魔王のおやど

□第四話
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最初、言葉の意味が分からなかった。
アルハインの発したその一言を脳内で何度も何度も噛み締めて、そしてトアはようやく理解する。


ここは魔王の住まう死の土地。
宿屋から魔王の城までは、多分徒歩でもそれほどかからないだろう。
それなのに宿屋は特別頑丈そうでもなく、魔物に襲われたらひとたまりもなさそうだ。
で、そんな危険な場所に一人残って、働けと。


それ何てブラック企業?


「帰ります。お願いできますか?」

急に話を振られて、ワイザーは眉をひそめる。
それでも少し機嫌は良いようで、口の端だけだが彼は確かに笑っていた。
目の座ったトアを面白そうに眺め、自分の顎を撫でて。

「つまり、この話を断ると?」
「はい」
「えええっ?!何故!!」

トアは心底スムーズに話を終わらせて、とっとと安全な場所に帰りたいだけだった。
だがそんな儚い願望も、すがり付くアルハインが邪魔で成就は当分先になりそうだ。
親に放って行かれた子どものように泣きついて、必死に留めようとする。
それに何だかいらっとして、トアはアルハインを乱暴に振り払った。
あうっ、と結構簡単に剥がれた美形は、べちっ、と地面に倒れ込み、乙女座りでべそをかき始める。
何て言うか、色んな意味で可哀想だった。

少し前までのトアならその姿を見て多少心が揺らいだかもしれないが、今となっては絶対零度の眼差しで射抜くだけ。
上からアルハインを睨み付け、ビシッと指差し。

「危ないからに決まってるわよ!今はいないみたいだけど、この辺魔物がうろうろしてるんでしょ?!なんで魔王城近くに宿屋なんか作る必要があるのよ!」

一息に叫んだ。
怒鳴られた二人は顔を見合わせ、理解できないものを見る目でトアを見る。
しばらく二人は呆然としていたが、次第にその顔に変化が生まれる。
アルハインはしまった……と後悔の表情、ワイザーはなるほど……と納得の表情を各々浮かべる。

彼らだけに通じる何かがあったらしい。
ただでさえよく分からない土地でよく分からない人間たちに囲まれているものだから、余計にトアは不安になる。
少し陰るトアの顔色。それに気付いたのか、アルハインは慌てて立ち上がった。
土埃を払い、先程自分を突き飛ばした相手に向き直る。
申し訳なさそうに苦笑しながら。

「我輩、貴様に言い忘れてることが色々とありました。すみません」
「な、何?」

丁寧に頭を下げるアルハインに、トアはたじろぐ。
あの独特な上から目線も引っ込んで、心の底から謝罪の言葉を述べているように見えた。
何を忘れていたのだろう。もしや本当にアルハインは悪人なのか。いやまさかそんなはずは。
トアはどきどきと、アルハインの次の言葉を待つ。

「改めて自己紹介してあげましょう。我輩の名前はアルハイン。職業は」

職業は?

「魔王やってます」
「嘘をつけ嘘を!!」


今度は遠慮なく叫ぶことができて、ちょっとすっきりだった。



トアはわなわなと肩を震わせ拳がうっ血するくらいに強く握って――うがあ!と窮鼠な感じで声を張り上げ頭を掻きむしる。アルハインが心配そうに顔を覗き込んでくるが、お構いなしだった。

言うにことかいて、こいつは一体何をほざく?!魔王?!

確かに魔王なら、間違いなく悪人だ。魔物を統率し人と敵対する存在。
魔王が暴れていた頃の話は昔読んだ歴史の本にこと細かく記されていたから、トアはそれがどんなに甚大な被害をもたらした存在なのかを知っていた。
その凶悪なイメージに、アルハインは全くそぐわない。
広場にあったあの魔王像は多少大袈裟だと思っていたが、魔王とは恐ろしげなもののはず。
どこの世界に苺を貰って喜び、宿屋を作り、トアのような小娘を雇おうなどと考える魔王がいる。いるわけがない。


「アーさんが魔王なら、ワイザーさんは大魔王よ!よっぽどそれらしいわ!」

頭に血が上ったトアは、考えようによってもよらなくても失礼なことを堂々と口走ってしまう。
しかし、酷い言い草をされたというのに彼はまんざらでもなさそうだった。

「ほう……中々良い目を持っているようだな」
「確かにワイザーも魔王と言えば魔王ですけど、我輩の方が魔王として年季が……」

自分ではなくワイザーが持ち上げられて、ムッとしたようにアルハインがいじける。
この二人、単なる上司と部下と言うよりも悪友と言ったほうが正しそうだ。根本的に種類の違う生き物な気がするけれど。
トアはそんな二人を温い目で見つめる。
労いの混ざった妙な視線に気付き、ワイザーが咳払いしつつ事も無げに言い放つ。

「遺憾なことに、こいつは魔王だ。そして私は『三柱』(みはしら)の一人、ワイザーだ」
「それって、魔王の手下でしたっけ……」

『魔王の三柱』とは、とてつもない力を有した魔王直属の魔物三匹のことだ。
魔王城に挑む者は皆漏れなく彼らに敗れ去り、魔王の元まで辿り着いたものはいないとされている。
表に出ない魔王よりも、彼らの方がまだ存在を広く知られていた。
一人は美しい女騎士、一人は小柄な老人、もう一人は角の生えた男だと言われている。

ワイザーの可能性があるのは、角男か。
とは言えじろじろと彼の頭部を凝視してみても、角らしきオプションは見つからなかった。
相手が相手なので、からかわれているとは考えにくいのだが……。
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