VORTEX

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「雲起し俄に雨の降る鼬、これこそ貂の仕業なりけれ。」


水を張った桶に入れていた両の足のうちの片方をひょいと上げると、ぱしゃりと水が跳ね上がり、病的に白い女の柔肌をするりと滑り落ちた


「甘喜、ですかい?」

「ん?あ、嗚呼。何なのこの暑さ…雨の一降りでもしてくれさえすれば、幾等か涼しくなるだろうて。」


とぷん、と今一度桶のなかに足を沈め、女は一つ欠伸をする


「流石に、今のその貴女では、無理ですぜ。」

「お黙りな。何なら戻っても良いんだ。え?そうしたら儂を殺すかね、薬売り。」


背を仰け反らせ、紫の色を乗せた爪を持つ白魚の様な指で煙管を弄ぶ男、薬売りに女は視線を遣ると、彼は紫煙を吐き出し妖しく嗤う


「真逆、殺しやしないさ…今は、ね。」

「クッ…『今は』、か。良いねえ…」

「それに。」


影が動き、薬売りは音も無く移動し女を背後から抱きすくめ、その首筋にこれまた紫の紅を引いた唇を寄せて


「どうやら、中てられてしまった様で…離すのが、惜しい。」


妖艶な赤い舌で、ちろりと舐める


「ほお…魔を狩る者が、真逆魑に魅せられるとはな。」


女はふっ、と身体の力を抜き、薬売りの腕のなかに納まり


「ま、嬉しくない訳じゃないんだがな。」


口許に笑みを浮かべた


「で。」

「ん?」

「いつまで、その格好で居る気で?」


彼女の格好は、水に濡れてはいけないと、足元を大胆に肌蹴させた白襦袢のみで


「だって暑い。あ、でも薬売りの肌は冷たくて気持ちが良い。」


少し振り返り、彼の着物の胸元にそっと手を滑り込ませ、頬を寄せる


「あ。」


刹那、女の肩が揺れる


「薬売り。」

「…全く。『彼等』はまた、良い時に…」

「何か云ったか?」

「いいえ。」


彼女は本当に聞こえなかったらしく、名残を一寸も惜しまずにするりと薬売りの腕から抜け出し、部屋の奥へと濡れた足を拭かずに引っ込む

ぱたぱたと彼女の足から水滴が垂れ、畳に染み込み痕を残す

帯を解き音も無く襦袢を下へ落とし、白地に黒文字が描かれた薄い布を身体に巻き、襟に桜紋様の透かし模様が入ったものをばさりと羽織り肩口まで開き、そして袴に似た形状の衣を身につけると


「ん?」

「ん。」


後ろから白い手が伸びてきて、女の前横の髪を浚う


「悪いな。」

「いいえ、何時もの礼、ですよ。」


鏡台の前に座り、彼女は薬売りに身を任せる

綺麗な指が、彼女の流れる様な茶色い髪を手早く纏め上げ、しゃらしゃらと音を立てる簪で仕上げる


「綺麗に纏めてくれたな、礼を云う。」

「いいえ。さて、長引かなけりゃ、良いんですがね。」

「さあてな。それは御前さんの努力と『奴等』の機嫌に因るだろうよ。」


足音一つ立てる事無く畳を踏み、常人では履きこなす事は到底不可能な三枚歯下駄を難無く履き、逆光の下に立つ薬売りの所へと走り寄る


「行きますぜ、伽凛。」

「…はい。」


風も無いのに、鋳物の風鈴が鳴る

嗤うは、人か魔か

或いは






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