魔王のおやど

□第十一話
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朝起きて窓を開けると、酷い突風に襲われた。
慌てて閉めるも、時既に遅し。
寝ぐせまみれだった髪の毛が余計酷い事になり、机の上のノートなどが飛び散らかってしまって、結局朝から無駄な仕事をする羽目になった。
よくよく考えてみれば、外では轟々と不気味な音が駆けていて、窓枠も存在を主張するかのようにがたがたと揺れていた。
それに気付かなかったのも、ひとえに寝起きの呆けた頭の成せる所業であった。

いつもなら、起こされるまでベッドの中でぬくぬくと眠りの余韻を楽しんでいたものだが、今日が今日だからこその心機一転である。
自分の意思でベッドを這い出て、部屋の換気という美挙に出てみた。その結果がこれである。
やっぱり慣れないことはするものじゃないなあと、トアは寝ぼけた頭で掃除をしながら、明日の寝坊を心に決めた。


今日の天気は、正に嵐そのものだった。
空は重くて暗くて低く今にも泣き出しそうであり、遠くの方では雷声が時折鳴り響いている。
その上先程も触れたように、風は木の枝などを従えて、辺りを縦横無尽に暴れ回っている。
洗濯物を干すどころか、これでは危なくて外に出ることすらも叶わないだろう。
昼前には大荒れになりそうだ。出かける予定はないので自分は一切困らないが、今日はお客が多い一日。
どうせ魔法で移動して来るのだと分かっていても、こんな日に外出を強いてしまうのは気が引けて。
一部の、ほんの一部のたった一人には、そうしてもらうことに罪悪感と同等の照れ臭さだか喜びだか、つまりもうなんだっていいからお昼なんか待たずに早く来ておめでとうって言ってよねもう。と掃除を終え、ここ最近毎夜同衾を果たしているぬいぐるみを、撫で撫でデレデレしてみるトアだった。


「おは……よ」
「ああ、お早うございます」

顔を洗う前に挨拶をと思い、元気のいっぱい食堂に入ろうとしたが、出鼻を華麗に挫かれてしまった。

「は、早いね」
「まあ、暇ですし」

マリアが泊まらない次の日は、早朝顔を合わせるのはワイザーのみと決まっていた。
毎朝ここで朝食を取っているはずのシャロンはそれよりずっと前に出て行ってしまうので、トアはこれまで朝に出くわした事は一度もない。
ワイザーに対する気遣いが、功を奏した結果とも言えた。
それなのに、今日は特別だからか、いつもとは少し違う展開が待っていた。
『例外』はぼんやり虚空を眺めていたが、トアの姿を目の端で捉えた瞬間に手持無沙汰な空気は取り払われ、代わりにやたらと頭の緩そうな微笑みを浮かべる。
魔王らしい所など、世界に沈殿した闇を織り束ねたような、纏う真っ黒な外套ただそれだけ。
つまり出会って数カ月しか経っていないのに、何の間違いからか己の人生のかなり大きな所を占めてしまっている、アルハインその人だった。

毎朝起こしてもらうワイザーに対してならば、今更寝起きの情けない姿を見せることなど文字通り朝飯前のお決まり事だ。
しかし、それが思いを寄せる相手とくれば話は別。
出来れば一秒でも早くこの場から逃れたかったのだが、わざわざアルハインが席を立ち、ゆっくりと自分の元に近付いてくる。
気まずさが堪らず目を逸らし俯くが、アルハインはそんなトアの戸惑いを気にかけることなく歩み寄り。

「誕生日、おめでとうございます」
「……ありがとう」

先程トアがぬいぐるみにそうしていたように、頭をなでなでとしてくれた。
真っ赤になっているであろう顔を上げることが出来ないまま、その喜びを噛み締める。
十八歳の誕生日は、少しの紆余曲折を経て、こうして最高の幕開けとなった。
柱の陰で、半眼になって見つめているワイザーの存在など、全く気付くことなしに。



「いただきまーす」
「ああ。ゆっくりと、食うがいい」

今日の朝食は、いつもより質素に少なめだ。
小さめに切ってもらったパン一枚に、昨日の残りのキャベツのスープ。
いつも食後に剥いてもらう果物も、さすがに今日ばかりは断った。
それもこれも、昼から始まる誕生日パーティーに備えるため。勿論、主賓はまさかの自分自身である。

今日はトアの、十八歳の誕生日だ。
このような土地で持ち出すことは何か滑稽な気もするが、人間の法律に照らし合わせてみれば今日で立派な成人だ。
そのためこれまでの人生の中で、今日が最も大事な誕生日と言えた。
今まではワイザーが目を光らせていて、こっそり試すこともできなかったお酒が飲めるようになるし、結婚することだって可能な年齢だ。
これで、無謀すぎる野望に必要な第一条件をクリア出来たことになる。
つまるところ、朝からいつにも増してアルハインに対し心は弾みっぱなしであった。こうして向かい合って座っているだけでも幸福感は無尽蔵に垂れ流す。
そればかりか、昼から宿で開かれるパーティーでは親友のマリアを始め、シャロンやパラケススも仕事の合間を縫って顔を出してくれるというし、この前知り合ったばかりのワイザーの母親、別の世界の魔王たるホーティでさえもプレゼントを用意して駆けつけてくれるという話だ。
まさかの仰々しい面子に多少気後れもしてしまうが、当初は魔王城の広間を貸し切って行われる計画だったので、これでもまだ少しマシになったというもの。
企みを聞き付けたトアが全力でアルハインとワイザーの二人を叱りつけ、こうして無事、こじんまりと祝ってもらえることとなった。
絢爛豪華なパーティーも確かに素敵かもしれないが、大事なのは誰に祝ってもらうかである。


「何だ、それは」
「あ、これですか?」

ワイザーが指差し訊ねたのは、着替えに戻るそのついでに、トアが部屋から持ち出して来たものだった。
木製の、どこにでもありそうな写真立てだ。
トアの方を向いて立てられているために、正面に座ったワイザー達には何が飾られているのか見ることが出来なかった。

「お母さんと、お父さんの写真なんです。いつもは大切にしまってるんですけど、今日は一日出しておいて、お祝いしてもらおうかなーって……」
「そう……ですか」

照れ臭そうにほほ笑むトアを、アルハインは神妙な面持ちで眺める。
若干、手の届く距離ではないので叶わないものの、後で誠心誠意頭を撫でて慰めてやろうと言う飼い主じみた欲求がひしひしと伝わり、ワイザーは全力で無視を決め込んだ。
妹が汚される錯覚すら覚えたのだが、不愉快というよりも、単純に何だろう。
そう。気持ち悪かった。
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