Special

□偽りの従者
2ページ/8ページ

『――もうすぐ、フィオナは隣国の王子のもとへ嫁がせます』
 滅多に聞くことのない彼女の母親の声は、フィオナとは全くもって似ていないような、冷たく耳障りな声だった。けれど、感情のない彼女の声には、どこか母親のそれと似通ったものがあった。
『貴方のことを、わたくしたちは高く評価しています』
『フィオナが嫁いだ後も、どうかここに仕えてほしい』
 母親に、そして父親に続けざまに言われ、ヴィンセントは動揺と躊躇いで口をつぐんだ。フィオナのもとを離れたくはないという思いと、この申し出は誘いではなく命令だという客観的な判断が、胸のうちでせめぎあう。
『・・・少しだけ、考えるお時間をいただけませんか』
 やっとの思いでそれだけを口にした。あっさりと了承したのは、結局は自分達に従うしかないのだという彼らの絶対の自信故だっただろう。
 しかし。
「でも、貴方が悲しむことじゃない。貴方はただ仕事をこなせばいい」
 彼女の言葉に、どうしてこれほど胸が痛くなるのだろう。どうして、このまるで壁を作るような、拒絶とも思える言葉に背を向けたくなるのだろう。
 たとえ嘘でも、偽りでも、その言葉に反駁できるならどれだけいいか。
 自分には、選択肢など無いと知っているのに。
 彼女はここを離れ、自分はここに残る。それは確定事項であるのに。
 その言葉に、頷くことができないのは、何故――。
 ヴィンセントが答えずにいるうちに、フィオナは出窓から下り、見事なレースのテーブルクロスの上に、無造作に手を置いた。彼のほうを向いて、座れと命令する。その意図を汲みかねたものの、彼は恐る恐るといった風情で従った。フィオナが、わかるかわからないかの微笑を浮かべて、先ほどまでとはうって変わったように穏やかに言った。
「紅茶は如何かしら。セシル・ヴィンセント」
 慣れない椅子に居心地の悪さを覚えながら、これは命令なのか催促なのか、はたまた誘われているだけなのか、そっと彼女の表情を盗み見る。しかし、そこに彼の見知ったものは欠片もなかった。
 そのことに安堵すべきか落胆すべきかもわからなかった。

次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ