book2
□お薬パニック
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「うふっ……ふふふ、うふふふ…」
不気味な笑い声が暗い部屋に木霊した。にんまりと笑うその人物は、いかにも怪しい液体を闇に掲げる。
毒々しいピンク色のそれを見て、笑いが止まらないのか体をくの字に曲げて肩を振るわせた。
「ついに……ついに出来ましたわ!!」
彼女は高らかに笑った。
彼女がもたらした災いは、のちにとんでもない事態を引き起こす。
奇しくも、今日が今日であったが為の不運としか言いようもないほど。
その巡り合わせによってもたらされた災いを受ける者、また利用する者、様々な思惑が交差して……
欲望が渦巻いてゆく。
果たしてこれからどうなるか。
それは誰にも分からない。
*お薬パニック
ある晴れた日のこと……とは言っても天気、気温などを管理したこのプラントにおいて、あまり関係ないことではある。
しかし、人工の太陽光であってもそれは気持ちのいいものであって、公園には子供たちが楽しそうに遊んでいた。
「可愛いよね。僕らもあんな感じだったのかな?」
菫色の瞳が細められた。その先には、仲良く砂場で遊ぶ四、五歳ほどの男の子がいる。
長かった戦争は終わり、やっと訪れた平和。こうして、子供の笑い声が聞こえるのは何よりも嬉しい。
ふふ…と笑みを浮かべるキラの顔はとても穏やかなものだった。
「あぁ。そう…かもな」
アスランはチョコレート色の髪を撫でた。少し長くなったその髪は、サラサラと流れていく。昔と変わりないこの感触にほっとした。
あの戦争で、もしかしたら失ってしまっていたかもしれない。そう思うとぞっとする。
離れていた間に、お互い変わってしまったものもあるのかもしれない。
サァー…っと冷たい風が吹く。冬に調整されている為、動かないでいると少し肌寒い。キラはふるりと身体を振るわせた。
「キラ、何か飲む?」
「あ、うん。ありがとう。じゃあ…ココアが良いな」
「分かった」
寒がりのくせに薄着のキラに、マフラーを手渡してアスランは立ち上がった。
自販機は、ここから少し行ったところにあったはず。
子供たちが遊ぶそばを通り過ぎて、大きな遊具を曲がったところで、歩く速度が速くなった。
聞き取れないほど小さな声で何かを口ずさむ姿は、はっきり言ってかなりアレである。怖い者知らずの子供が指を指すのを後目に、アスランはダンッと壁を叩きつけた。
「か…か……ッ!?」
藍色の髪がはらりと顔を隠す。がくがくと震えた腕は、おそらく寒さからではない。
「可愛すぎるんじゃぁあああ!!!」
その雄叫びに驚いた小鳥たちが一斉に飛び立った。
力の限り叫んだアスランは、ゼーハーと荒い息で若干血走った目で壁を凝視する。
ギラギラと光る翠の瞳がくわっと見開いて、ダンダンと激しく壁を叩く。そのあまりの異様な光景に、あたりは騒然とするはずなのだが、うまいことにまわりに人がいなかった。
「可愛い、可愛いよキラ!! 今すぐ食べッ……いや、茂みに連れこんで……」
ぶつぶつと物騒な事を呟く。完璧に別の次元へ飛び立ったアスランに、周りは見えていない。ぐるぐるとドドメ色のオーラが、彼を取り巻いていた。おそらく、それをさっして誰も近寄らないのもあるだろう。なんたって、比較的コーディネータが多く住んでいる地域だからだ。一応、これでも先の大戦の立役者で、この平和の礎を作ったともいえる英雄が
こんな状態では、示しも付かないであろうから丁度良かったかもしれない。
すると、その異様なオーラを物ともしない足取りで、彼に近づく影があった。アスランの背後から、しずしずと進むその影に、もちろん異世界に行ってしまっている彼は気付かない。これで、本当によく戦乱を生きてこれたなと、彼の後輩あたりは冷たい目を向けるであろう。
すっと、その影は腕を大きく振り上げて、アスランのうすi……後頭部に何かを振り下ろした。ドゴっという鈍い音が当たりに響き渡る。アスランは崩れ落ちるように蹲った。あまりの衝撃に、強制的に現実に連れ戻された形になったアスランは、突然の奇襲に後ろを振り返った。
「あ…あな…ッ!?」
立ちはだかるように立っていたのは、桃色の長い髪をなびかせてニコリと天使のような微笑を浮べていた。誰もが認めるその美貌は、まったく悪意のない顔で手元には先ほど使われた鈍器と言う名のオレンジのハロ(中型)が握られている。心なしかへこんでいるのは気のせいであってほしい。
「まあ、アスラン。何をなさっていらっしゃいますの?」
「ラクス!? 貴女こそ何をしているんですか!!」
「てやんでい!!」
「お、お、おまえもなー」
ぴょんぴょんと彼女の周りを飛び回るピンクのハロが、へこんでしまった同胞を労わるように転がり寄った。心なしか音声が可笑しくなっている。
「まあ、こんなに天気もいいですもの。わたくしだって、お散歩ぐらい致しますわ」
ふふふと優雅に笑う彼女に、アスランの背筋が凍りついた。先ほどは、オレンジのハロに隠れて見えなかったが、ラクスの胸元には一眼レフらしきものが掛けられている。
「貴女……覗いてまいしたね」
「まあ、人聞きの悪い……キラのあの笑顔、確かにこのカメラに納めさせていただきましたわ」
透き通るような透明な肌を、桃色に染めた彼女は、きっと世界中の男どもが骨抜きになったであろう。だが、アスランだけは、彼女の本性を見抜いていた。
「それを、世間では盗撮と言うのですよ」
「生憎、貴方も写りこみやッ……写ってしまいましたのが、残念でしたけれど」
「それは、悪かったですね」
「ええ、本当ですわ!! もし、キラだけでしたら…間違いなくわたくしのコレクションの上位にいきましたのに!?」
「貴女は、何を作っているんです!? ぜひ、譲ってもらいたい!!」
鼻息荒く、アスランは両手を差し出した。しかし、ラクスはにこりと笑うだけでまったくと言っていいほど相手にしていない。
「まあ、アスランごときは切り捨てればどうにでもなりますわね」
うんうんと頷いたラクスは、取った写真を見て、うっとりと目を細めた。アスランは、その写真を見ようと背後に回りこんで覗こうとするが、ひょいとラクスはそれをかわす。彼女のハロたちもアスランを邪魔するかのように、二人の間をジャンプしていた。
「こら、生みの親に向かって何をするんだ!!」
「バーカ。バーカ」
「ハ、ハハハハ、ハーゲ!!」
「まあ、オレンジちゃん。本当のことを言っては可哀想ですわ」
「俺の何処が禿げてるんですか!!」
「夜な夜なバスルームの鏡の前で後頭部を気になさっているのは、どなたでしょうねぇ……」
ふふふとあくまで上品に笑うピンクの歌姫に、帰ったら家中を調査しなければとアスランは誓った。せっかくの二人だけの愛の巣が、悪魔によって犯されていたとあっては、あんなことやこんなことも、おちおちしていられない。それこそ、キラとの甘い夜までもが盗撮されていたと思うと。
「いますぐ、焼き増しをお願いしたい!!!」
「アスラン…貴方と言うお方は」
流石に呆れたラクスは、この際キラを強奪して無理やりにもこの危険物と引き離すべきではないだろうかと本気で考えた。しかし、キラの悲しむ顔は見たくない。複雑な乙女心が交差する。
「まあ、仕方がないですわ。こんなどうのしようもない男でも、キラが望むのなら……わたくしは、キラの幸せを望みますわ。てなわけで……」
いまだに妄想の彼方にいるアスランの目の前に、ラクスは小さな小瓶を差し出した。ちゃぷんと、小瓶の中身が揺れる。
「な、なんですか。この怪しげなブツは」
「ふふ。貴方のために、クライン家の頭脳を終結して作らせたおクスリですわ」
「はぁ!?」
波打つ目元がなんとも恐ろしい。アスランは、当然のように受け取りを拒否した。いかにも怪しげな毒々しいピンク色で、どんな作用があるのか恐ろしすぎる。過去の経験から言っても、ろくな事しかないだろう。
「まあ、失礼ですわ。わたくしは、あなた方の幸せを願って善意でお作り致しましたのに!!」
「心の声を覗かないで下さい。ていうより、貴方が俺のために何かするってこと自体が、怪しすぎるんですよ!?」
「わたくしは、キラの為ならどんなことでも致しますわ。貴方は、つ・い・で・ですわ」
「これを、キラに飲ませろと言うんですか!?」
「ええ。キラ用にちゃんと甘口にしてありますのでご心配なさらず」
「むしろ、心配しかありませんよ!! こんな怪しげなものキラの口に入れさせるわけにはいけません!!」
ふうと、ラクスはため息を付いた。ぱたぱたと飛んでいるピンクのハロを捕まえると、ぐすんと涙ぐむ。白い頬に透明の涙が流れた。
「ひどいですわ。わたくしがキラに何かするわけありません!! あなたならにならいざ知らず、わたくしのキラに害のあるような事をするわけがありませんですわ!?」
いつの間にか、二人の周りには大勢のギャラリーが囲んでいた。はらはらと涙を流す彼女を見た、彼らはどよめいてこそこそと隣と話している。明らかに悪者にされたアスランは、ちっと舌打すると、ラクスにハンカチを渡した。
「言い過ぎました…」
「いいえ。普段の行いの報いですわね……貴方に信じてもらえないなんて……」
「だぁあああ!! 分かりましたよ!? 受け取れば良いのでしょう!!」
「流石はアスランですわ!!」
ラクスはキラキラと目を輝かせた。分かってはいたが、見事な嘘泣きにアスランの米神がぴくぴくと動く。どピンクのその液体を受け取ってしまったアスランは、ため息を付いてラクスを見た。ハロに「やりましたわ」と報告していたラクスは、にこりと笑う。
「では、寝る前にでもキラに飲ませてくださいな。何かに混ぜても結構ですし、そのまま飲ませても、どちらでも大丈夫ですので」
ひらひらと手を振ったラクスは、颯爽と去っていった。謎のクスリのほかに使用上の注意らしきものが書かれた紙も渡される。試しに、その紙を開いてみた。しかし、そこにはとりあえず使ってみろとしかかかれていない。肝心の効能もなにも書いていないことに、アスランは思わず膝を付いた。ますます怪しすぎて、飲ませてよいものなのか躊躇われる。
が、使わなければ使わなかったで、またあのピンクの悪魔が何かを仕掛けてくるのは目に見えてくる。とことん犬猿の中、というよりも一方的に遊ばれているアスランだった。
* * *