弐
□嘯く熱 前編
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闇に溶ける時刻。
男は、小雨で濡れる地面に膝を突き、震えの止まらない手を擦り合わせ命乞いする。
辺りは血溜まり。
男を護る筈の人間は、男を囲むように地に倒れ皆息絶えている。
縋れるのは、己の命を奪おうとするその男、―河上万斉―しか居ない。
「諦めよ」
血糊の付いた刀を一振りすると、男の頭上に翳す。
男が目を剥き掠れた悲鳴を漏らした刹那、刀は振り落とされた。
万斉が任務を済ませ、離れに停めてある車に戻ると、後部座席の窓が開かれた。
旨そうに煙を吐き出す高杉晋助の顔が影になって見える。
月明かりに照らされた口許だけが姿を現し、片端を吊り上げたその唇が言葉を放った。
「終わったか」
「遂行したでござる」
晋助に応えると、万斉は助手席に乗り込み、車は発進した。
細かな雨粒が窓に斜めの筋を作る。街の灯りがそれを煌めかせた。
その流れる雨粒を眺めながら、万斉は遠くに置いてきた記憶を蘇らせていた。
まるで。
この雨の様だったな。
「万斉」
輪郭を思い浮かべようとした刹那、晋助に声を掛けられ引き戻された。
「何でござる」
「こんな日は思い出さねえか?」
「……何をでござるか」
「ククッ…惚けるんじゃねえよ。お前ェが忘れるわけあるめえ。彼奴ァこの雨みてえだった。今頃どうしてるかなァ。なあ、万斉?」
万斉は聞こえぬ振りをした。返事をしない万斉に、晋助は薄く笑うと煙管をくわえた。
鬼兵隊船へ戻り、万斉は自室に入る。
隅に置いてある行灯に灯を点すと、薄ぼんやりと部屋が橙に染まった。壁に映った己の影が揺れる。
その揺れる闇に浮かぶは。
車内で見た、窓に煌めく雨の映像が重なる。
(主を思い浮かべるには、充分だ―――――)
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