短編

□【魔王のおやど】何かを拗らせたSS
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「む…………?」

目覚めると、懐かしい天井が目に入った。



一度目を閉じ、何かしら思案を経てからまた開く。依然として、同じ天井。
彼は仕方なしに、ゆっくりと上体を起こした。そして、呟く。

「……いつ、帰って来たのだろうか」


魔王城の自分の部屋。ただし実家の方。
いつ帰って来たのか、どのようにしてベッドに入ったのか、まるで記憶にない。
ひょっとすると、呑み潰れてしまったのかもしれない。頭を抱え、何とか記憶を引きずり出そうとするワイザー。
最悪、醜態を晒してしまっている可能性すらあったからだ。

彼の母は酒豪のくせして酒に滅法弱い息子に合わせ、ジュースなどでよく宴の場を濁してくれていた。
それがどうにも申し訳なくて、また見栄を張るために、彼はよく呑めない酒を煽っていた。
そうしていつもいつも倒れてしまうのだが……

「何かが違うな…………」


何が、と聞かれれば言葉に詰まる。
しかし、胸には確かな違和感が巣食っており、どうにもこうにも正体が掴めない。
靄が晴れず、苛立ちすら抱き始めた丁度その時。

とんとん、と控えめなノックの音がした。
もしや母かと、彼は思わず身を正す。
しかし、扉が開きひょっこり覗いたその顔は、母ではなく。


「あ、起きてたんだ。おはよ」
「……何故、お前がここにいる」

飴色の髪、暗い蒼の瞳。特徴はこれといって有していないが、素朴で愛嬌のある顔立ちをした少女。
彼がここ最近実の妹のように可愛がっている、人間の少女――トアだった。
怪訝そうに眉をひそめるワイザー。眉の間に刻まれた皺が四本増え、不機嫌そうな面構えが更に悪化する。
初見では誰もが目を伏せ赦しを乞うレベル。
しかしトアは小首を傾げ、不思議そうにはにかむだけだ。

「朝ごはんだから起こしに来たに決まってるでしょ、寝ぼけてるの?」

そう言われても。
事態が飲み込めず、目を白黒させるワイザー。

こいつがいるのはアルハインの世界で、実家の方には、一度も連れて来たことがない。
しかし、酒だか何かのせいで経緯を忘れている可能性が、十二分にあった。
その証拠に、何故だかいつにも増して、トアが可愛く感じられる。
撫で回して抱きしめて、高い高いとでもしてやりたいと思うのは、きっと二日酔いで頭が回っていないからだろう。
きっとそうだ、そうに違いない。

妙な推理に忙しく固まるワイザーに、トアは唇を尖らせ呆れたように言う。
いや、言い放った。

「まったくもー。私先に行って待ってるからね、お兄ちゃん」

何、だと……?
そんな顔で固まるワイザーを放置して、トアがぱたんと扉を閉めた。




「ま、待て」
「どうしたの? お兄ちゃん」

必死に追いすがるワイザーに、トアは事も無げにまた致命的なその単語を派手に打ち上げた。
場に膝をつくしかないワイザー。しかしそれでやりすごせるような敵でもなく、トアは優しげな声音で追撃を開始する。

「具合悪そうだけど、大丈夫? お兄ちゃん」
「少し待て。落ち着かせろ。何だこれは、悪戯か。アルハインの差し金か。何だこれは、褒美か。くそ」
「よく分かんないけど、混乱してるんだね。お兄ちゃん」

はあ、とこれ見よがしにため息をつくトア。
顔を上げると、腰に手を当てて仕方ないなー、と可愛らしく微笑んでいる。
直視するのは目の毒だと分かりきっていたものの、何故か視線を逸らすことが出来なかった。
そのため、背後に生まれた気配に気付くのが、少し遅れてしまった。そしてその差異は、どうしようもなく致命的で。

「お早うございます。あなた」

聞き覚えのある声なのに、聞いた覚えの無い声だった。
背後からかかった声。トアの視線をゆっくり辿れば、そこには知ったはずの顔が、全く未知の表情を浮かべて佇んでいた。
慈愛に満ちた、穏やかな微笑み。平時の彼女とは、確実に縁のないはずのそれ。

「しゃ……しゃ、シャロン殿?」

舌がうまく回らず、ワイザーが紡ぐことができたのはその一言だけだった。

「いやですね。『シャロン殿』、だなんて他人行儀な」
「そうだよお兄ちゃん。夫婦なんだし、何かおかしいよ」
「夫婦?!」

裏返る彼の悲鳴。
しかし、自称妹と自称妻は平然としたままだ。

「何かおかしいことでも? 先日婚姻を済ませたことをお忘れですか」
「で、私もこっちで暮らせばいいって、連れて来てくれたんじゃないの」
「う……む」

二人から口々に諭されて、反論など浮かぶはずもなく。
むしろ信じなければこの幸せの説明がつかない。
酒か何かのせいで記憶は今だ曖昧なままだが、きっともうすぐ何もかもが鮮明になるはずだ。そんな予感が微かにあった。

「さあ朝食に参りましょう。義母様がお待ちですよ」
「そーそー。早く早く!」
「ま、待ってくれ二人とも……そんなに」


ぐらりと暗転。むしろ明転。


「急がず……とも」

目覚めると、いつもの天井が目に入った。
一度目を閉じ、何かしら思案を経てからまた開く。依然として、同じ天井。
彼は仕方なしに、ゆっくりと上体を起こした。そして、悟った。
途方もなく、死にたくなった。



朝。爽やかなはずの朝。
それなのに、食堂にいたのは満身創痍のワイザーだった。
風景に似つかわしくない物体に、ちょっぴり眉をひそめるトア。

「何なんですか、今日はまた随分とぼろぼろですね」
「いや何……シャロン殿に頼み足蹴にして頂いたまでのこと……私はそうされねばならない、罪深い男だ……」
「はぁ」

深刻そうに俯くワイザー。トアは対して気の無い相槌。
多分ツッコミ待ちなのだろうが、一々拾ってやるのがとても面倒だった。あと、何だか少し気持ちが悪かった。

「そしてトア、頼む一度でいい」
「何ですか?」
「私のことを……『お兄ちゃん』と呼んでくれないか」
「疲れてるんですか? お兄ちゃん」
「ぐ……は」

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