魔王のおやど

□第十二話
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夜を闊歩し闇を住処とする魔物とて、ある程度の睡眠は必要である。日の光を苦手とする者も、規格外の力を有する者も、その辺りの作りは平等になっている模様。
咆哮が響かず、重い足音の一つも生まれない。夜行性の魔物達も今日ばかりはひっそりと声を潜めているようだった。

そんな静まり返った魔王城が、この物語の舞台である。世界の北の果ての果て。終わりなんだか始まりなんだか、容易に判別付かない程度には凛として在る魔王城。
夜の帳を外套のように翻し世界を睨め付け佇むその姿は、当然のことではあるものの、見る者に永久の静を予期させる。


しかし、城が休んでいたからと言って、城の主が活動してはならない道理は無い。
舞台は更に絞られて、魔王城の奥の奥。辿り着く者など、世界で一握りさえいれば良いとされる、主の部屋である。
執務用の机や背の高い本棚など、様々な家具が広い室内のあちこちに配置されており、その中央には応接用の机を囲み、二対の皮張りの長椅子が並んでいる。
その内の一つに長椅子に腰かけて、琥珀色で満たされたグラスを一人傾けながら、主は分厚い紙の束を弄んでいた。

枚数を数え、記された文面に目を通し、表情を緩ませ、目尻を下げ、時たま渋い顔でそっと目をそらしたり。主は忙しなく、己の仕事に励んでいた。
時刻は最早真夜中と呼んで差し支えのない頃合いである。しかし主は暗闇の静寂に耳を傾けながら、静かに時間を闊歩していた。
やがて主は紙を机の上に、三つの山へと分け始める。一枚一枚丁寧に、何かの規則に従いそっと紙を重ねていった。すると最後に出来上がったのは二つの小さな山と、一つの大きな山である。最初の紙の束と、厚さはさほど大差無い。
主は真顔でそれらの山──特に一つの大きい方を眺め、そして最終的には肩を落とし、大きく息を吐き出した。不要な気体と一緒に、胸に痞える何もかもをついでに出してしまおうといった、悲しい意図が見えるような類である。

「……入れ」

そんな、酷く生産性が見受けられない作業が一段落着いた折。
扉を叩く音が主の耳に届いた。小さく唸り、何者かの確認もせず入室を促す主であった。
扉は特殊な金属でできており、生半可な事では傷一つ付けられない程に重厚で圧倒的ある。現在の主の代になってから、本来の役割である外敵の侵入阻害に用いられた試しのないそんな二対の黒い扉は錆ついた音を立てることなく、あっさりと開かれる。
しかし生じた隙間から見える長い廊下は、点々と灯る明かりが塗り潰せない程に闇が色濃く、揺らめく人影一つ見えなかった。
首を傾げる主ではあったが、主が見つめるその内に扉はゆっくりと閉じられて、廊下の闇は見えなくなる。
相変わらず部屋には主の他に見られない。だが主は訳知り顔で笑みを深める。ただもう愉快で可愛くて仕方がないと言いたげに。

「今晩は。姐さん」
「ああ、今晩は」

そうして声がかかり、主はすぐ側に立つアルハインに、そのままの笑みを向けてやった。硬い表情を浮かべていた彼も、それに毒気を抜かれてか、ぎこちなくも愛想笑いを形作った。


小話の舞台はとある世界の魔王城。魔王、ホーティの治める城であった。



「……お仕事中でしたか?」
「いや。単に貰った手紙を読み返していただけだ。ワイザー、父上、それとロォからの」
「毎日顔を付き合せているはずのロォさんが、姐さんに手紙をしたためる必要なんて……」
「はっはっは。最近の奇行で察しておくれ。いやー、息子からの重いラブレターって、取っとくべきか燃やすべきかちーっとばかし迷うよなあ」
「知りませんよそんなこと」

ホーティの世間話に対して溜息交じりにそうぼやき、アルハインは彼女の目の前の長椅子に腰を下ろした。それも酷く気だるげに。その上腰を下ろしてからすぐ、頭を抱えて縮まる始末である。
つまり実に構って欲しそうに、しかし放っておいて欲しそうな、大きな子供以外の何物でもない。
ホーティはそれを、ただにこやかに見つめていた。並の親であったとしても適当な言葉で慰める振りをするか無視するかといった、悲しい二択しか示さないであろう案件を前にして、心底可愛らしいなあといった暖かい眼差しを送っていた。単に拗ねているだけの子供の扱いなど、どうやら彼女にとってはまだまだ簡単な部類に入るらしい。
まずもって彼の落胆だか悩みだかの内容など、ここしばらくの動向を見聞きしどうせたった一つしかありえないと当たりが付いた。即ち薄桃色だか柑橘類の香気だか、何だかそういった直視しづらい男女の……まあそんなもの。
ホーティは内心の温かいにやつきを抑えきれなかったようで、盛大に口の端を引きつらせながら、一つばかり不格好な咳払いを漏らした。そうしていつもの皮肉気な笑みを貼りつかせ、まあまあとアルハインに声を掛けてやる。

「どうだ? 久々にこちらに来た感想は」

ゆっくりと、顔を上げるアルハインであった。
当たり障りのない世間話に幾分かは気持ちが緩んだらしかった。かといって、顔は部屋に入った時と変わらない、強張ったものである。愛想笑いのストックも尽きたらしい。

「いや……相変わらずだったなあ、とだけ」
「はっはっは。楽しんで頂けたようで何よりだよ」

その後も会話と言う名の間持たせが続いたが、口を開くのはホーティばかりで、アルハインは頷いたり簡単な相槌を打ったりと、気の無い対応を続けていた。
広い部屋には、ただホーティの快活な笑い声が響くだけであった。
そして『如何に最近のロォが病んでいるか』といった愚痴……巧弁を疲労する頃には、アルハインからは僅かな反応すらも消えてしまうこととなる。
押し黙り、いつの間にかまた顔を伏せてしまったアルハインの状態を見、話題の選択をミスったかとやや焦るホーティであったが、まあ頃合いかと、結局は笑みを浮かべ続けることとなる。
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