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□偽りの従者
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 冷たい石の廊下に、固い靴音が響く。こつ、こつ、と規則正しいリズムで刻まれていたその音が、ひとつのドアの前で躊躇うように乱れた。一瞬の静寂。諸々の、主に警備上の理由で特によく音が響くようになっている廊下が、このときばかりは空気の波を吸収してしまったようだった。
 2呼吸ほどおいて、ドアが音も立てずに開かれる。やわらかな絨毯の一歩手前、そこでひとつだけ足音の置き土産を残し、彼は部屋の中へと踏み込んだ。

「お嬢様、気分が優れないようですね」
 この屋敷の令嬢、彼の主でもあるフィオナは、とてもその身分にそぐうとは言いがたい格好で出窓に腰掛け、まるでそこにはない何かを眺めているようだった。
「ヴィンセント・・・声ぐらい掛けてくだされば良かったのに」
 そう言う彼女の許に跪き、ヴィンセントはその足先にそっとくちづけた。白く滑らかな肌。まるで一度も日に晒されたことのないようなそれは、彼女が彼女であることの証明、彼女にこそふさわしい、無垢な白の具現だった。
「やめて。私の柄じゃないわ」
 そう言って、フィオナは彼を振り払う。抗うことはせず、ヴィンセントはされるままになっていた。
「貴方も、お金が目当てで働いているのでしょう」
 視線を向けることなく、ただ窓の外に目をやりながら、ほんの僅か不穏なものが宿った声が続ける。その言葉に、ヴィンセントは意外にも動揺している自分を認めた。思わず眉を寄せ、彼は足先にもう一度だけくちづけた。懸命に押し殺したはずの情動は、しかし消えることはなく、彼の声を震わせる。
「お嬢様を大切に思っておるが故で御座います」
 まるで彼らしくない声に、ついにフィオナが振り向いた。どこをともなく彷徨っていた視線が彼を捉える。
「・・・聞いたのね」
 何の感情もこめられていない声。問い詰めるでもなく、責め詰るでもなく、ただ確認するだけの一言。ヴィンセントの脳裏に、彼女の両親との会話が蘇る。


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