魔王のおやど

□閑話休題・下っ端メイド逸聞録
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「うん?」
「ちょっと……」

窓を拭く手を止め、辺りを見回し始めるニニ。フィオはそれに気付き、非難の視線を彼女に向けた。

「またサボる口実でも見つけたの?」

肩を竦めて呆れながらも、フィオは自分の持ち場を離れない。固く搾った雑巾を広げ、曇りの目立つ窓をせっせと拭いていく。
手が届かない高い場所は風を操り雑巾を飛ばし、隅々まで手を抜くことなく磨いていく。ひょいひょいと指差し操り、同僚に嫌みを飛ばしつつ、そうしてしばらくして記念すべき五十枚目の仕上がりとなった。
ぴかぴかとなった窓に映るのは、勿論軽い疲弊が滲む自分の顔である。
窓の外に広がる重い曇り空から、フィオは僅かな充足感と、少しばかりそれを上回る疲労感を押し付けられた。はーあ、と自然漏れるため息も重くなろうと言うものだ。


彼女達二人は魔王城に仕える有象無象の一端の末端。主に魔王城の清掃や、備品の整備、洗濯などといった細々とした雑務を請け負う……つまるところはメイドである。
紺のワンピースに純白のエプロンドレス。膝下丈のスカートには折り目正しいプリーツが乱れなく並び、所々にあしらわれた細やかなレースがアクセントとして密かに輝く。そして頭には勿論、メイドの兜たるヘッドドレスがきちんと乗っている。
濃紅のロングヘアを三編みにまとめた方がフィオ、薄水色の髪を肩の長さに切り揃えた方がニニ。人間とそう変わらない外見をしているが、彼女達もれっきとした、魔王に仕える魔物であった。

彼女達二人に与えられた本日の業務は、この魔王城最上階の窓拭き掃除である。
窓のみ担当と侮ることなかれ。広々としたこのフロアには、三ケタをゆうに超える大きな窓が規則正しく並んでいる。
それをたった二人きりで掃除しろと言うのである。些か酷なようにも思えるが、何分この通り広大な城だ。メイドの頭数がいくらあっても、慢性的に人手不足に悩まされるのは必至だった。
その他の階層では主に暮らしている魔物達によって定期的な清掃が行われているのだが、流石にここに住まう方々に窓拭きや叩き掛けを強いるなど、恐怖以外の何物でもない。
尊大な捨て台詞を吐きながらも窓を丁寧に拭いて下さる魔王様の姿が容易に想像出来てしまって、さっと青ざめてしまうフィオだった。
またその他の住民たる三柱様方も、癖は強いが皆それぞれ人格者だ。頼めば喜んで力を貸してくれる事だろう。薄ら寒いとか、そんなレベルではない現実感である。身震いする程度には。

青ざめたり、溜息をついたりと忙しいフィオではあったが、手を止めることなく仕事をせっせとこなしていた。対してニニは依然として、辺りをきょろきょろと見回してみたり、じっと耳を澄ませてみたり。
日頃からそうではあったが、仕事に対する誠意など彼女にとっては下位の成分でしかない。とはいえ仕事が出来ないわけでもなく、何をやらせても彼女の気さえ向けば難なくそつなくこなす。その上城の人材不足に救われた形で、辛うじて首は繋がっているといった状態であった。
しかしニニはそれを気にすることもなく、城で働く事自体が勉強になるのだと、誠実なようでいて投げやりなスタンスで日々を緩く生きていた。
今日も彼女はそんな生き様を崩すことはないようで。掃除を始めた時からずっと、何かと理由を付けて話題を見つけて手を休め、窓の四隅や桟に埃が残っていても気にしない。むしろ気にしていては終わるはずがないというのがニニの持論。
しかしフィオがそれを許す理由は皆無であった。それもこれも彼女生来の誠実さだけでなく、職務に対する心構えがニニとは根本から異なっていたため。

「言っておきますけどね、ここは魔王様や三柱様方のお部屋の近くなのよ。仕事をするにあたって、貴女は何か思う所が無いの?」
「えー……特に。それに大丈夫だって。魔王様とかならサボってる所を見られたって、笑って許して下さると思うし」
「そういうことじゃなくて! 魔王様に対して申し訳ないとは思わないの!?」
「何が?」

キッと睨み付けてはみるものの、のらくらとした笑みでかわされる。むしろ最後の台詞は、本気でフィオの意図するところを掴みかねるといった嘘の無さであった。
あからさまに目を尖らせるフィオではあったが、ニニはどこ吹く風。下手な口笛を、上機嫌そうにうそぶく始末である。


恐怖の象徴たる魔物の中にも、やはり戦闘に向かない者達がいる。
武力も魔力も中途半端で、尚且つ特殊な能力もない。そんな者達がどのようにして生きるかと言えば、穀潰しに甘んじてみたり、人間に紛れて暮らしてみたり、力ある魔物に仕えてみたりなど。
そして魔王城――ひいては魔王様に仕えるということは、形はどうであれ魔物に生まれたからには問答無用で憧れとなり、名誉ともなった。
支えるそのためだけにこの北の大地があるのだと言われても、何ら疑問が沸き得ない程に城は広大かつ煩雑で、内部には細々とした仕事はいくらでも存在していた。
窓拭きのように誰にも出来る仕事でも、誰かがやらねばいずれ他の誰かが、最終的には魔王様が困ってしまう。
そのため一般的な魔物達は居場所と仕事を与えてくれた魔王様の名に恥じぬようにと、身を粉にしてせっせと働く毎日であった。フィオも無論、その内の一人である。

有象無象以下ですらない魔物がその昔、どのような扱いを受けていたのか。神話に近い歴史は書で仕入れた知識しかフィオは持ち合わせていないものの、それと比べてしまえば遥か天地の差である事は否が応でも理解できていた。だからこそ、今の魔王様にはどれだけ感謝しても足りることはないのである。身を粉にし、魔王様の役に立つことだけを願い……と言えば大げさだが、何か出来る事は無いかと日々精進の毎日だった。
そんなフィオにとって、ニニの態度は改めさせて然るべきものではあるのだが。


「あ、まただ。女の人の声がしない?」

ニニは気楽なもので、廊下の先を見据え、首を傾げて不審がるばかりだった。
がくりと肩を落とすフィオである。一朝一夕で改心させられるタマではないと、改めて思い知らされた。

「だから人の話を……まったく。シャロン様じゃないの」
「ううん、もっと女の子らしい、可愛い感じの声」
「そう言われてもねえ」

きょろきょろと辺りを見回すニニ。フィオも渋々とばかりに倣ってみるのだが、長い廊下には人影一つなく、耳に届くのも自分達の声の他には窓を叩く風音のみである。
いやいや。フィオは頭を軽く振り、頭の中を整理する。
ここは自分達が使える魔王様と、その直属の配下である三柱の方々が住まうフロアだ。その他は魔王様の物置だったり三柱方の魔法の実験部屋だったりと、滅多なことでは一般の魔物が寄り付かない区域で、本日フィオ達の他に雑務を任された者はいないはずである。つまりはニニのデタラメということで……。
そう結論付けて毅然と胸を張り、全くもうと大人の余裕を見せつけるフィオ。雑巾片手で締まりがないのはご愛嬌だ。

「こんな所に、そうそう誰かがいるわけないでしょ。仕事サボろうったってそうは」
「……せーん」
「え」
「ほーら」
「わ!」

得意げなニニの顔よりも前に、フィオの目は曲がり角から飛び出して来た人物へと釘付けになった。その少女はフィオ達の姿を確認し、フィオ以上に驚愕に目を見張るのだがすぐに二人に駆け寄る。瞳に涙さえ溜めて切羽詰まったその様子は、見るからにピンチの最中であった。

「よ……良かった人がいた!」

人じゃないんですけど、と二人がツッコミを入れるその前に。

「すみません……! お、お……お手洗いはどこにありますか!?」

魔王城最上階に存在しそうにない平凡少女は、大声でそんな台詞を叫んでいた。



「ほんっっとありがとうございました!お二人は命の恩人です!もうほんとに!本当にありがとうございました!」
「いえいえー」
「そ、そんな大袈裟な……」

ぺこぺこと頭を下げる少女に、フィオとニニは困り笑顔で対処する。
手洗いの場所まで案内したその後、今まさに熱烈な感謝を受けているところである。
亜麻色の髪を一つにまとめた、取り立てて特徴の無い少女だった。城内で擦れ違っても『新しいメイドさん候補かな?』で済ませて、次の瞬間忘れてしまっていそうな顔。纏う雰囲気もぽわぽわとどこか抜けていて、実に人畜無害そうだ。
しかし彼女がさ迷っていた場所が場所であるだけに、二人は心中かなりの焦りを感じていた。にこにこと適当な笑みを浮かべるニニでさえ、微かに頬を引きつらせて状況に耐えている。

(ねえねえニニ……もしかしてこの子って)
(うん。多分噂の『女将さん』だよ……初めてお会いしたなあ)
(私もよ……)

思念を飛ばし合いこっそり会話する二人に気付くこともなく、少女はなおも恩人たちに対して早口で感謝の言葉を並べ続けた。見るからに純朴そうで、色々と世間を疑うことを知らなさそうで。その少女は実に危なっかしくて二人の胸を打ったとか、そうでもなかったとか。
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