朝靄に響く足音。人間どころか野良犬一匹いないような人気のない細い通りをアレンは歩いていた。ふと立ち止まって気づく。何者かの視線を感じ、辺りを見回して視線の根源を探した。すると、こっちに気づいてと言うように錆び付いた看板が揺れる音。全く気づかなかったが店が一軒、そこにはあった。埃っぽい路地だが、そこだけは空間を切り取ったようにさっぱりとしていた。


「人形…?」


大きな四角い窓には外を眺めるように人間の赤ん坊くらいの大きさの人形が何体か飾られていた。華やかで優美な西洋貴族のようなドレスで着飾った人形達は美しかった。うまいものだと窓に顔を近づけて鑑賞していると薄暗い店の奥の方が視界に入った。普通の人間と同じ大きさの人形が一体、椅子に座っていた。首から足首まで隠れるような黒いワンピースを着て、白い何の飾り気もないエプロンをつけていた。服装こそは地味だが今まで見てきたどの人形よりも美しいと思った。
アレンの足は自然と店のドアへ。ドアの掛札はOPENとなっているので店は開いていた。ドアを開けば小さな鈴の音がアレンを迎えた。真っ直ぐにアレンは大きな人形の前に向かい、椅子の手すりに両手を置いて顔を近づけた。吸い込まれそうな瞳に鼻と鼻がくっつきそうなほどに近づいて見入ってしまった。


「綺麗だな…。動きそう…」


白い肌も長い睫毛も黒い髪の毛も、本物のようだった。アレンは恐る恐る手のひらを人間の頬に添えてみた。

人形の目が瞬きした。


「いっ…!?」


『……誰かな?』


「喋っ…え!?に、人間!?」


驚くあまりに尻餅をついた。尻餅をついた拍子に背中が棚にぶつかり、人形がアレンの膝に落ちてきた。口をパクパクさせるアレンに関わらず謎の女は椅子から立ち上がり、尻餅をついたままのアレンの側に両膝をついた。静かな動作で両手でアレンの膝の上に転がる人形を抱え元の位置に戻した。人形の服や髪を直すと、今度はアレンに片方の手のひらを差し出した。


『驚かせて悪かったね。癖なんだよ』


「く、癖?」


『目を開けたまま寝る』


「ハ、ハハ…」


乾いた笑いを浮かべながらもアレンは差し出された手を取った。白い手は暖かくはなかったが、ちゃんと人間のものだとはわかる。しかし、先程は人形にしか見えなかったので不思議な気分だった。未だにどこかにゼンマイがついているんじゃないかとさえ思ってしまうほどだ。


「僕のほうこそすいません…。その…よくできた人形だなぁって思って」


『私が?それともこの子達が?』


「どっちかって言うと…」


恐る恐るアレンは女を見つめた。表情に変化のない女は怒ってるのか困ってるのか、はたまた楽しんでいるのかもわからない。


『正直者は嫌いじゃないよ。私は人形師、名乗れる名前は持っていない』


「それはどういう…?」


『今、ハーブティーでもいれるから適当に座ってもらえるかな?』


「…質問に答えないタイプですか」


さっさと奥に消えてしまった人形師の背中を見ながら溜め息をついた。傍にあった小さな椅子に腰かけて人形師を待つ以外にすることがないので、アレンはおとなしく座った。静まり返った部屋。しかし、たくさんの人形達からの視線でアレンは居心地が悪かった。


「人形師ってことは…あの人が作ったのかな」


『そう、私が作った』


「どぉおい!?」


妙な悲鳴をあげてアレンは飛び退いた。相変わらず人形師は冷静そのもので淡々とアレンの前にハーブティーを置いていった。


『君はおもしろいね』


「本当に思っているんですか?」


『私は嘘が苦手さ』


百人が百人、彼女はポーカーフェイスだと言い切るはずなのに、よくそんなこと言えるものだと多少感心する。彼女が向かいに座ったところで朝のお茶会となった。


『それで?なんでここに来た?』


「なんでって…辺りをうろついていただけで」


『いや、君は来たいと思ったから来たんだ』


「そんなこと言われても困りま…」


『どうやら重症らしい。ここに来るのはそういう人間だけだけどね。君はきっとここにまた来るよ』


「預言者みたいな言い方しますね」


『なら、聞こうか』


人形師はテーブルに両手をついてアレンに顔をズイッと近づけた。アレンは逆に背中を後ろに倒すが特に意味はなかった。


「あ、あの…」


『君の名は?』


「ア、アレンです」


『アレン、君はどうやってここに来たんだい?』


「歩いて、ですよ」


『そうじゃない。こんな朝早くに出かけた理由は?家からここまでの道筋は?言えるかい?』


「それは…」


言おうとした瞬間に言葉が詰まった。言えると思ったのに何も言えなかった。


「お、おかしいな僕…?あれ?どうして、ここに…?そうだ、僕はアクマと…」


『アレン。大丈夫、君は大丈夫』


混乱するアレンの白い髪を人形師は撫でた。それだけで、それだけなのにアレンの混乱はスッと消えてしまった。


『大丈夫、大丈夫。悲しい世界だろうとアレンは頑張れるね?そろそろ、目を覚ましたほうがいい。君を呼んでる人がいる』


「人形師…あなたは…」


『また、おいで』


人形師が笑った。

アレンの記憶は人形師の瞳で途切れた。













耳をつく轟音。誰かが体を揺さぶっているのがわかる。瞼を持ち上げようとしても何かが瞼にくっついている。手で拭おうとしてみたが肝心の手が動かなかった。


「アレン!?アレン!?」


「ん…」


「気づいたか!?」


重い瞼を無理矢理に持ち上げてどうにか視界を確保した。焦ったようなラビの顔がそこにはあった。

そうだ、アクマに不意をつかれて…

瞼が重いのは頭から流れる血のせいで、腕が上がらないのはアクマにやられたのか血が足りないだけなのか。とにかく、あまりいい状態は言いがたかった。意識も確かではないのにアレンが考えているのはアクマでも自分の怪我のことでもなかった。


「大丈夫…僕は大丈夫」


人形師が言ってくれた言葉を魔法のようにアレンは口にした。大丈夫、そんな気がした。

まだ悲しい世界だろうと愛せる、そう言える気がした。





アレン→雲雀→ラビ→スクアーロ→神田→骸→ティキ→ツナ


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