んだ薬を吹いてしまった。
幸い明後日の方向を向いたため、パラケススにも純白のシーツにも被害はない。
しかし、トアは瀕死の痛手を負った。明らかとなった衝撃的な事実に打ちのめされ、げほげほと重病人のように咳き込んで一言。

「アーさんの部屋?!」
「客室は跡取り殿が使っておるからのう」

なんでもないことのように、パラケススはあっけらかんと言い放つ。
ちなみに、後取り殿とはワイザーのことである。
元三柱の人物の部屋をそのまま使えばいいものを、断固拒否して客室を占領しているとトアは本人から直接聞いた覚えがあった。

「じゃあ……こ、このベッドで!!」
「ああ、若が寝とるよ。昨夜は結局一睡もせんかったようじゃがな」
「ひ、ひぎゃああああ!!」
「恥ずかしいのは分かるが、安静にしておきなさい」
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ