短編その二

□風営法的ビフォーアフター
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さて、次の日の朝のことである。
いつものように目覚めたアルハインは、枕元にそっと置かれた一枚の紙切れに気付きぎょっと眠気の残滓が飛び去った。
何しろ魔王たる自分に気取られず寝所に忍び込むことのできるような知り合いには、ろくな面子が存在しない。
厄介の気配に、恐るおそる紙をつまみ上げ、そっとひっくり返してみると。

「……『リニューアル記念キャンペーン』?」

真っ当なチラシだった。
魔王城最寄りの宿屋が最新鋭の設備が充実した快適な宿に改装されたことが宣伝されていて、このチラシを持参すれば宿泊費一割引きとか、そんな特典付きときた。
人目を引くカラフルなイラストと、印字されたかのような均整の取れたレタリング。
『トアに言われるままに改装完了。最終チェックはお前がやれ。そして死ね。』とワイザーの文字で付箋が貼り付けられている。
あまりに直球でまともなその業務連絡に、アルハインはがくりと肩を落とすしかない。

「トアさん……自分の役割を忘れて完全に商売優先ですよね……あとこれ、どこで誰が配ると申し上げる気なのでしょうか……」

トアだけか、もしくはワイザーやマリア、果ては自分までもがアイルズベリィの街角でチラシを配るシュールな図が思い浮かんだアルハイン。
自分への挑戦者を招き集めるために宿を作った魔王といえど、そこまでして積極的に集客を狙う気はさらさらないし、他の配下から更なる後ろ指は必至である。しかし。

『確かにお金儲けはしたいけど、アーさんのために頑張って作ったのに……チラシ、配っちゃダメなの?』

そんなことをトアにしょんぼり上目遣いで言われた日には、全力でビラ配りに勤しむ以外の選択肢が死に絶える。

「とりあえずでも……頑張ったのなら褒めてやらないと……恋人兼雇主として……うん」

これが精一杯の抵抗だとばかりに、アルハインは壮絶な顔でチラシをくしゃりと握り締めた。




宿の玄関口に魔法で移動すると、待ち構えていたのだろうか。トアが元気よく出迎えてくれた。

「いらっしゃいませオーナー様!!」
「……」

身にまとうのは真新しい濃紺のエプロンドレスで、清潔感漂うやや大人しめのデザイン。
一つ括りの髪には小さな花飾りが添えられている。そして満点の営業スマイル。
日ごろ二人きりのデートでも見せてくれないような、気合の入っためかし込みと笑顔だった。
アルハインはトアの頭の先からつま先までをじっくりと眺め、深々と嘆き肩を落とすのである。

「分かってはいましたけど、恋人としての我輩と雇い主としての我輩の扱いに越えられない壁がありますよね……」
「何を言ってるのアーさん。お仕事とプライベートは分けなきゃなんだよ。例え利権でずぶずぶな雇用契約だったとしても、お金が絡むならしっかりと務めあげなきゃ! だから全力で接待します! 媚びます! お金稼ぐのって楽しいよね!!」

キラキラと輝く笑顔で迫るトア。ははは、と乾いた笑いでぼやくアルハイン。
いっそ恋人という名目で雇い直した方が救われるような気がした。
しかしそこは魔王である。矜持というか沽券というか、そうした薄っぺらいものを盾にしてアルハインはぐっと欲求を押しとどめた。

「で、改装したんですよね……」
「うん。でも中だけだから、外はほとんど変えてないよ」
「ほう……」

気を取り直し、アルハインは玄関口から宿の外装をざっと眺めてみる。
確かに、とりたてて変わったところは見られない。しいて言うならば玄関に新しく看板が増えていた。料金体系の書かれた親切なもの。だが。

「……は?」

その内容を何の気なしに読んでみて、アルハインの口から間抜けな声が漏れ出てしまう。
見間違いかと思った。そのため今度は声に出してゆっくりと読んでみる。

「『宿泊:六十〜百ルド。休憩(最大八時間):四十ルド。(特別期間中は料金が異なる場合がございます。お気軽にお問い合わせください))』……」
「うん!」

明るく頷いてくれるトア。
アルハインはそれに笑い返す余裕もなかった。胸に去来する『何かこういうの知ってる……』という複雑な思いを処理するのに忙しくて。

「休憩とね、宿泊を選べるシステムにしたの」
「……何故、です?」
「今までもさ、朝にこの宿に着いたから休憩だけしたら泊まらずに直で魔王城に行きたいって人もいたんだよね。だからそういう人に考慮して、休憩フリータイムと宿泊で料金体系を決めたの。あ、休日とか魔力の高まる満月、魔物がちょっとだけ元気をなくす新月の日とかは特別料金で割高ね」

『こういう差異がお金を生むんだよ!』と力説するトアを、アルハインは呆然と見下ろしていた。
言っていることは理に適っているし、親切なシステムのように聞こえてしまう。
しかしこれ、噂に聞く所のアレと似ている……どころかそれそのもののような気がして仕方がなくて。

「でね、中も結構変わったんだよ! 案内するから来て!」
「あ、はい、えっと、うん、ちょっと待っ」

小声の抵抗もトアには通じず、アルハインは腕を掴まれ引き立てられるようにして宿の中に足を踏み入れるのだった。

「暗っ!? 狭っ!?」

そして叫んだのがこれである。
中はほのかに薄暗く、廊下が少し狭くなっていた。
宿に足を踏み入れるとすぐ受付があって、呼び鈴がちょこんと置かれている。
受付には黒い厚手のカーテンが引かれている。おかげで中の様子が分からなくなっている。以前はなかったはずのものである。歓迎の意があまり感じられなかった。
たじろぐアルハインに、トアは胸を張ってハキハキと答える。

「狭くて暗い所って落ちつくし、何よりここは魔王城の近くなんだから、この方が雰囲気出るかと思って」
「あの、なんで受付にカーテンをかけているんですか?」
「受付の中にね、アーさんに出す書類とか大事な帳簿とか分かりやすいように置いときたいの。お客さんに見られたら駄目でしょ?」
「あと何ですか受け付けの隣にある、部屋の番号と写真が並ぶ一覧は」
「部屋ごとに内装が違うから! お好きな部屋を選んでもらいやすいようにね!」
「わあーいライトが付いてて明るい部屋が空いてる部屋なんですねー」
「他は使用中か準備中だよ!」

ぐっ、と親指を立ててアピールしてくれるトアだった。
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