黒籠
□ペア・マグカップ
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一緒に住みませんか?そう言われたのは一昨日の午後。
黄瀬が大学に入って一ヶ月。桜はすっかり散って新緑が目立つ梅雨前は、爽やかな風と少しの熱を運んでいる。
互いの授業が終わってカフェで落ち合い、近況を話していた延長線上に飛び出た言葉は俺の思考を止めるには十分だった。
黄瀬とはいわゆる恋人同士で、男女の恋愛とは遜色ない交際をしている。今更口ごもるまでもない事だって幾度となくしてきた。
それでも突然同棲しませんかと提案されれば驚く。しばらく思考停止していた俺だったが、黄瀬の微笑みに自然と頷いていた。
それからの黄瀬の勢いはそれはもう凄いもので、とりあえず明後日買い物行きましょう!と意気込まれ、現在待ち合わせの駅前に立っている状態だ。
「……なんでこうなったんだっけ」
頷いてしまった自分を殴りたい気持ち2割、黄瀬との同棲……いや、ルームシェア準備を楽しみにしている気持ち8割。チョロいな俺。
黄瀬と俺は大学こそ違うがそれなりに近いし、二人の中間駅周辺は物件が多く店も豊富だ。ルームシェアにはもってこいだろう。同棲と言うのは少しだけ抵抗がある。
ところで黄瀬は買い物と言ったが、一体何を買うのか。まさか家を買うつもりじゃないよな。そうじゃないと願いたい。
「清志さん!」
改札口から黄瀬が出てきた。周りの女の子たちが軽くあげた黄色い悲鳴など気にもせずまっすぐに俺の方に駆けてくる。うん、今日の私服もかっこいい。
「すみません、電車遅延してたっス」
「いいよ。で、何買うんだ?」
「マグカップ買おうと思って!ペアの!」
「……はい?」
ど……ルームシェアを始めるには何よりも部屋決めが優先されたはずだが、俺の認識は甘かったらしい。
黄瀬はキラキラとした目で俺の顔を覗き込んだ。それに気圧され身を引きそうになるが、ぐっと堪えて疑問を口にする。
「家はどうすんだよ。先にそっち決めた方がいいだろ」
「ああ、大丈夫っスよ。もう目星はつけてるんで」
黄瀬の言葉に首を傾げる。「清志さんも絶対気に入るから!」と、ずいぶん自信があるようだ。
多少思うところがあるが、いつでも選べるわけだからふうんとだけ返す。黄瀬は急かすように俺の手を引いて歩き出した。
***
「大きめの方がいいかなあ……でも大きいと重いし……ねえ清志さんどうしよう」
「……うん、あのさ……い、いつまで手握ってんだよ」
「?いやっスか?」
「嫌じゃない、けど……っ」
周りの視線が痛い!
約190pの男二人が手をつないでマグカップを選んでいるなんて誰が見ても「友達」では片付けられないだろう。
若い男女のカップルや子ども連れの女性がチラチラとこちらを窺っているのが感じられていたたまれない俺の隣で黄瀬はのんきにあれこれ手に取っている。
ていうかこんなところファンに見られたらどうすんだお前。事務所に怒られるんじゃないだろうか。
カップを吟味する余裕が一かけらもない俺の目の前に、突然白い物体が現れた。
「これめっちゃかわいくないスか!?取っ手のとこ腕になってる!」
「あ?ああ……もうちょっと底深いほうが良くね?」
「確かに小さめかも……あっ、大きいサイズある!見て清志さん、色もたくさんあるっスよ!」
はしゃぐ黄瀬を見てかわいいなあなんて思ってしまう俺も大概だ。結局手はつながれたまま。
黄瀬がレモン色のカップを持ってはみかみながらこちらを振り向いた。
「俺と清志さんの色だ」
嬉しそうな笑顔に思わず頬が染まる。俺はいつの間にこんな乙女になってしまったのか。
無意識に口から流れ出た言葉はほだされたということにしておきたい。
「……それにするか」
「え?」
「ちょうどペアだし」
「ほんと!?やった、レジ行こ!」
ぐいぐいと引っ張られながら前の揺れる黄色を見つめる。
数十分後には二つのレモン色のマグカップが机の上で腕を組んでいるのだろう。それまでこの手を離さないでおくのも悪くないかもしれない。
ペア・マグカップ
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