リクエスト・企画作品置場

□難しきは其の心(*)
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「やっぱりここは男として。マユリさんにもう一度、きちんと謝るべきっスよね…」



だらりと下げた精液塗れの己の手が少々乾燥してきた頃、喜助はふとそう思い至った。


元来恋愛に対して積極的である喜助には。
マユリの不明な怒りと、カレに触れることの出来ないこの拷問にも似た日々が、心身共に大概我慢できないものになっていた。

解らぬなら、やはりマユリ自身に問い掛けるしかない。

マユリの不機嫌の原因を悶々と考えるだけのこの不毛な時間。

喜助の胸中にはその内に、二人の間にせっかく成立した《恋人》という定義が脆く崩れてしまうのではないかという、そんな不安もあった。



マユリとの恋愛に於いて。
ぐずぐすとした女々しい悩みや恋の駆け引きを楽しむ程の余裕さえ、今の喜助には存在しないのだった。



ぼりぼりと己の頭を掻き。

乱れた寝間着の着流しを簡単に整え立ち上がると、喜助は意を決した面持ちで自室を後にした。





想い人に、逢いに行く為に













マユリの居室はちょうど、喜助のそことは廊下を一つ隔てた対極側に在る。

二人が恋仲になってからも、喜助がカレの部屋を訪れる機会はそうはなかった。


夜も更け暗くなった廊下を、静かに歩き進める。

ギシギシとした床の雑音が今は疎ましくある程に、喜助は極力霊圧を消してマユリに気付かれないように足を運んだ。



廊下を暫く歩き、突き当たりの壁を右に曲がった先に、目的の部屋が見えた。

マユリの寝室の隙間から仄かに灯の筋がもれて見えたので、喜助は瞬間ビクリと身体を奮わせる。

それは恐怖感や驚きなどではなく、久しくマユリに近づけずにいた喜助の喜びと興奮。



襖を隔てた向こうに、マユリの存在があるのだと思えば。
喜助の胸はただそれだけで熱く拍動するのだった。





『マユリさん、やっぱりこんな無断でお部屋に伺うなんて…。怒りますよね…』




心中そう呟きながらも。
喜助の躯はその思考と関係なくマユリの部屋の前に立ち、襖に指を掛けていた。

そしてほんの少しだけ襖を開けて部屋の中を覗き込むが、しかしそこにマユリの姿は見当たらなかった。

ならばもう少しだけと、喜助は速る鼓動を感じながらも襖の間を再び開く。

喜助が自分の肩幅程に襖を開けた頃、やがて右奥の方にマユリの姿を見つけた。


マユリは簡素な寝床に俯せの格好で、腕に顔を乗せたまま寝入っていた。
枕元に何冊かの開かれた書物が置かれているのを見ると、どうやら書物に目を通している内にそのまま意識を手放してしまったのだろう。



マユリにしては珍しいその寝姿に、喜助は微笑んだ。




マユリが寝入っているのを認め、喜助はそろそろとカレの自室へと足を踏み入れる。


そこはかとなく香る消毒液の臭いと、必要品以外一切存在しないマユリの部屋。
カレにとって研究に関わるモノ以外、その必要性は極めて小さい。

そんなマユリの心に少しでも、自分という存在が意識付けられているのかと思えば。
喜助は何か特別な優越感を感じられるのだ。





ゆっくりと、喜助は横たわるマユリの枕元に近付く。
真上からでは、俯せで寝入るマユリの顔を見ることはできないが。
薄い掛け布団から浮き出るカレの細い躯のラインと灯に照らし出された手足が、喜助の欲を再び刺激した。



「マユリさん…、」



本当に小さくそう呟いて。喜助は静かにカレの枕元に腰を降ろしてその顔を覗き込む。



頭元に備えられた淡い行灯の灯が、マユリの姿をぼんやりと映し出し。
いつもより暗い蒼の髪が乱れてカレの顔を隠していた。

その姿は寝息すら聞こえず、本当に生きているのか不明な程。

一瞬不安になり顔を近付けてみると、マユリの瞼は僅かにピクピクと動き喜助を安堵させた。





喜助は更に少し顔を近付けて、マユリの顔を覗き込んでみた。

顔半分を隠す意外に長い蒼髪を慎重に寄せ流していけば、いつもの奇異な塗化粧を完全に取り去ったカレの素の顔が現れた。



マユリの素顔はとても端正な造りをしていると、喜助は思う。

髪より少し濃くて長い睫毛と、筋高い鼻梁に薄い唇。
少々痩せ過ぎな為に浮き出た下顎のラインや首筋・鎖骨は喜助のお気に入りだった。



何故いつもあの様な奇妙な化粧で素顔を覆うのかと、喜助は何時かマユリに聞いてみたことがある。



確かカレから返ってきた答えは、
『美しいからだヨ』
と、何とも理解し難いものだった。










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