ふと気付くと、静寂の中に雨の音が聞こえた。だんだんと大きくなるその音を聞きながら、暗闇の中目を閉じる。
彼の名を呼ぶ声が、頭のどこかで聞こえた気がした。
それは、彼のすべてであった『彼女』の、声。
「 」
明るい声が、彼の名前を呼んだ。
変わらない声。
変わらない笑顔。
彼女は、彼とよく似ていて、そして全く似ていなかった。
よく笑った彼女と、笑顔をみせることのなかった彼。
明るかった彼女と、無機質な彼。
素直だった彼女と、決して本心を覗かせることのなかった彼。
けれど、ふたりとも願っていた。
もうひとりの自分が、幸福であるように。
もうひとりの自分が、笑顔でいられるように。
自分にはかなわないとわかっていたから。
せめて、もうひとりの自分、自分の分身とも言うべき存在に。
そう、彼らは決して『ふたり』ではなかった。
彼女は彼の世界であり、すべてであり、そして彼自身だった。
彼は彼女の世界であり、すべてであり、そして彼女自身だった。
ふたりではなく、彼らはいつも『ひとり』であったのだ。
「 」
「 」
だからこそ彼女は彼に名前で呼ばれることを許容した。
だからこそ彼は彼女に名前で呼ばれることを許容した。
そうしなければ、本当に『ひとり』であったから。
互いに名前で呼び合うことで、自分ともうひとりに線を引いた。
「 」
「 」
そして互いに名前で呼び合うことで、『特別』であると認識した。
彼女は彼にとって。
彼は彼女にとって。
『特別』で、『唯一』の存在。
それは、彼らにとってただひとつの『真実』だった。
だから、彼女を亡くして、
悲しくて、
つらくて、
切なくて、
空虚な心を持て余して、彼女を求めた。
彼女がいないのに、自分がいることが、何かの間違いに思えて、
彼女の影を、すべてのものに見出した。
たとえば、綺麗な
黄金の薔薇に。
たとえば、淡く輝く
蝋燭の炎に。
そして、自分に。
だから、
彼は彼女になった。
彼女を演じた。
まるで彼女が生きているかのように。
まるで彼女が死んだことなどなかったかのように。
けれど、彼は彼女の喪失を知っていたから。憶えていたから。忘れることができなかったから。
もうそこは、彼のいる場所ではありえなかった。彼の生きる場所ではありえなかった。
そこでは、彼がいることに意味はなかったから。
彼の生きる意味はなかったから。
それでも、彼女を追うことはできなかった。
だって、彼女が願ったから。
彼の生を。
めったに『願い』を口にしなかった彼女が、最後に願ったことだから。
叶えてあげたかった。
叶えてあげようとした。
彼女が願ったことは、すべて。
彼女が守ろうとした国だから、守ろうとした。
彼女が生きようとした場所だから、ここで生きようと思った。
つらかったけれど、すべては彼女のためだった。
そう、『彼』に会うまでは――。
「――ヴィル?」
その声で、ふっと意識が浮上する。まだ霞がかった頭が考えるよりも先に、その名前が口をついて出た。
「―― ・・・・・・」
けれど、その瞳に映ったのは彼女ではなく、
「・・・・・・ヴァイン」
今度こそ正しく名前を呼ぶ。彼の唯一の『友』の、その名前を。
その声に、『彼』は優しく微笑を浮かべた。
それはまるで、夜の闇を切り裂く、一筋の光。
新しい朝の、
徴――。
(A single ray of … Fin)