短編小説

□呼ぶ声
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「こっちだよ」
通学途中の、乗り換え駅構内でのことだった。女の子のような幼いけどはっきりとした声が自分に向けて投げ掛けられた気がした。ホラーのような声ではなく、何かを期待した爽やかな声だった。だが自分はイヤフォンで音楽を聞いて、なお駅は人が沢山いて足音や会話などの雑音で溢れていた。だから、そのときは気のせいだと思ってあまり気にとめなかった。
それは夏になりかけの、風が涼しくも暑いような、海も驚くぐらいの晴天の日のことだった。
彼らと桜のファーストコンタクトの日。





心こもる





午前中の練習は最高だったと、桜(サクラ)は少し興奮気味だった。暖かい気候は体をほどよくほぐし、ベストコンディションをストレッチで作り出した。そして測った200メートル走は23秒フラット。土のグラウンドで測定できる記録にしては十分すぎるものだ。
「いいかんじかも」
嬉しいくて思わず口からでた言葉は、だれもいない電車の中でのことだった。
この調子でいけば県大会は確実。思わず大会で活躍する自分を想像して頬が緩む。
「楽しみだな」
期待感が溢れると共に思わず口から溢れた言葉は、乗り換え駅でのことだった。
そのとき、
「楽しみだね」
清らかな声が響いた。
思わず辺りを見回す。春休みの真昼で駅の人数はまばらである。そんな中で自分に声をかけてくる人もいるわけがない。しかし、桜ははっきりと聞こえた。自分に期待する誰かの声を。
今朝と今ので二回目だ。
立ち止まりもう一回辺りを見回す。桜を見ている人もいなければ、近くを通り過ぎる人でさえも桜を気にしない。
自分へ向けられた謎の声に少し興味がでた。
不思議と気味が悪いなんて思わなかった。

桜は乗り換え駅を出て都会の街並みを歩き出す。本屋にゲーム屋、電気店に雑貨店。一人でお店を回っていたが、さっきの声は一向に聞こえてこなかった。
マクドナルド二階の窓際の席で、ポテトをかじりながら本を読む。少し遅めの昼の時間帯は人もまばらで静かである。
桜はこんな他愛もない時間が好きだった。
なにでもない、まるで物語の行間のような一時。文章にならない、穏やかで暖かい瞬間。
映画なら、挿入歌が流れてスライドショーのように流れてしまう一瞬。
ゆっくりと、でも確実に過ぎていってしまうこの時を愛でるのがすきだった。
甘いコーヒーを一口すする。独特の味と酸っぱさが口に広がる。
「……苦い」
どんなに砂糖やミルクを入れても元の味はなかなか消えないものだ。でもその苦さを好きになってきたこの頃は、大人になれてきたのかなと嬉しく感じる。
ふと外に目をやる。最近は薄手の人が増えてきた。夏独特の熱気に包まれてきた日本は平和である。同い年ぐらいの金髪の男の子と彼女だろうか、可愛い女の子が楽しそうに並んで歩いていた。
(恋人か……うらやましい)
その思いは次の瞬間すぐに驚きとともに消えてしまう。
交差点の向かいのエキシビジョン。その画面の左下の小さなネコらしき動物が映っていた。それは歩くように画面から消えていく。そこまではよかった。そのネコは画面から出ていったのに存在していた。隣のビルのガラスに映っていた。
桜は思わず立ち上がる。
ハッキリとしない薄いネコの姿。儚く脆い印象のガラスに映るネコは、影のように姿が霞み、揺らぐ。
影のネコはヒョイとジャンプすると別のビルのガラスに映る。
そして振り向いた。
目が合った。
ネコは尻尾を振り、歩き始める。

──呼んでる?

感覚的にそう感じた。
桜は急いで荷物をまとめて店をでる。
きっと声の主はあの子だ。
桜はそう思った。

いつも何かに全力だった。部活も、勉強も、習い事も。だけど、どこかなにかが足りなかった。自分の心の中ですっぽり抜け落ちている物があった。

───アレを追いかければ大切ななにかが見つかる気がしたんだ。












(出会い。そしてこの時から、冒険は始まっていたんだ)








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