黒籠

□家の鍵
1ページ/1ページ




マグカップを買った次の日。黄瀬に呼ばれてまた駅に向かった。
今日は俺も気に入るはずと断言していた家を見に行くらしい。立地が良ければいいので特に文句を言うつもりはないが、そこまで言われれば期待してしまうのが人間だ。
まあ黄瀬がいればどこだっていいのだけれど。

昨日と同じ場所に行くと既に黄瀬が立っていた。今日はあいつの方が1限早く終わったようで、落ち着きなくピアスを弄っている。


「清志さん!」


駆け寄るとぱっと花が咲いたような笑顔で名前を呼ばれる。女子が騒ぎ出すようなこの顔が今は俺だけに向けられていると思うと少しの優越感を抱いた。
昨日の柔らかいパステルカラーで染められた服もいいが今日のような派手なピンクも似合う。これから毎日黄瀬のファッションを思う存分見つめられる。うん、なかなか悪くない日々だ。

なんて陽気にやられた頭で考えている間に連れ回されていたようで、目の前に真っ白に塗られた小さなアパートが現れた。


「ここっス。駅に近いから周りにも色々あるしここら辺車通らないから静かだし、結構いいでしょ」


誇らしげに見つめてくる顔に気恥ずかしくなって横を向く。中入れんのと小さく聞けば手をぐいぐいと引っ張られた。


「もちろん!1階の右側っスよ。このアパート、部屋4つしかないからあんまりご近所さんいないけど」

「他の部屋うまってんの?」

「らしいっス。ええと、確か隣が老夫婦で真上が姉妹で住んでて、左上は4人家族って言ってたような」

「結構賑やかだな」


ご近所付き合いが上手くいくといいが。隣はどうだか分からないが2階の住人は黄瀬に気付くのではないだろうか。同じ大学でもなく同校出身でもない男と住んでると知れたら何をどう言われるか分かったものではない。

俺の心配なんざ全く知らない様子で黄瀬は鍵を差し込んで回した。
さすがにマネージャーには話しているだろうが今ではだいぶ顔も売れてきているモデルが、アパート住みというのは如何なものか。アパートが悪いわけではないが事務所の目が届きにくい所に住むのも云々。


「清志さん?おーい」

「え?ああ悪い、考え事してた」

「もー……どうせ俺の仕事に支障でないかーとか考えてたんでしょ?」


目を眇めて断言され言葉に詰まる。まさにその通りで否定する材料などなく、声にならない声が喉から出た。
黄瀬は重い息をついて目を眇めたまま腕を組んだ。


「ちゃんとマネさんには俺らのこと話してあるし事務所にも話通してんだから。その上で一緒に住みたいって言って許可もらったんスよ。清志さんのせいで仕事減るなんて絶対ないから、あんまり考え込まないで」


真剣な言葉に言い返す一言などなく。本人がここまで言うのだから、確かに俺が悩むことなどないのかもしれない。
くしゃりとかぶりを振って息をひとつ。


「ごめん、悪かった。」

「いいっスよ。清志さんがどれだけ俺のこと好きか分かったし」

「ああもううるせえな好きだよばーかさっさと入れろ」

「はーい」


それはもう嬉しそうに笑う黄瀬の顔が眩しすぎて直視出来ない。ちくしょう好きだ。
思わず早口になって鍵の開いた扉から一歩入る。

外から見ると小さい印象を受けたが、中に入ると結構広い。まだ物がないせいもあるだろう。真っ白の壁は汚れひとつなく、管理が行き届いているのが見て取れる。大きめの窓からは光が射し込んで日当たりも良い。


「お前が自信満々だった意味が分かった」

「ね、いいとこでしょ?」


得意満面で俺を見る黄瀬の頭をひと撫でして頷く。黄瀬がふふっと笑い声をもらした。

ベランダもそれなりに広く、家庭菜園じみたことも出来そうだ。なんてつらつらとひとり考えていると、小さな音がして目の前に光る何かを差し出された。


「こっちは清志さんの分。3つ作ってもらったから、あと1つは引き出しにでも入れておくっス」

「これ……」


差し出されたのは、銀色に光る小さな鍵。
手の平で受け取ったそれを一目見て顔を上げる。少し照れたような、でも嬉しそうな顔の黄瀬と目が合った。


「これからよろしくお願いします、清志さん」


その顔につられて俺の口角も自然と上がり。
今の俺は情けないくらいに緩んだ顔をしているに違いない。


「よろしく」








家の鍵





.

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ