09/28の日記

16:42
ぼっちについての考察
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まず、ぼっちという言葉がある。これはひとりぼっちという言葉を略したものだ。

僕はぼっちという言葉をよく使う…主に自分に対して。

しかしそれは、言葉の響きが気に入っているからであり、−−たとえほとんどの時間を誰ともつるむことがなかろうと−−自分がぼっちだと思って使っているわけではない。

では、何故僕は自分のこの『一人』の境遇をぼっちと思わないか?

…それに対する答は簡単だ。自分が一人だということを苦にしていないからである。

大抵の人は、誰かと共に歩まねば生きていけまい。そして誰かと一緒に行動しなければ苦痛を感じることだろう。

しかし、僕にとってはそれこそが苦痛であり、惨めなことなのだ。

四六時中誰かと居る人間は他人に依存し過ぎているように思えて仕方がない…とまで言うと個人の偏見になるので、そこまでは思ってはいないと念を入れて言ってはおくが。

…他人と上手く生きていかなければ生活としてやっていけないのが『人』であるが、誰しも永遠につるむ必要性など皆無なのだ。

そうすると、とても簡潔な『ぼっち』に対する結論が出てくる。

そう。自分が他人と四六時中一緒に居ないと不安なくせ、一緒に居られない。この現状こそが『ぼっち』なのである。

つまり、つまりつまりつまり。

僕はね、アリス?

君がぼっちだと感じずに生きる為の知恵をひとつ、貸そう。


必要以上に他人を必要としないことだ。

そして自分を強く持ち、自身を信じることだ。


そうすれば、君は強い“アリス”へと成れるだろう。

小さな他者の存在を気にして気を揉む必要などない。

だって君は永遠のアリスなのだから。

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