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共犯者[7]


「仕事…じゃ…」
「明日にまわした」

足元がうろたえて、無意識に一歩後ずさりする。
その僅かな怯みを、銀八は見逃しはしなかった。

「俺がいると不都合、みてえなツラじゃねえか…」

図星を突かれて、こんな時の為に準備しておいた言い訳が一掃され頭が真っ白になる。
否定の言葉が聞けなかったことに、銀八は怒りを露わにした。
いいから入れよ、と無理やり家にあげられる。

「何処行ってたんだ?え?」

上手い口実は今からじゃ作れない。
高杉にはその余裕がないし、目の前の穏やかでない銀八を説得する自信もない。
それらしい理由を並べて、食いつなぐしかなさそうだった。

「…ダチのとこだよ」
「へえ、顔が真っ青になっちまうくらいのダチがいるのか?」

だめだ。どんな回答をしても悪い意味で取られてしまう気がした。

「俺より大事なダチなのか、そいつは」

想定外の質問だった。
あまりに意外な方角からの攻撃に対処できず、一気に袋小路に追い込まれる。
彼が一歩近づき、高杉が一歩下がる。その繰り返しで、ついに壁に追い詰められた。

「何で逃げる…」

恐怖心が高杉の全てを食い荒らし、まさに蛇に睨まれた蛙状態だ。
銀八の掌が高杉の両方の頬に宛がわれる。

「何か隠してやがんな…」

銀八のニコチン混じりの口臭が鼻腔を掠めるほどに近い距離で、見据えられる。

「なに…も……」

目線が泳いだ。自信のなさの表れだった。
無意識な反応とはいえ、それが不注意だったとすぐに後悔するが、

「そうか…ならいい」

彼は呆気なく引き下がった。
ぽかんとした高杉に、唇を重ねてくる。

「腹減ってんだよ、早く飯作れ…」

お腹を摩る仕草。
柔らかみのある口調に、よかった、疑いが晴れた、と高杉はほっと一息ついた。
せっかく早く帰宅したのに何も用意されてなかったことに、腹を立てていただけかもしれない。

「ごめん、今すぐ作るから」

漸く高杉の表情も硬さがとれた。
夕飯作りを理由に早く銀八から遠のきたいとキッチンへつま先を向けると、不意に手を取られる。

「晋助、もう一回こっち向けよ…」

え、と振り向くと、こちらを愛しげな目で見据えている彼がいた。
キスか、抱きしめられるか、そのままセっクスか。
彼がそうしたいというならそうしよう、と高杉は銀八に向き直る。

銀八の拳が高杉の頬を打った。
高杉の身体が宙に浮き、壁に叩きつけられた。



「俺を舐めんなよ、晋助」



何が起こったのかわからず、高杉はそのまま床に崩れる。
数え切れないほどの細胞が一気に死んだのを感覚し、恐る恐る銀八を見上げる。
驚愕した。
一変している銀八の顔付きに、総毛立った。

「見え見えの嘘をほざきやがって…」

顎を蹴り上げられ、喉が仰け反った。
一度重力に逆らった身体が再び項垂れるのを許さず、銀八は高杉の髪を掴んで、膝を立たせる。

「馬鹿にしてんのか、あ?てめえの安っぽい演技で、俺を丸めこめるとでも思ったのか?」

痩せ細った身体はいとも簡単に放られ、地に落ちると力なく横たわる。
そのままサッカーボールを転がすように足蹴にしながら、銀八は高杉をキッチンに導いた。

「ダチだと、ふざけんな…男だろ?ここを、許したんだろっ?俺が出てきた時の、てめえの動揺ぶりは、そういうことだろうがっ」

足で高杉の両脚を抉じ開け、股間を刺激する。
高杉の其処は慄き震えるだけで、快楽には至らない。

「誤解だ…何も…何も、してな…い…」
「まだほざくのか?」
「本当だ…本当に、ただの…っ」

何を言っても無駄だと理解していながらも、ここで事実を認めれば殺されるかもしれない。
相手の素性だって吐かされるだろう。
それだけは防ぐためにも、これは悪あがきだ。

苦痛と切れ切れの呼吸で涙目になっている高杉に、容赦なく暴力が浴びせられる。
内臓が突き出そうな衝撃を、腹にくらった。
のたうち回りたくなるような痛みを緩和するために呻こうとしたが、すぐに頬にも殴打を受け、その術を失う。

「違えって?証拠があんなら見せてもらいてえな」

どうせ持ってないんだろう、と最初から答えを決めつけるような物言いだ。
胸倉を掴み、喉を圧迫してくる。
高杉は首を振った。ない、でも信じてくれ、と訴えるしかなかった。
ぎりっ、と銀八の歯ぎしりの音がした。

「てめえは俺の目が節穴だと…そう言いてえのか?」
「っ、そうは言って…っ」

片手で首を絞め上げられる。引きつった声が、不規則に漏れていく。

「てめえは言ったよな?もっと俺を、見てくれとさ…見てるさ。てめえが俺から離れようとしちゃいねえか、
欺こうとしちゃいねえか、ちゃんと見張ってるさ。てめえは常に俺がそっぽ向いてるとでも思ってんだろうが、
てめえの性格だって、よくわかってるよ俺は」

意外な告白に、高杉は目を見開く。

「ほら、不意を突かれるとすぐにそういうツラをする。豆鉄砲くらった鳩かてめえは」
「………」
「さっきもそうだ。俺が帰ってねえとでも思って、男んとこ行ってきたんだろ、だからあんなビビってたんだろ、違うか?」

呼吸も狭くなり、意識も朦朧としている中で理論立てて問い詰められると、高杉は今度こそ否定できなくなった。
銀八の神経が、切れる音がした。


「俺を、裏切りやがったなっ」


全身が戦慄した。
銀八の拳が何度も空を切る。骨を打ち砕かれる音と、粘り気のある血液が飛ぶ音。
耳を塞ぎたくなるグロテスクな悲鳴。
この野郎、この野郎、と男の罵声。

「痛いっ、痛いっ」

いくら訴えても最初の一文字すら銀八の耳には入らない。
降り注ぐ暴の手から必死に両腕で身を庇うが、それも虚しく腕の骨を折られる。

血の海が出来あがっている。
身体をその上に滑らせて、襤褸雑巾になってもなお、高杉は逃げようとした。
蜃気楼でも見えたのだろうか。ありもしない向こう岸に伸ばした手を、踏みしだかれる。

きっと手の骨も折れた。
だが甚振られ続けた身体は感覚が麻痺し、痒い程度にしか感じられなかった。

高杉の顔は無残なものだった。かろうじて原型を留めている、とでも言った方がいいだろうか。
右目は腫れあがり、ほとんど潰れていた。
両頬は真っ赤でお多福面になっている。涙の流れた痕がいくつもある。
鼻からはとめどなく鮮血が垂れ、歯は数本折られ、床に散らばる白いそれは、綺麗に血の赤と混じっていた。
咳をするたびに、口から血が噴き出す。


「たす…け……」


脳裏に浮かんだ男の背中に、掠れた声を浴びせる。


「誰に助けを求めてんだコラ」


背中を踏みつけられると、その衝撃で喉まで来ていたものを高杉は吐き出した。
べちゃ、と白と赤の液体はやがて疎ら模様に床を染め上げる。

「相手の野郎か?こうまでされても、まだてめえの頭はそいつかっ?」
「ぁ…う…ぁ」

銀八の言葉が雑音混じりのラジオから聞いているもののようだった。

「そいつは誰だ?俺の知ってる奴か?そうだ、この際吐いてもらおうじゃねえか」

びくりと高杉の身体は反応する。
吐いたら間違いなく自分と同じ仕打ちが、彼にも待っている。
否、それよりもっと惨いだろう。

ここまでくれば何もかも吐露したほうが逆に楽かもしれない。
相手は近藤です、ごめんなさい。でも自分は銀八のほうが好きだと気付きました、もう二度とこんなことはしません、
一生銀八のものでいます、と。
簡単には許してくれないだろうが、黙っているよりは遥かにマシだと思った。

「…何の真似だ」

だが高杉はよろよろの身を起こし、手をついて土下座の姿勢を取った。
鼻血が止まらず、手元を汚していく。


「ごめんなさい…」


銀八の表情が揺らぐ。
あやまってきた、ということは、高杉が浮気の事実を認めたことに繋がるからだ。

「俺が誘ったんだ…脅して…誘ったんだ……だから、そいつは何も…悪くねえから…」
「………」
「ごめんなさい…」

好きかどうかと言えば、銀八のほうが好きだ。
これだけ酷い仕打ちを受けた今でも、そうだと答えられる自分が滑稽だが。

だが近藤は銀八にはない、いいものを持っている。
いい奴だった。人間としても、一人の男としても。
共犯者だなんて汚名を着せてしまったこと、面と向かって謝りたかった。
でも今更だ。だからこれ以上巻き込まないことが、銀八の怒りの鉄拳を自分だけの身に受けることが、せめてもの償いだと思った。

「そら、俺の言うとおりだったろ?はっ」

勝ち誇った者の言う台詞だが、そう受け取れなかった。

「てめえが誘ったから…『相手は悪くねえ』と……なあ…?」

一気に瞳を濡らしてこぼれ落ちそうなそれを、唇を噛みしめて銀八は堪える。

「その言い草がムカつくんだよっ」

カッと見開いた目の切れ端から、涙が散る。
自分でもよくわからない感情に苛まれ、もがいた果てに銀八の足は、高杉の左目を突きあげた。

「うわあ″あ″あああああああああああああああああっ?!!!!」

奇声を発した高杉が左目を抑えて蹲る。
目周りの神経がビリビリに破けたようだった。
銀八はその光景を呆然と見据えていた。
自分のした事の大きさを知り、しかしそれが映画でも見るような感覚に留まっているのだ。

高杉の指の隙間から血が滴る。銀八の一撃で左目は抉られたのだ。
激痛に高杉は転げまわる。
断末魔に等しい叫びで、喉が枯れ果ててしまうのではないかと思った。

「し……」

晋助。


それは不可抗力だった。
銀八の身体が揺らぎ、高杉の身体に覆いかぶさる。

二人して床に倒れ込んだ。
未だに苦痛に息を切らせて小さく泣いている高杉を、言葉にならない衝動に襲われて、
銀八は後ろから抱きしめた。


「馬鹿野郎…俺には、お前しかいねえのに…っ」


自分の方が傷ものみたいに、高杉の背中に顔を埋める。
泣いている彼に怒りと悲しみと、愛しさと。色んな感情が高杉の中で入り混じった。


「嘘…つき…っ」


この、嘘つき野郎。死んでしまえ。
高杉は泣きながら、銀八を罵った。

どうしようもないのであった。
自分のことを棚にあげて、暴力をふるって、裏切り者よばわりして、最後は自分は悪くない、みたいに泣いて。
何歳のガキなんだこいつは、と思うほどに。

それでも、それでも自分は、この男が好きなのか。
何て馬鹿なんだ。だけどこの先も同じことの繰り返しになるんだと思う。
この男もそれに甘んじてるにちがいない。
それでもいいのか。

それでも、お前は、この男を愛するが故に許し続けるのか。

この男を甘やかすのか。

この男に殺されることを、望むのか。













否。









漠然としていたとある決意が今、高杉の中ではっきりと形になった。
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