AnothersideStories
□赤いサンダル
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音のないスローモーションの世界で、椅子が飛び、本が投げつけられ、CDは割れ、壁に叩きつけられた無印の羽毛のクッションが古く曲がった画鋲に引っ掛かり破け、その羽が舞う有様はさながら天国を連想させた。
怒鳴り声、罵倒、叫び。
私も興奮して何か喋ってるけど自分の耳には何も入って来ない。
同じ様に彼が私に投げつける汚い言葉も私の耳には届かずに、怖いほどの無音の世界で私達の時間だけがスローモーションで進んでいるかの様だった。
振り下ろされた右手、飛んできたマグカップ、蹴り上げた右足。
一瞬視界が遮られ、暗黒と飛び散る火花のフラッシュバック。
もう終りだな。
その瞬間に、決まった。
心の何処かで判り切ってはいたけど、悪足掻きをしてた。
悪いのは一方的に、私だ。
争うお互いの怒声は聞こえなかったけど、窓の外に降る雨音だけははっきりと耳まで届いていたのを、鮮明に覚えている。
それでよかったのかも知れない。
彼が私を罵る言葉を覚えていない、聞こえていないのは、幸運だったと思う。
涙で顔がぐちゃぐちゃになっていたであろう私の顔を、最後に掴むように力一杯抱きしめた彼の、絞るような「ごめん」だけを覚えていられたから。
謝るのは、私だったのに。
どんなに殴られたって、どんな汚い事を言われたって、自業自得なのに。
しょうがないんだよなぁ。
ぽつりと彼がつぶやいて、その場は納まった。