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□△couverture chocolate
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バレンタイン。
男達がそわそわとし出す日。
男だったなら、誰しもがチョコを欲する日。
ここにもまた、お目当ての子からチョコを貰おうとする者がいた。
*couverture chocolate
「……一騎、今日は何の日か知っているか?」
朝食を終えて洗い物をしていた一騎は、総士の問いかけに顔を上げた。新聞を読んでいる総士の顔は、こちらからは見ない。何かあっただろうかと、一騎は考えてみた。
「…えーと、火曜日?」
「……そうだな、火曜日だ」
「はあ…そうだな。で、それが何?」
「いや、なんでもない」
総士は新聞を捲った。一面広告には、でかでかと「Happy Valentine」の文字とともにハート型のチョコレートが載っていた。
イベントごとに疎い一騎が、知っている確率は少なかった。しかし、仮にも付き合っているのだから、もしかしたらという期待感があったがために、なんだか余計に落ち込む。ちらりと新聞の間から、一騎を見ると普段と変わらない姿があった。
なんやかんやあって、せっかく一緒にいられるようになって始めてのイベント。別にチョコが好きだというわけではないが、恋人同士のイベントというものを体感したいのには変わりない。
「総士、そろそろ行かないと遅刻するぞ」
「あ、ああ。そうだな」
頭の中ではぐるぐると考えているが、それを表面には出さずに総士は立ち上がった。今日は、真壁指令と遠見先生に呼ばれている。総士は、一騎に見送られてアルヴィスに向う。
つかつかと、若干早足でアルヴィスの自室に入った総士はふうと一息ついた。
「……何でなんだぁあああああ!!!」
総士は叫んだ。それはもう全力で。言い切って、ぜぇはぁと息を切らして、壁を見つめる。そこには密かに貼ってある一騎の写真があった。因みに誰にも気付かれないように、絵の裏にそれはある。
「まあ、一騎らしいが……」
冷静にそう言って、そして落ち込む。冷静沈着で通っている総士のこんな姿を見られたら、即効入院させられるだろう。
「皆城くん。そんなんだから、一騎くんのチョコ貰えないんだよ」
「だめだよ、真矢。総士が情けないのは今に始まった事じゃないもん」
「な、お前たち!?」
いつの間にか、部屋の入り口に腕組みをして立っていた二人に総士はげんなりとした。ことあるごとに、総士をからかって遊んでいる節のある二人組み。総士の唯一苦手と言っていい真矢と妹の乙姫だった。
「何しに来たんだ」
「何って、私たちはただ、あわr……皆城くんの様子を見に来ただけだよ」
にこり笑う真矢と乙姫に、何とも言えない絶望感を感じた。一見普通の少女にしか見えないが、真矢の観察力と島のミールである乙姫に敵う気がしない。
「総士、元気を出して。私が哀れな総士にチョコをあげるから」
「……いらん」
乙姫が差し出したチョコレートと思われる包みを、総士は拒んだ。乙姫がなんの企みもなく、チョコを渡すとは到底思えない。それに真矢が加われば、怪しさ満点だ。
「ひどい…ひどいよ、皆城くん!? 乙姫ちゃんが皆城くんのためにあげたのに!!」
「そんな、余計に怪しげなもの受け取れるか!?」
「良いんだよ、真矢。総士が私のこと嫌いなの、知ってるもん」
きらり、と乙姫の頬に涙が伝った。明らかに嘘っぽいその姿。しかし、真矢はそれを煽るように、総士を睨んだ。
「乙姫ちゃんがかわいそうでしょ!? 皆城くん、おにいちゃんなんだから、ちゃんと貰ってあげて!!」
真矢は、ぐいっとそのの包みを押し付けた。綺麗にラッピングされたチョコは、見た目はとても良い。が、それが真矢と乙姫が絡んでいるとなれば話は別だ。こんな危険物質を貰う訳には行かない。
「じゃ、皆城くん。美味しく食べてね」
「残しちゃだめなんだからね!!」
チョコを返す間もなく、二人は脱兎の如く部屋を去っていった。その素早さに、あんぐりと口を開けた総士は、手元に残ってしまったチョコをじっと見つめる。
いっその事、捨ててしまおうかと、ぐるりとそれを見た。青色の包みと金色のリボンのそれは、よく見ると後ろに手紙らしきものが付いていることに気が付いた。
「ん? これは……」
白い封筒に入っていたメッセージカードを開く。
“捨てたらどうなるか分かってるよね?
乙姫”
ぱたん、と総士はメッセージカードを閉じた。だんと、膝と手を付いた総士は、逃れられない運命に絶望するのだった。
* * *
「た、ただいま……」
「おかえ――っ!! どうしたんだよ、総士…顔が真っ青だぞ!?」
心配そうに総士を見つめるその姿に、心が洗われて思わず抱きしめる。一騎からは、ふんわりと夕飯の匂いがした。優しいその匂いは、総士の心を落ち着かせる。思いっきり匂いを吸い込むと、一騎が身じろいだ。
「ちょ、くすぐったいって」
顔を赤らめた一騎の姿は、文句なしに可愛くていっそう強く抱きしめる。細くてすらりとした一騎の身体が潰れないように、気を使って。いざとなれば一騎のほうが力は強いのだが。
「本当に、今日はどうしたんだよ?」
「まあ……一騎は僕の癒しだからな」
二人の間に流れる甘い雰囲気に、総士は顔を赤らめる一騎の桜色の唇に口を寄せる。ぎゅっと目を閉じる一騎。だんだんとその唇が近づいたとき、一騎はぱちっと目を開ける。キッチンの方から感じるにおいに、総士を押しのけて駆けていった。
「わ、お鍋がこげちゃう!?」
「一騎ぃいいい!!」
これも乙姫の所為ではないかと、総士はうな垂れた。
* * *
「良かった。焦げてなくて」
「ああ、そうだな」
食卓に並んだ一騎の手料理を口に運ぶ。特別手の込んでいるという訳でないが、料理上手な一騎の作ったものはどれもおいしい。
今日の献立は、アジの開きと野菜がたっぷり入った味噌汁、それに茄子の煮物。あの時焼いていたアジの開きも、ほどよく焦げていてとてもおいしいかった。
「あ、そういえば。今日、遠見にこれもらっ――ちょ、大丈夫か!?」
一騎の取り出したその包みを見て、総士はげほげほとむせた。飲んでいた味噌汁が器官に入り込んでくるしい。
一騎が持っていたのは、青い包装紙で包まれている。明らかに見た事があるそれは、間違いなく総士があの二人から貰ったものと酷似していた。
「一騎、ちょっとそれを見せてみろ」
「え、なんでだよ? 俺が遠見に貰ったんだぞ」
「良いから……と言うか、一騎。君はどうして遠見にそれを貰ったんだ!?」
「さあ、あげると言われたから貰ったけど……何か、まずかったのか?」
こてんと首を傾げる一騎は、まったくもってバレンタインだということにも気が付いていない。ここまでくると、バレンタインというイベント自体を知らなかったのかもしれない。何と言っても、狭い田舎の島だ、あまりこのようなイベントが盛んではなかったのではないだろうか。
「ま、まずいと言うかだな……」
バレンタイン云々よりも、真矢と乙姫が関わっていることが問題なのだ。だけれども、それを言ったところで、何がいけないんだと聞き返されるだけだろう。何と言っても、真矢と乙姫が厳しいのは今のところ総士のみ。
「ま、まあ。大丈夫だ……多分」
「はあ……そうか」
なんだかんだと言って、一騎に甘い二人なのだ。一騎に害が及ぶ事はないだろう。自分が貰った分さえ気をつければ。
「中はなんだろうな」
「……きっと、チョコレートだろ」
「なんで分かるんだ?」
「さあな」
甘い物好きの一騎は、ウキウキとしていた。
何が悲しくて、好きな相手が天敵と言ってもいい相手からの贈り物に喜んでいるのを見なければいけないのか。表情には出していないが、総士はかなり不機嫌だった。
「あとで食べような。あ、総士にも分けてやるからな」
「ああ。ありがとう」
今頃ふたりでほくそ笑んでいるだろう。
それを想像して総士は、ふつふつと怒りがこみ上げてくるのだった。