□嘯く熱 後編
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己が誰と知れようと。

血塗られていると知れようと。

欲を吐き出したくなれば。

そこら辺の女を抱く。

それに躊躇いなどはせぬ。



然し。

あの女には―――――。











その日の空は。

晴れ渡っていた。

自室で三味線を奏でていた万斉に、晋助の声が届いた。

「入るぜ」

「ああ」

部屋に入ってきた晋助は、開け放たれた窓枠に腰掛ける。

「今夜は月が見れそうだなァ」

「綺麗な月が浮かぶのでござろうな」

「クッ…お前ェが風光に酔いしれてる姿を見てみてえもんだ」

「どういう意味だ」

「お前ェは感情を表に出しやしねえ奴だからなァ」

「其れは拙者の性分でござる」

「どうだかねえ」

細めた右目が万斉を見据える。

「出さねえつうより、無理矢理押し殺してるみてえだが」

万斉の眉が、一瞬ぴくりと顰められた。

「何を言いたい」

「まあ気にすんなや、戯れ言だと思え。ところで万斉、今夜街に降りる。お前ェも付き合えや」

「…ふむ、解った」

晋助が腰を上げ、部屋を出て行く。

姿を消す前に。晋助は万斉に問うた。

「そういやお前ェ、あの傘どうしたァ?」

「……とうに捨てた」

「へえ、そうかい」

晋助の顔は見なかったが。笑っているのだろうと、万斉は思った。


晋助は偶に、

あの女をちらつかせる。

試すように。


一体、何だと言うのだ。

それもあり、

女が記憶の片隅から浮き上がる。

否、それが無くとも。

思い浮かべてしまっているのだが。

女は、拙者を知っていた。

何故知っていたのかは、今となっては知る術もない。



女の誘いに乗った事が、

悔やまれる。


女の纏う。

静かで、柔らかで。

小雨のような。

微かな冷たさが。

己のくすぶる熱を、一時でも。

鎮めてくれるのではと。

そう、

縋ってしまった事に。



己の都合で。

清らかな女を、汚してしまった事に。


それだけが、胸を締め付ける。





車窓から流れる景色の中に。

ぽっかりと浮かぶ満月が妖しく照っていた。


「停めろ」

晋助がそう言い、車は停まった。

「降りるぜ」

外は、河沿いの細い道。

万斉は車から降りると、先に降りていた晋助に問う。

「此処で何があるのだ」

「おもしれえ事だ」

晋助が顎で示す先には、橋が在った。
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