魔王のおやど

□第五話
2ページ/7ページ

三柱の残りの二人は、一人は城に籠りっきりで滅多に会うことはなく、魔物の統率を任されているというシャロンも、特別な用件(アルハインを連れ戻したり、客が来そうだとトアに知らせに来たり)もない限り訪ねてくることはない。
客か魔王かこの魔王見習い。トアがこの地にやって来てからの人付き合いは、大体この辺に限られていた。
たまにアイルズベリィまで誰かと出るので、それほど飽きるものでもないのが、ちょっとした救いだった。


「あ、昨日作ったシチューが余ってるんですよ。ついでに片付けてくれません?」
「アルハインにやれ」

トアの頼みに、これしか食べたくないと言外にそう返してから、二杯目に手を伸ばすワイザー。

「後で来ると言っていた。残り物でも、あいつは喜んで食うだろう」

そして、またざくざくとアイスを削り始める。
夢中に食べる彼のため、熱い紅茶を注いでやりながら、トアは気の無い相槌を打ちにっこり一言。

「作り置き、減らしますよ?」
「……食えばいいんだろう。食えば」

はあ、と彼はため息をつく。
しかし、それほど不満があるわけでもないようで、後は黙って目の前のアイスを切り崩すことに没頭した。


ワイザーを初めて見た時、トアは彼のことを『魔王』だと思ってしまったが、それはある意味で正解だったよう。
彼は別世界の魔王後継者だと、アルハインから聞かされた。何故そんな人物が違う世界とはいえ、魔王の下で働いているのかというと、それには二つの理由があるらしい。

一つは見聞を広めるため。もう一つは、元々いた三柱の一人が諸事情により力が弱まり、その穴埋めをするためだという。
ただ、後者の理由についてはワイザーの口から語られたことはない。
どうやら、身内だという元三柱のその人物をかなり嫌っている様子。
一度その事について訊ねた時ワイザーは珍しく烈火の如く怒り狂い、よく分からない愚痴を延々叫び続けたため、以降トアは地雷を踏まないようにと気をつけている。
その代わり、彼の世界の現魔王――彼の母親についてはいつも自慢げに語ってくれた。
強く気高く、とても素晴らしい人なのだと夢中で語るワイザーは、そんな時だけ年相応に目を輝かせていた。
トアが最近母をなくしたばかりだと知った時など、彼は不器用にトアを慰め、何でも力になるとまで約束してくれた。
訪ねてくる頻度が増したのは、この頃から。
そんなわけで、トアにとってワイザーは最早魔王などではなく、親思いの優しい友人だ。


「ところで、何か必要なものはあるか?」

そのワイザーが、不意に顔を上げトアに訊ねてくる。
改まり真面目な顔をしているが、手を休めようとしないのは流石というか何というか。

「そうですね……。まあ足りないのはこの辺りですか」

トアがやんわりと微笑み言うのは、主に食材やその他宿の備品など。
女将一人、たまに来る客数人で消費するには多すぎる量を申告するが、ワイザーはそれに異議を唱えるでもなく、にやりと笑うだけ。

「ふっ……では、いつものように維持費名目で申告しておく。ちなみに、ここに書かれている売上は『相場通り』で間違いないな」
「ふっふっふ……勿論ですよ」
「くっくっく……だろうな」

しばし二人で、妙に低い笑い声を上げ続けた。
見るからに茶会にカモフラージュした、悪巧みの最中で。


魔王城に貯えている宝石などを換金し、貨幣を管理するのは現在ワイザーの役目である。
そこからトアの給料や食費などを支給するのだが、事細かに使途を記してアルハインに報告しなければならないらしい。

人間社会の貨幣を手に入れる手段が、他にない彼。
かねがねアイルズベリィ等に出て色々と甘い物を楽しみたいと思っていたが、使い込みがバレた場合故郷の母に報告されると困るので、今まで我慢していたとか。

それで、今の怪しい会話だ。
相場通りの料金でサービスを提供しているように見せかけ、実際には数パーセントほど水増しした金額を客から貰う。
こんな僻地の宿だから相場の値段で物が提供できるわけが無いので、客はあまり文句もなく支払ってくれる。
装備やアイテムを揃えることができるだけで有難いと洩らした人もいて、案外上手くまわっている。
そして、トアはワイザーのために宿の必要経費を多めに請求。

とはいえ、相手の懐具合が寂しい場合はアイテムの値段を下げて提供し、魔王城攻略に役立つよう計らわなければならない。
これも仕事の内ではあるので、実際トアの儲けはごく僅だ。それだけではへそくり程度の貯金にしかならず、必要経費超過分をワイザーと山分けして、やっと月々の小遣いくらいの稼ぎになる。
仲良くなった証にしては、少し黒い。

しかし、トアは給料の全てを借金返済のため貯金しているから、自由になる金がたとえ小額とはいえ手に入るのならありがたかった。
老後の貯金とアイルズベリイまで出た時の買い物代にあて、ささやかな幸せを味わわせてもらっている。
汚職を持ちかけたワイザーも、無論遠慮なく着服した金で食べ歩きを満喫している。
一人だとお洒落なカフェには入りづらいからとトアをよく誘ってくれるので、ますます二人の親交が深まったという具合。
まあ、危ない橋を渡っているという奇妙な一体感も影響しているのだろう。
大体他に貨幣を使うのは、よく遊びに出かけるアルハインくらいのものだから少しくらいならいいだろうと意見の一致も見せ、穏やかで真っ黒な友情は着実に育まれていった。


「そういえば」

ここ最近で、彼との距離はかなり縮まったと、トアは自惚れでもなく、そう確信を持っていた。
だから、ちょっとこの平和な会話ついでに、少し聞いておきたいことがあった。
訊ねてみたい話題ではあったが、デリケートな問題だからとずっと先送りにしてきたもの。
トアは紅茶をゆっくり味わいながら、少し声をひそめてこう続けた。


「ワイザーさんって、シャロンさんのことが好きなんですか?」


穏やかな茶会に、大きな雷が落ちた。
比喩ではなく。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ