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□朔の夜の約束
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 夜のとばりが下りて、辺りを闇と静寂が包む。その中にただひとつ、燈された蝋燭の火がそよぐ風に揺らめいていた。
 ゆるく流れる風に、ゆっくりと首をめぐらせる。しゃらり、と髪の飾りが鳴る音が響いた。
「兄様・・・・・・」
 小さくそう呟いて、ひとり夜空を仰ぎ見る。その頭上に月はなく、ただ星々が静かに瞬いていた。


 いつの間にか、闇に小さな灯が浮かぶ。ひとつ、ふたつ、みっつ。蝋燭の炎に惹かれるように、その蛍たちが徐々に数を多くして、闇を飛び交う。
 突如聞こえてきた足音に、静寂が破られる。急いでいるのか、心持早くなる足音に、妹姫は夢うつつの状態から覚めると、蝋燭の仄かな明かりに長身の人影が浮かび上がった。
「兄様・・・・・・!」
「鈴」
 兄君が少し上がった息のまま、妹姫の許へと歩み寄る。それすらも待ちかねて、妹姫が外へとまろび出た。その体を抱きとめて、兄君が優しく声をかける。
「ずっと待っていたのか?こんな遅くまで、もし体調を崩しでもしたら・・・・・・」
「兄様・・・・・・っ、もう今日は来てくれないのかと思った・・・・・・!」
 か細く震える声が、兄君の言葉を遮って耳朶を打つ。思わずその華奢な体をかき抱き、その耳元で囁いた。
「鈴」
 低く、甘く名前を呼ばれ、妹姫がびくりと体を震わせる。
「遅くなって、すまない。・・・・・・怖かっただろう?」
 それがきっかけとなったのか、堰を切ったように妹姫がしゃくりあげる。抑えきれない嗚咽が腕の中でくぐもって聞こえ始めた。その合間に、何度も兄君を呼ぶ。
「兄様、兄様っ・・・・・・!」
「すまない。鈴」
 ほとんど息だけで告げて、兄君が長い指で妹姫の髪をゆっくりと梳る。そしてその額に優しくくちづけた。
「来る、から。必ず」
 ほんの少しだけ身を離して、妹姫の目を真っ直ぐに覗き込む。
「約束する」
 涙に濡れた瞳が兄君を見つめ返し、一瞬の後こくりと頷く。
「待ってる。ずっと、待ってる」
 そこで一度言葉を切り、少し間を空けて小さく続けた。
「――信じてる」
 その言葉に兄君がはっと息を詰め、再び妹姫を抱き寄せる。
「――鈴」
 さらりと髪を撫でたその指が、うなじ、鎖骨へといたずらに這う。
「・・・・・・っ、ぁ・・・・・・兄様・・・・・・!」
 妹姫が軽く身を捩る。闇に、僅かに上気した白い肌が浮かび上がった。無防備にはだけられた胸元まで指先が下がると、その鼓動までをも感じ取ろうとするかのようによりいっそうきつく抱擁する。
「鈴」
 息のかかる距離で名を囁かれ、妹姫が震える繊手で兄君の体躯に縋りつく。そのまま、どちらからともなく互いを求めるように身を寄せ合った。
 重なったふたつの影が、微かな灯に照らされて揺らめく――。


 ことり、という小さな物音が、意識を現実へと引き戻した。虚ろな瞳に映るのは、綺麗な満天の星空。
 星月夜ほしづくよ
 蝋燭の炎を、床に落ちた銀のかんざしがやわらかく反射していた。
 もう、あの夜から一年以上も経っているのに、未だ色褪せることのない記憶。そして、
「――鈴」
 決してたがえられることのない、約束。
「兄様」
 満面の笑みを浮かべ、振り向いたその視線の先に――

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