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□難しきは其の心(*)
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《二十日前》
それは新しい薬剤実験中の出来事だった。
何時もの様に真剣な眼差しで薬剤の調合比を思案するマユリの姿を見付けてしまった喜助は、つい自分の仕事をそっちのけでカレに近寄り、その横顔を見つめていた。
「……何だネ」
その視線に気付いたマユリは喜助をギロリと睨むと、不機嫌そうに眉を寄せ呟いた。
「いやぁ〜。お仕事中のマユリさんもまた男前で、つい見とれてしまいまして」
それは事実。
喜助はマユリの研究に向かう真剣な横顔を見ることを、密かな愉しみにしていた。
しかしマユリは元来、研究に没頭していくにつれ他人を寄せ付けることを良しとしない人物だ。
だから、用もなく自分の周りを彷徨く喜助の存在が疎ましくて仕方がない。
「邪魔だヨ…」
「まぁ、そうおっしゃらず!
マユリさん…、アタシは貴方のお仕事中の姿を見ているだけで幸せなんスよ」
うっとりと微笑んで、喜助は徐にマユリの頬に触れた。
「それにしても、昨夜の貴方のアノ姿…。
ふふッ…思い出しちゃったら仕事も手に付かないっスね。
本当に、昼間とのギャップときたら!堪らないっス…」
前夜の熱い情事の事などを思い出し、喜助は溜め息混じりにニンマリとした笑みを浮かべた。
それはへらへらとした、かなりの阿呆面である。
それに気付いたマユリは、嫌な予感に僅かに表情を曇らせた。
喜助のこのムッツリとしたニヤケ顔。
何かしでかす前兆である事を、マユリは既に理解していた。
じりじりと自分に近付く男が、忌ま忌ましい。
「お、い…浦原、何だネ?
今実験中なのだヨ、これは溶解度の高い薬液なのだからネ…落としたら危なッ、いっ!?」
しかしそんなマユリの言葉など、既に喜助の耳には入っていなかった。
喜助はマユリの白いうなじに自らの顔を近付けると、瞬間チロリとソコに舌を這わせた。
更にはマユリの細腰に、いやらしく手を這わせ触れていく。
「ッ!き、さまっ」
右の首筋から頬をねとりと舐め上げられ、マユリの目が大きく見開かれた。
ここは研究室内。
周囲には、少し遠くとも他の局員達が居る。
全く以って信じられない行動を取る男にマユリは怒りを通り越し、頭がおかしいのではないかとそれまで何度も疑った。
浦原喜助という男が昼夜問わず、同じ男である自分に見せる変態じみた言動だとか。
それを他の局員に見られてしまうという羞恥心や道徳心など、マユリは毛程も持ち合わせてはいなかった。
だがしかし、己の研究にまで邪魔をする喜助の近頃の行き過ぎた性的な言動を、マユリは常々許すことができずにいたのだった。
「おい、浦原ッ…キサマいい加減にし給えヨッ!
四六時中ワタシの周りをウロウロと、お陰で仕事にも集中できないのだがネッ!?」
苛立つ気持ちを抑え切れず、マユリは突然と椅子から立ち上がりそう叫んだ。
そして手に持ったフラスコを溶液ごと、喜助が立つ傍の壁に投げつけてやった。
ガシャリとした音を立て、見事に砕けたフラスコ。
そして薬液は壁に飛び散り、みるみる内に技局部特注の強化壁の表面を溶かしていった。
「副…局長っ…!?」
突然のマユリの行動に、局員皆が驚き二人を見遣る。
喜助も突然のマユリの怒りに驚きつつも、仕事中の行き過ぎた自分の行為に気付き、反省した。
「あの、マユリさん…すみません。アタシつい、」
「黙れッ!!」
しかし喜助の言葉は、マユリには届かない。
金切り声でピシリと遮られた、喜助の言葉。
マユリは怒りに目を血走らせ、躯を震わせていた。
本気で怒ったマユリに、局員の誰も手出しができる筈もなく。
そして本当に唐突に、その言葉は喜助に突き付けられたのだ。
「浦原ッ!お前のような獣と、共に仕事するのも忌ま忌ましヨッ!
キサマは暫く、ワタシに近寄るんじゃアない!!」
呆然と立ち尽くす喜助の腹に渾身の一蹴りを入れたマユリは、そう吐き捨て技局から出て行ってしまったのだ。
*
「あれからもう三週間以上…。マユリさんは全くアタシとお話しして下さらないし。
何がそんなにいけなかったんスかね…」
寝具の上で仰向けになったまま、喜助は再びポツリと呟く。
喜助にとって、マユリと過ごす時間は何事にも変えることのできない大切なモノであって。
仕事中以外での(日常的な)己の過度な愛情表現としつこさがマユリの怒りをかっているなどとは、露ほども気付いていないのだった。
《 三週間 》
マユリに触れていないその期間が、喜助には永遠なる刻の経過のように思われた。
*