主文

□好きだから
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「浦原、次の研究の企画書と予算の件なんだがネ…」


喜助が技局の廊下を歩いていると、後ろからマユリが声をかけてきた。



「…何スか、マユリさん」

喜助はチラリと後ろを振り向くと、極力短かな言葉で言葉を返した。

技局の局長と副局長という立場上、二人が話し合わなければならない事は存外に多く。

マユリを徹底的に無視するという喜助の計画だが、流石に業務に支障をきたす訳にはいかず。
ここ一週間も、仕事上の話しだけは交わしていたのだった。



「企画書は完成したんだがネ、それに伴う材料と予算が不足しそうなのだヨ」



近寄るマユリから企画書を受け取ると、喜助は黙ったままパラパラと書類をめくり読んだ。

マユリの研究に対する熱意はいつも相当なもので、その内容も興味深いものが多かった。

今回の企画書を眺めてみても、いつもなら喜助が大絶賛するような内容である。




喜助がチラリとマユリを見遣ると、彼はまるで好奇心一杯な子供のような顔でこちらを見つめている。

きっと今回の研究内容にもそれなりの根拠と自信を持っており、喜助からの称賛の声を期待しているかのような、そんな表情だった。





『ああ…、またそんな嬉しそうな可愛いらしい顔をして…。今すぐ抱きしめたいっスよ!』



喜助は心中きゅんとするマユリへの愛しさを募らせながら、平静を装う努力と闘った。





「ああ、了解しました。
予算の方はまた上と掛け合ってお知らせしますね」

「……エ?」





何とか平静を保ったまま淡々と返答する喜助に、マユリは不思議そうな視線を喜助に送った。



いつもなら歯が浮きそうな程の、浦原からの世辞がない。


それどころかこの所、浦原のヘラリとした間抜け面さえ見ていない気がする。



何かおかしいと。マユリの心に、妙な引っ掛かりが芽生えた。






「おい浦原、キサマ体のどこかおかしな事があるんじゃないのかネ…?」

マユリはその違和感を、喜助の体調不良だと思いこんだ。

少しだけ近付いて、喜助の顔を覗き込むマユリ。



「…何でも、ないっスよ。 急いでるんで、アタシ失礼しますね」

突然近付いてきたマユリに、喜助は驚いたように後ずさった。





毎日のように彼の姿を盗み見るばかりだった、この一週間。



『マユリさんがアタシを、心配してる―?』



目前に迫るマユリの存在と、自分を気遣うような言葉さえ発する彼の姿に。

喜助の心は瞬時に高鳴り、そして嬉しさに震えた。







「私に、嘘を…?」

しかし不愉快極まりない表情と声で、マユリが呟く。



「マ、ユリさん…?」


「体の故障ならば、私が無料で治してやらんでもないヨ…?
キサマの仏頂面を見ていると、こちらまで気分が悪くなる。
さぁ、どこに不具合があるのかネ?」



そう言って、更に近付くマユリの体。



指を伸ばせば彼に届きそうな距離に、浦原の理性はギリギリに正常を保っていた。












当初の計画。

本当はもっともっと冷たく無視をして、マユリの中に自分の存在を植え付けたかった喜助。



しかし一週間もマユリの姿を盗み見ることしかできなかったストレスと、直ぐにでも彼に触れられそうなこの距離が、喜助の理性を奪ってゆく。





「うらはら…?」



警戒心もなしに、少し不機嫌に眉を寄せて迫るマユリに、喜助の理性はプツリと途切れた。










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