'華のゆめ

□つぼみ
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桜咲く季節に、君と僕はであった。

鮮やかな蒼を纏った君。
夜桜によく映える蒼。

小さな身体に、不釣合いな艶やかな着物。
冷えたはだしの足は、片方しか草履を履いていなかった。
もう片方の足は、素足で歩いていたのか土で汚れていた。

脱げ掛けた着物は肩が出ていて、着物の袷も開いたまま。
帯で止まってはいるが、肌蹴た裾が広がったまま。

君の後ろには、数人の男たちが伸びていた。
僕の義理の兄が倒したのだ。
小さな身体に圧し掛かっていた男達を。

まだ幼かった僕には、これがどういう状況なのか理解できなかった。



綺麗な黒い髪、印象的な琥珀色の瞳。

その瞳は酷く怯えていた。



「君は……華幻楼の蕾だね」


白い首に赤い紐に付いた鈴がチリンと鳴った。


これが一騎との出会い。

あの琥珀に惹き付けられたのは、このときだった。





幼い頃に両親をなくした僕は、昔から親しかったというザラ家に引き取られた。
世界でも有数の財閥。
この花街立ち上げにも資金援助しているらしい。

義理の兄であるアスランは、この家の長子であり時期に家を継ぐ事になっている。

たしなみとして、この花街に通っている。
この花街の活性化のためにと、祖父の代からの教え。

あまり好きではないらしいのだが、お金を落とすことで少しでもこの街で働く人が助かるならと言っていた。


この花街の中でも、屈指の大見世。
抱える華の数もかなり多い。

『華幻楼』

遊女や色子のことを『華』と呼び、馴染みになった客を『蝶』と呼ぶ。

一騎はこの華幻楼の華。
まだ、一本立ちしていないため、華咲く前の『蕾』
いずれ、その蕾が開かれる時、一人前の華となる。






出会いから、二年後。
予定よりかなり早く、父から家を受け継ぐことになった義理の兄は、華幻楼の『蝶』になっていた。
華にとまる蝶。
つまりは、馴染み客のこと。

僕は、義兄についてこの見世を訪れる。
別に、華に興味あるわけではない。

どちらかと言えば、この手の見世は苦手だった。
媚びうる華や蕾。
容姿、家柄的にも知れているからだろう、擦り寄ってくる奴らは多い。

この街に限った事ではないけれど。
それは表の街でも同じ事。
この家の名に縋ろうとするものはとても多い。


「こんばんは、紫華」

「アスラン様」


紫華は、この見世一、二の華。
大華の地位を持っている。
栗色の髪と、美しい紫水晶の瞳。

艶やかな紫の打掛けをまとう紫華は、にこりと微笑んだ。


「総士様もご一緒ですか」

「そうですが、何か?」

「こら、総士。もっと愛想よくしろよ」

「…これが素ですから」


くすくすと笑う紫華から顔を逸らす。
どうもこの人は、苦手だった。
見透かすようなその瞳に映し出されるのが。
心をのぞかれているように感じるのだ。


「あなたが探している蕾は、ここにはいませんよ」

「誰の事です?」

「いえ、唯。探しているのかと思って」


煌びやかな華と蕾。
この座敷には、紫華付きの蕾の他にもたくさんの華もいる。
見世の中でも、義兄は指折りの蝶なのだ。
羽振りの良さも、この容姿も含め見世の人気者。

豪華な料理。
振舞われる酒。

化粧の匂い。
焚き染められた香。

酔いそうになる。



「一騎なら、今日はほかのお座敷です」

「そうですか」


あの黒髪の蕾。
紫華付きの蕾。
いずれは、紫華やほかの華と同じように蝶を持つことになる。

見透かされている。
一騎のことが気になって仕方がないのに、自分ではどうしようもない。

口下手で、人見知りも激しい一騎。
だが、人をひきつける魅力を持った蕾。
一人前になれば、すぐに大華になるだろうと言われている。

あの紫華と同じようになるのだろうか。



「きっと、となりのお座敷ですよ」


「何処行くんだ」

「外の風に当たってきます」


襖を開けると、闇が広がっていた。
ところどころから漏れる明かり。
話し声に混じって聞こえる、嬌声。

少し冷たい風が吹く。
中庭は、日本庭園になっていて四季の花が咲いている。
漏れた明かりに少しだけ照らされた池。
池には、月が写っていた。

揺蕩う半月。

琥珀色の月が、あの瞳と重なる。


からりと隣の襖が開いた。
隣の座敷から出てきたのは、知らない男。
それはそうだろうと、苦笑いする。

酔っ払ったその男は、千鳥足で誰かに寄りかかっていた。
チリンとなった鈴の音は、蕾の証。

男の影に隠れて見えないが、ちらりと見えた浅縹色の着物。
黒い髪。

その細い肩に掛かった男の手。


「か、ずき……」


あまり見たくなかった。
一騎もこの見世の人間なのだから当たり前。
これが仕事なのだ。

少し驚いた琥珀と目が一瞬だけ合った。

知らない男の手が、首元の鈴を触る。
チリンと鳴る金色の鈴。



無性にその男を殴りたくなった。
だが、それは叶わない。


男とともに一騎は去っていく。
一騎の腰に回った手が、いやらしく動いている。



何も出来ない自分が情けない。
義兄のように、自由に使えるお金もまだない。
養われている身では、何も出来ない。


いずれ水揚げされる蕾。
華となる為開かれる蕾。
この街で働く為。


ダン、と拳を叩きつけた。


一騎と僕の境遇は、似ていた。
幼い頃に、両親を無くしていること。
引き取られた場所が異なっただけ。

この境遇は、この花街では珍しくもなんともない。

自分は運が良かっただけ。
売られていてもおかしくなかった。

だからかもしれない。

こんなにも気になるのは。


「情けない」

「何故ですか?」


いつの間にか、隣に紫華が座り込んでいた。
まったく気付かなかった。
ぎょっとしながら、隣を見る。

微笑んだ紫華。
紫水晶の瞳が自身を映し出す。


「兄の隣にいなくて良いのですか?」

「少し酔ってきちゃってね」

「そうですか」


少し幼い顔をした紫華。
先ほどの印象とは大分違う。
年は、義兄と同じらしい。


「君は、僕達を軽蔑する?」

「……べつに」

「そう、こんな仕事だけど、僕はこの仕事に誇りを持っているよ」


にこりと笑った紫華は、とても綺麗だった。


「君のお兄様とも逢えたしね」

「そうですか」

「だから、君もあの子の支えになってね」

「…あなたは結構勝手ですね」

「君は結構、頑固だね。あの人とそっくり…さすが、兄弟」

「……義理ですがね」


夜の闇が濃くなる。
そこはかとなく、灯りも少なくなった。

あの男を送り出した一騎が通りかかる。


「あ、一騎。お帰り」

「……只今戻りました」


黒い髪を飾る赤い花。
チリンとなった鈴。
琥珀色の目は、伏せがちでこちらを見ようとしない。


「ほら、一騎。総士様だよ」

「あ、え…はい……こんばんは」


あの池に写った月のような綺麗な瞳。
少し赤くなった頬。
きっと、酒気に酔ったのだろう。


「良かったね。総士様に会えて」

「へ!? あ、あの……」


赤くなる一騎。
二年前よりも綺麗になった。
黒い髪はあの時よりも伸びていて、肩に付くぐらい。


「僕は、戻ります」

「そうですか」


特別な感情を抱いてはいけない。
抱いてしまっては、取り返しがつかなくなりそうな気がする。

その琥珀に囚われてはいけない。


いずれ、蕾は華になるのだから。
それが、だれによってかはわからないが。
一度開かれた華は、もう蕾には戻れない。

自分の中に生まれようとしている感情は、危険でしかなく、しかるべき時に冷静でいられるか分からないから。


臆病な心が嫌になる。
義兄のように、冷静にいられる自身はない。

だから、突き放す。

これ以上踏み込まれないように。


月灯りに照らされたその白い顔が、誰のものになるかなんて見たくないのだから。









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