黒籠

□Xの誤算
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*刑事と怪盗パロ



怪盗。正体不明で神出鬼没、魔法のような様々な手口でお宝を盗み出す盗賊。


「とかかっこよく言っちゃってますけど、ただの泥棒じゃないスか」


怪盗の文字を辞書で引いたらしい後輩の不機嫌そうな声に、先輩として注意する可きか否か。笠松はなんとも言えない顔でまあなと曖昧な返事をした。

いつの時代にも凶悪犯というのはいるもので、犯人1人の為に何十人、時には何百人もの刑事が動くのは珍しくない。犯罪者はそれこそ十人十色、ハッカーだったり殺人犯だったり強盗に詐欺に脱税など挙げればキリがないが、笠松と先日配属された黄瀬が担当するのは怪盗だ。
辞書にある通り、正体不明で神出鬼没な彼ーいや、恐らくは彼等ーは律儀に予告状を寄越してきっちり守った上で美術品を掻っ攫う。
彼とは言ったが性別も分からず証拠は残さない。仕掛けた罠もうまく潜り抜ける様は敵ながらあっぱれと言ったところか。しかし中々こちらの神経を逆撫でするのである。思わず眉間に皺が寄る笠松だが、黄瀬の声に我に返った。


「本当に何も分かってないんスか?その怪盗Aとかいう……」

「Xな」

「どっちでもいいっスよ!警察が通称として呼んでるだけって言ってたじゃないスかあ!」

「通称いっぱいあっても困るだろうが」


黄瀬の言い分に笠松はため息をつく。予告状は寄越すものの名前らしき文字は一切無く、ただ黄色い蛍光ペンでスマイルマークがサインとでも言うように描かれている。
最初に見た時は馬鹿にしているのかと青筋が立った。どう見たって子どもの落書きだ。今でも見る度に舌打ちをしたくなる。

スマイルマークのコソ泥と苦々しげに呟くには長く、ただコソ泥と呼ぶには質が違い。結局怪盗Xという、聞こえがいい呼び名が定着してしまった。あれは誰が言い出したのだったか。


「Xについては何にも判明してねえって言ったろ。予告状にスマイルマークが描かれていて、時間きっかりに盗み出す。それだけだ」

「誰も見たことないんスか?」

「姿自体はあるな。だが性別が分かるほどはっきりと見た奴はいねえ。あとは今までの行動からして恐らく2人以上って事くらいだな」


ぶすくれた顔の後輩を宥めるように説明していると、扉が開いて黒髪の同期が顔を出した。
その顔を見とめて笠松はげっと声をあげる。


「かっさまつー!昨日オープンした定食屋行ったら美人な娘さんがいたんだ!今度お前も一緒に行かないか!」


キラキラと目を輝かせる同期を、婦人警官たちが「残念なイケメン」と形容していたのを思い出し、なるほど確かにと頷いた。
黙っていればそれなりにモテるであろう森山は口を開けば9割がた女性の話である。
……そうだ、こいつだ。3通目の巫山戯た予告状が来たあの日。名のない泥棒は呼び名がなければないで色々不便だと呟いた時。この男が言ったのだ。


「このご時世泥棒って言い方はちょっとなあ。怪盗なんてどうだ?正体不明だからXで、怪盗X!うん、中々良い!」


何が良いものかと頭を張り倒そうとした時、じゃあそれで、と鶴の一声を発したのは捜査班の班長だった。
呼び名はあればいいのだから何でも良かったのだろうが、だからってこんな漫画のような呼び名でいいのか。当時の笠松は呆気に取られたが班長が良いというなら良いのである。しかしいまだに呼び名には抵抗があるので笠松はただXと呼んでいた。

締まり無く笑う目の前の男が図らずも呼び名を決めてしまったのを思い出して、笠松は無言で森山の脛を蹴る。途端に悲鳴をあげて騒ぎ出す森山を、特に驚く素振りも見せ黄瀬が痛そーとからから笑った。


「何するんだよ笠松」

「なんかお前の顔見てたらムカついてきた」

「理不尽だし酷い!」

「うるせえ。それより明日だろ予告日。対策は進んでんのか?」


笠松と黄瀬は罠が仕掛けられていないか調べたり逆に罠を仕掛けたり、主に現場で動く。比べて森山は情報を収集し仕掛ける罠を考える裏方の立場だ。その為現場で共にいる事は少ないが、捜査を円滑に進める上でよく顔を合わせている。

笠松に尋ねられた森山は一瞬で真剣な顔付きになり、くっと柳眉を寄せた。一連の動作にいつもこの顔なら間違いなくモテそうだと笠松は顔の下で思った。


「今まで2人以上って言われてたけどついさっき2人って断定したんだ。人が多すぎるとああいう犯罪はし難いけど1人じゃどうしても間に合わない」

「3人とか4人って可能性はないんスか?」

「盗む流れとか計画の立て方からして2人としか考えられないんだよね。前回でやっとパターンが見えてきたよ」

「じゃあ今回の対策は期待できるのか?」

「少なくとも1人は引っかかる。……と嬉しい」


突然声を小さくして付け足した森山に、笠松と黄瀬はがくりと肩を落とした。
黄瀬が視線をそらす森山をじとっと見遣る。


「嬉しいって、本当に大丈夫っスかそれ」

「いやーだってさあ、奴等頭良いんだもん。でも収穫はあるよ絶対」


こちらとしては早急に逮捕し、盗まれた品々を回収したいのだが、思い通りに事は動いてくれないものである。
弱音は吐きたくないが逮捕の目処も立たない状態だ。情けない事に今は状況に着いて行くのが精一杯で、進展も目覚ましくない為人員もあまり割けなくなってきている。
黄瀬がこの時期に入ってきたのは本当に幸運だ。本人曰く「頭は回らないが体には自信がある」らしい。2課に回されなくて良かったと笠松は有望な後輩を見て思った。


「お前は明日現場デビューだからな。気ィ引き締めろよ」

「はいっス!絶対怪盗Aを捕まえます!」

「だからXな」



***



予告日。怪盗Xの今回の標的は大人1人は余裕で入れる程に大きな壺だ。鮮やかな青で塗られた光沢のあるその壺は、なんでもその道の巨匠が作り上げた傑作らしい。巨匠亡き後、現在は美術館に展示されている。
笠松にはいまいち価値が分からないが。


「こんなん盗んでどうすんだか……」

「そもそもこんなでかいのどうやって持ってくつもりっスかね」

「そこは森山達も考えたらしいが断定は出来なかったみたいだ。壁壊して盗ってく可能性もあるから注意しろ」

「了解っス」


予告時間が迫っている。笠松は黄瀬を既定の位置に戻らせた。笠松も位置に戻って壺を見遣る。
予告時間まであと少し。緊張感のあったフロアの雰囲気が一気に張り詰める。今か今かと待ち構える刑事達の間に言葉はなく、息遣いさえも聞こえない。
壺が一瞬光った気がして笠松が目を凝らした瞬間、パチンと指の鳴る音がして電灯が消えた。


「照明を点けろ!」


上司の声と共に用意されていた照明が一斉に点く。突然の光に誰もが一瞬目を閉じた。
次に笠松が目を開けた時、既にあるはずのものはなく、代わりに燕尾服を着た人物が立っていた。真っ白な仮面を付けた燕尾服は、我に返った刑事達が一斉に飛びかかったタイミングでジャンプする。
どこかに着地するかに思われたが燕尾服は空中でぴたりと止まった。その時やっと笠松は、電灯が消える瞬間に見た光が透明の糸が反射していたものだと気付いた。

初めからそこにいたのか。どういう仕組みかは知らないがとにかくそいつは初めからいた。思わず舌打ちをする。毎度毎度苛つかせてくれる怪盗だ。

燕尾服の仮面から明るい髪が覗いている。肩に届くくらいの長さ。消えた壺の代わりに立っていた時を見てもだいぶ背が高い。黄瀬とそう変わらないだろう。ここまで近くで見て分析出来たのは初めてだ。


「男……か?」


今まではマントを羽織っていたり一瞬しか現れたりしなかった為に性別すら不明だったが、体つきからしても男だ。
と、そこで笠松は燕尾服がある一点を凝視しているのに気付いた。ぴくりとも動かず見つめている先を辿ると、身構えている後輩が視界に入った。
黄瀬に何かあるのか。考えようとした瞬間燕尾服が声を発した。


「初めて見る顔だな。新人か?」


よく通る高めの声にその場の全員の動きが一瞬止まり、その次に何人かがざっと黄瀬を見た。残りは燕尾服を捕らえようと動きを再開する。
自分の事を問われているのに気付いた黄瀬が目を丸くして、助けを求めるように笠松を見た。

正直見られても困るのだが。助けようなどないしどうしようもない。
怪盗が視界の端で揺れた気がしてはっと視線を戻す。

笑った。仮面の下でそいつは確かに笑った。
怪盗が燕尾服を翻した瞬間もうもうと煙が立ち込め、視界を奪われる。煙が晴れた時にはもう姿はなく、ただ高い声が響いた。


「気に入った!その新人、捜査から外すなよ!」


どこからともなく聞こえる声に辺りを見回すが代わり映えしたものはなかった。と、笠松は壺があった場所に何かがあるのに気付いた。
そっと近付くと、一輪の薄いピンク色をした花が置かれていた。先にいくつも花をつけたそれは今取ってきたかのように瑞々しい。


「これまで用意してたってことか……?つーかなんだこの花……」

「先輩!大丈夫っスか!?」

「黄瀬か。そりゃこっちのセリフだ。なんでお前気に入られてんだよ」

「うわああ……やっぱり最後の言葉気に入ったって言ってたんスか……オレなんもしてないのに!」


頭を抱えて唸る後輩に苦笑を禁じ得ず頬が緩んだ。怪盗には逃げられてしまったし、あとは退散するしかないだろう。森山の言っていた罠には引っかかったのだろうか。それも後で確認しなければならない。

黄瀬が笠松の手元を覗き込んでいるのに気付いて、ついでとばかりに問う。女性に人気のこの後輩なら自分よりは花に詳しいだろうという期待を込めて。


「これなんの花だか分かるか?」

「多分だけど……ダイヤモンドリリーじゃないスかね」

「ここに置かれてたんだけどよ、なんか意味あると思うか?」

「花の意味ならやっぱり花言葉でしょ。確か『また会う日まで』って意味っス」


その言葉を聞いてふっと何かが笠松の脳内をよぎる。
怪盗の初めての言葉。男にしては高い声。目の前の後輩。もしかして。


「この花、お前宛じゃね?」

「えっオレ?なんで?」

「捜査外すなってセリフとダイヤモンドリリーの花言葉から考えてお前しかいねえ。気に入られたみたいだしな」

「え……ええええ!?」


どうやらこの新人は怪盗すら惹きつけるらしい。
青ざめた顔で絶叫する後輩がなんとなく可哀想で、笠松はぽんと肩に手を置いた。








***
ヤツはとんでもないものを盗まれました

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