'華のゆめ

□そらいろ
1ページ/1ページ





紫華から告げられた言葉。



頭に響くその言葉は、すうっと冷たく貫いた。



とうとう来たのか。

思ったよりも、冷静でいられたことに一騎は驚いた。


「そろそろ、準備をしないとね」


紫華に抱きしめられた。
ふわりと香の薫り。
撫でられる手が優しかった。

蕾から華になるときが来た。
水揚げの時期は、一週間後とのこと。

それより前から、楼主から紫華には告げられていたと聞いた。
紫華付きの蕾とのことで、水揚げを買って出る客が殺到していたらしい。
より金を積んだものに競り落とされる。

水揚げの準備が進められる。
華になると、打掛けを着る事になる。
新たに簪や、着物などを揃えなければならないものはたくさんある。


「一騎。さあ、どれにする」


色とりどりの反物、簪。
唐織、綴れ、錦の着物。
玉に鼈甲、金や銀。

蕾の水揚げは、上の華が面倒を見る。
紫華が身を粉にして働いた金。
どれも高価すぎて、選べない。


「お祝いだからね、どれでも好きなものを選んで」


お祝いと口にしながら、紫華の顔はいつもの華やかさはなかった。
水揚げは、仕方ないこと。
だが、小さいことから面倒を見てきた一騎を華にすることは喜ばしいはずはない。
これから、お客を取らなければいけないのだから。
自分と同じように、より多くの蝶を作って稼がなければいけない。
紫華の庇護を外れる事になる。


「あ、これなんか良いと思うけど」


淡い青色の反物だった。
優しい空の色をした反物には、桜の地模様に煌びやかな刺繍が施されていた。
そしてあの桜の木のように、枝垂桜が描かれていた。

しなやかな枝が背中から袖にかけて伸びるようになるという。
ハラハラと舞う桜の花弁が刺繍され、着物を彩る。


「きれい……」

「うん、僕も気に入ったよ」


問屋の主人にこれを仕立てるように手配する。
これに合わせて帯と、簪を用意してもらう。


「あの、高そうですけど。良いんですか?」

「何言ってるの!! 僕が一騎にしてあげることなんてこんなとこしかないんだから、やらせてよ。てか、もっと高いのもあったのに」

「いえ、俺はこれがいいです。キラさん」


少し背の高い紫華を見上げる。
栗色の髪を飾る桜の簪が綺麗だと思った。

初めから分かっていた事。
この見世に売られてきたときから、決められた運命。
一騎だけではなく、ここに生きるためには通らなければならない。
怖くないといえば嘘になる。
誰ともわからない相手と、身体を重ねなければならないのだ。
でも、それは紫華だって同じ事。
嫌がることは、此処に生きる華を否定する事になるのだ。


「ありがとうございます」


にこりと笑う。
紫華は、そっと一騎を抱きしめた。
辛かったら泣けば良いとでも言うように、強く抱きしめられた。






「僕には、どうすることも出来ないのかなぁ」


その夜、紫華の部屋に揚がった蝶に語りかける。
抱きしめた華奢な身体が震えている。
他人のことも自分のことのように感じてしまう紫華。
小さい頃から面倒を見てきた一騎のこととなると、余計になのだろう。
藍色の髪を持つ蝶は、優しく頬を撫でた。


「俺にしてやれることは、してやるよ」

「ありがと……アスラン」


唇が重なった。
願わくば、優しい蝶が舞い降りることを願う。
あの子は、傷つきやすいから。
あまり感情を表に出さない分、内にこめてしまう。
蕾から華になれば、庇護してやれるのも制限ができてしまうから。


「ねえ、君の弟さん……は、もう来てくれないのかな」

「あいつも、解り難いからな」

「似てるよね、一騎と」

「嗚呼、似ている」

「僕には何も出来ないから……」

「そんなこと、ないよ」


優しい紫華。
何度身請けを願い出ても、あの子らのためにと断られてしまう。
華幻楼の大華。
稼ぎ頭ゆえに、身請けには莫大な金が要る。
だが、それでもこの狭い世界から連れ出してやりたい。
無理やりにでもと考えたのだが、それをしては傷つくことがわかっている。
何も出来ないのは自分の方だと、蝶は嘆いた。




「総士、良いのか。お前は」

「何がです?」


総士は静かに本を読んでいた。
義兄の方を見ようとしない。
本に集中するように、そのページに目を落としていた。


「あの子のことだ」

「誰です、それは」


冷えた声。
いつからだろう。
総士が感情を表に出さなくなったのは。


「水揚げが決まったんだぞ」


ぴくりと指が反応した。
だが、冷静を装うようにページを捲る。


「あなたは、どうなんですか」

「何がだ」

「あの、華のことですよ。あなたこそ、何も出来ないじゃないですか」


ダン、と拳が壁に叩きつけられた。
あの温厚な義兄が、感情を露にするとは珍しいこと。
総士は視線を義兄に向けた。
鋭い視線が貫く。


「少なくとも、俺は逃げない。目を背けない」


義兄は強い。
想い人が、誰とも知らない相手と夜を過ごしていても冷静でいられるのだから。
しかも華になれば、何人も何十人もに抱かれなければいけない。
想いが強くなる前に、会うのをやめれば良い。
そうすれば、お互いに心を痛めなくてすむ。


「そもそも、色子相手に色恋沙汰なんて野暮でしょう」

「っ!? 黙れ、総士!!」


がつんと頬に衝撃が走る。
義兄に殴られたと分かった時は、驚いた。
じんと痛む頬を押さえる。


「あ……すまん、俺も頭に血が上っていたようだ」

「……いいえ。こちらこそ、失言でした」



水揚げされる、あの一騎が。
義兄にくっ付いて、華幻楼にはよく出入りしていた。
華を揚げる訳でもなく、ただの嗜みとして。
華代を払って、宴を開く事も会った。

年の近い蕾たちとよく遊んでいた。
一騎もその一人。
あの夜の出来事から、一騎はよく懐いてきた。
二つ年下の一騎は、年よりも幼く見えて弟がいたらこんな感じなのだろうかと思っていた。

あまり人と接する事が得意ではないと、紫華が言っていたのだが、総士には屈託なく笑顔を見せていた。
内緒で見世を抜け出して、あの桜を見に行った事もある。
家からお菓子を持ってきて、食べさせてあげた。
あまりにも細い一騎は、折れてしまうのではないかと子供ながらに思ったのだ。


「かずき……」


黒いさらさらの髪はとても綺麗だった。
琥珀のような目は、零れ落ちそうなほど大きくていつも此方を向いていた。
遠慮勝ちに伸ばされた手を掴むと、笑ってくれた。


どうしてこうなってしまったのだろうか。
綺麗になっていく一騎は、きっと多くの蝶が群がるのだろう。
もし、この想いがもっと大きく膨れた時。
その大勢の蝶の中に溶け込むことが出来るだろうか。

窓の外は、夜がきていた。
暗く、深い空。
今日は新月だから、月は出ていない。
暗い空には、いつもよりたくさんの星が瞬いていた。
一際輝く一番星に、小さく淡く光る星。

この夜空は、あの空にも続いている。

閉ざされた塀の中の世界。

あんなもの、誰が作ったのか。
人が金でやり取りされるのは、いつの時代でも存在する。
おろかな制度。

欲深い男のために、作られた世界。
籠に囲われた華たち。


何も出来ない。
何もしてやれない。


「そうだ、これ渡すように頼まれた」


義兄に渡された手紙の主は、紫華だった。
綺麗な字で書かれた文字を追う。

華幻楼に来いと、書いてある。
一騎のためにも来て欲しいと。


「行って来い。曖昧なままの関係は良くない。お互いにな」

「……兄さん。お願いがあります」

「何だ?」






空に輝く星が、雲に隠れた。






[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ