Dazzlement Heaven

□第一章
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エッダは、森の不思議な光景に首を傾げていた。
空は青く、風は心地良い。霞みがかった眩しい視界。
何らおかしくはない自然。
毎日とただ違うのは、木々の間を小鳥が飛んでいること。
開け放たれた窓の枠に羽根を休めている黄色い鳥が一度ひらりと空高く舞い、降下して木々の緑に消えた。

何羽もの鳥を目で追いかける、そんなエッダを見上げる視線。
その視線は窓の外、近くの木の下を歩いている虎のものだった。
その虎はエッダの様子を暫らく眺めるように、そしてそのまま森の緑の中へと歩みを進めた。



『・・・・・・。』



時間が経つのは、実に不思議なものだ。
鳥を視線で追いかけていれば、いつの間にか陽の光は天の高い位置から森を照らしている。
窓枠に備え付けられている棚に置かれた懐中時計は、もう動いていない。
時間に縛られた生活はしたくないから、という理由で止まったまま放置されている時計を一度見て、時計が無いのも案外不便だといったように溜息を吐いた。

それと同時に、舞い込む風。
風と一緒に、かすかな歌声が流れた。
懐かしいような優しい旋律は、森の中から奏でられている。
不思議に思って見回した森には、やはり風に揺れる木々しかなかった。



『(・・・誰か、いるのか・・・・?)』



ミスティアの森には、滅多なことがない限り生き物の姿はない。
稀に先程の虎やエッダのような例外がいるものの、それはすき好んでこの場所に住まっているに過ぎない。
曰く付き。そう一言で表現すればわかりやすい、人間に嫌われた森だ。
たとえいくら美しくても、誰もいないのにはきちんとした理由があるのだ。

鳥が一羽、窓の近くを飛んだ。
何かを知らせるように窓の外を暫らく回り、そして森の中へと入っていった。
再び視線で追うように鳥を眺め始めたエッダは、揺れる木々の間に白いものを見た。



『・・・女・・・・?』



見たこともない少女。
流れるような白銀の髪と、そこに飾られた深紅の髪飾りが美しく映え、一際目を引く。
先程から窓の外を飛び回っていた鳥たちを肩に乗せて歌っている少女は、細い髪を摘み上げている鳥に気付いて、小さく微笑んだ。
微笑んでそっと撫でようとする、その反対の手には、小さな花の蕾が握られている。
未だに彩られることのないその蕾を何故摘んだのか、エッダは気になりつつも深く考えようとはしなかった。
風の流れる音と少女の歌声が、静かな空間を満たす。
あまりに心地良くて、かすかに遠ざかって行く意識を暗闇の中に投げ入れようとしていた、その時。

彼女の歌声が途切れた。

不思議に思って目を開けて少女が歩いていた先を見たがその姿は無く、先ほどまで彼女が手にしていた花の蕾が散らばっていた。



『・・・・・・何処行った?』



驚いて窓から顔を出すように目を凝らすが、やはり少女の姿は何処にもない。
何故だか少し焦った気持ちを抱き、家を飛び出して蕾の散らばっている木の下まで走ってみる。
しかしそこには、まるで少女が幻であったかのような静寂が広がっていた。
何をしているんだか、と自分を嘲るように溜息を吐きもう一度家に入ろうとすると、遠くからかすかに聞こえる悲鳴に近い声がする。
微かだが確かに聞こえるその声は、先ほどの歌声と同じもので。
その声だけを頼りに、白銀の姿を探しに森へと入っていった。





うっそうと覆い茂る、手入れのされていない木々。
誰もいないのだから当たり前だが、何度見ても気味が悪い。
栄えた街の外れの、自然溢れる遊歩道。と言えば響きはいいが、はっきり言って獣道。

ガサガサと枝を掻き分けながら、自分は一体何をしているんだとふと疑問を抱き始める。
歩いても歩いても、目的の人物は見当たらない。
むしろ声も聞こえなくなってきた。
きっと先ほどの悲鳴に似た声は、咲いている花を見つけた歓喜の声だろう。
そして散らばっていた花びらは、おそらくその興奮で小石に躓いてぶちまけたものだ。
何だかんだ理由を付けて、もうそろそろ疲れてきたから帰りたいという願望に手を伸ばす。
もう先ほどから溜息しか出ていない。



「っや!!こっち来ないでっ!!」

『?』

「あっち行って!!!」



確かに聞こえる、先程よりも遥かにはっきりとした声。
切羽詰ったような声に辺りを見回してみてもその姿は無いが、声がする方へと近付いてみる。
だんだん泣き声も混ざり始めたその声の主の姿は、すぐに確認できた。・・・・・何故か、高い木の上で。
瞳いっぱいに涙を湛えて必死になって木の幹に掴まっている少女の下へ視線を送ると、エッダのよく見慣れた姿があった。
よく見慣れた、それはもう恐ろしい生き物の姿。



『おい、こっち来い。』

「うぅ・・・。」

『悪い、怖かったな。』



その生き物を近くに引き寄せて、木の上を見上げる。
同じように見上げている生き物は、木の根元に座り込んで顔を掻いた。
少女はその姿を一瞬だけチラリと見たが、すぐに視線を逸らしてさらにしがみ付くように木に腕を回した。

それもそのはず。
今エッダの横に座り込んでいるのは、黄色の体毛と黒い模様を持った生き物。
大きな身体と口元から覗く鋭い牙はどんな獲物をも食い千切るような強靭さを思わせる、獰猛な肉食獣のトラ。
いくらおとなしくしていてもその大きな牙と鋭い爪を見てしまえば、誰だって初めは怖がるに決まっている。
上で泣いている少女だって例にも漏れず。



『コイツは生臭いものが嫌いだ。お前を食べたりはしない。』

「・・・・・・」

『だから、降りて来い。』



お世辞にも慰めには聞こえない言葉をかけられた少女は、何度か瞬きを繰り返す。
まだ警戒しているのか黙り込んで、降りようとする気配すら感じられない。
もう面倒だからとそのまま放って家に帰ろうかという考えも浮かんだが、さすがにそれは可哀想だと思ってやめた。
まぁ、事の元凶はこの隣でおとなしく座っている見た目恐ろしい生き物のせいだし。
普段よりも高い目線の景色でも楽しんでいるのであろう、そう思ってあえて彼女を見上げることもせず、木に凭れ掛かって腕を組んだ。

すると、木の上からぽつぽつと冷たい雫。
見上げると、少女は涙を零していた。



『・・・・・どうした?』

「・・・っぅ」

『・・・・降りれない・・・のか?』



大正解。頷く少女に内心溜息を吐きながらエッダは腰に下がっている短刀を地面に投げ捨て、木を登り始めた。
高いところは好きじゃない。出来ることなら登りたくない。
まして、木登りをして楽しむような年齢でもない。と言うより、思った以上に高い。
よくこんな所まで登れたな、と内心少女に感心するくらいの高い枝に少女はいた。



『・・・・高いな。』

「・・・・。」

『怖がるな。俺だって高いところは好きじゃない。』



そんな言葉を聞いて少女は驚いた顔をし、またしっかりと幹に掴まった。

エッダは暫らく何もせず、少し震えている少女の顔を眺めた。
近くで見た少女の顔は思ったほど幼くは無く、同じくらいの年齢の、整った顔付き。
肩から落ちる白銀の髪は陽の光を受けてキラキラと輝き、その髪から覗く顔も驚くほど白い。
涙を湛える瞳は、幻想的な淡い桜色。
光を浴びて、頬に長い睫毛の影が降りた。



『案外、遠くまでよく見えるもんだな。』

「・・・・・?」



遠くを眺めてながら言うエッダの顔を一度見て、ほら、と促がされるままに視線を移そうと一生懸命に覗き込む。
おそらく彼女の座っている位置からは他の木が邪魔になって見えないのであろう、体を捩らせた時だった。

肩に掛かっていた白銀が、揺れた。
考えるよりも早く身体が動いて、エッダは身体を宙に投げ出して少女の手を掴んだ。

空中で少女を抱き寄せた瞬間、エッダの背中に激しい衝撃が奔った。
・・・・・・木から落ちたのだ。
咄嗟に木の幹を蹴って背の低い木をクッションに飛び込んだが、あまりに急なことと激しい痛み。
いまいち気付いていないようだが、結構派手に落ちている。
二人が飛び込んだ木は、可哀想なくらいに潰れてしまっている。

胸の上で動かない少女を一度見て気を失っているだけだと確認すると、もう一度同じ体勢で木に体重をかける。



『・・・いってぇ・・・・・。』



少女を胸の上に乗せたまま、木々の葉の隙間から覗く憎いくらいの青空を見上げて、エッダは厄日だと小さく溜息を吐いた。









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