蒼穹

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※4の続きです。






その一歩が踏み出せたとき、僕らの何かは変わる。




再びチャイムが鳴った。
隣の席は、埋まらないまま。
出しっぱなしの白紙のプリントに、何か書かれる事は果たしてあるのだろうか。


授業が始まる。
授業の内容は、正直簡単すぎてとてもつまらないものだった。机の上に出しっぱなしになっていた青色のシャープペンを手に取る。
無意識に使わないようにしていたそれ。カチカチと頭を押すと、芯が少しずつ出てくる。
カチ、カチ、カチと押し続けると、芯はどんどん押し出されていった。

退屈な授業と、春の陽気の温かさに嫌気が差す。
カーテンの引かれた窓は、隙間から入る風で時折ふわりと波打つ。
視界に入った校庭の隅に、黒い頭が見えた。
校庭の隅にある大きな銀杏の木。その木の下に入っていくその黒い頭は、ふらふらと木陰に入るとずるずると座り込んだ。
蹲るように座り込んだ人影が、ぱたりと倒れる。

そういえば、先ほど見た横顔は少し目が潤んでいた気がする。
温かかった手の感触は、もしかしたらと、僕を行動に掻きたてた。

ガタンと思ったよりも大きな音に自分で驚く。突然立ち上がった僕に、周りの視線が一斉に突き刺さる。その視線を振り切るように、教室を後にした。誰かの制止する声を無視して廊下を走る。

昔から、変なところで我慢する奴だった。
自分が痛いのに他人の心配をして、その所為で自分のほうが怪我を悪化させる。自分は痛くないフリをして。
階段を下りていく。授業中の今、ばたばたと走る僕の足音だけがやけに大きい。
廊下を曲がって、上履きのまま校庭の片隅へ。眩しい太陽が校庭の砂を照りつける。思いのほか暑いその温度が、余計に心拍数を上げる。
ドクドクと整わない鼓動を鎮めて、木陰の中へ入った。ざわざわと風に揺れる葉の音が、すっと熱を浄化しているようだった。
太い幹の下で倒れている一騎を見つける。黒い髪に隠れて顔は見えない。くの字に曲げられた身体は、ちゃんと上下に動いていた。
時折、木々の隙間から入る光に、黒い髪が照らされる。顔に当たった光を避けるように、一騎は手を翳した。


「一騎……」


その声に反応するかのように、ぴくりと手が動く。その手が下ろされる前に、僕は一騎の手を握っていた。驚いた一騎の顔が下から覗く。
一騎の手を一気に引っ張り上げてその身体を起こした。黒い前髪に隠れた額に、僕は手を当てる。僕よりも高めのその温度は、通常値を示していた。


「……な、んで?」


ぴたりと当てられたままの手のことを、一騎は言っているのだろうか。それとも、何故僕がここにいるのか、ということを言っているのだろうか。はたまた、そのどちらもか。


「あ、いや……」


おそらくどちらもだろうと、結論付けて手を離す。
一騎の問いかけに、答えを返すことが出来なくて押し黙る。僕が口を閉じると、一騎も口を閉じた。さわさわと風の音だけが聞こえる。
肩が触れ合うその距離は、互いの息遣いが感じられた。
これほど近い距離にいるのは久々のはずなのに、不思議と居心地の悪さはなかった。それよりも、机を挟んだその距離の方がずっと心がざわついていた気がする。

ふわりと吹いた風に、校庭の砂がくるりと巻き込まれた小さな渦を作る。その渦はくるくると回ってどこかへ消えた。


「あの……」

「なんだ?」


一騎のほうに目線をやると、手のなかにあのオレンジ色のシャープペンがあった。あのまま持ってきてしまったのだろう。手の中のそれを一騎は握っていた。


「なんで、ここに来たんだ?」

「……それ、まだ持っていたんだな」


一騎の問には答えずに、僕は手の中のオレンジ色のシャープペンを指さした。すこし色あせたそのシャープペンは、褪せた記憶を蘇らせる。
貰ったお小遣いで一緒に買いにいったシャープペン。小学校に入ったばかりの僕らにとって、それはとても大人で憧れに見えた。だから、二人でこっそりと買って小学校にも持っていった。学校では使えないから、いつもペンケースの中に入ったままだったけれど。


「総士、覚えているのか?」

「ああ、覚えているよ」


灰色だったその光景が、色付く。
たしか、あの後だった。あの日の事故は。
僕は、青色のシャープペンを一番奥にしまい込んだ。中学に上がってからも、そのシャープペンは奥に入っていたけれど、使えないままだった。
あの頃の僕は、失った視力と表現できない感情の所為で苛立っていた。
だから、一騎を突放して……違う。
不安定だった僕の感情に、一騎が気付いて離れてしまうのが怖かったのだ。それまで二人だった世界に、誰かが入り込んでくることが嫌だったから。だから僕はあの時、持っていたシャープペンを一騎に振り下ろした。
一騎はとっさに僕を押した。倒れた先に、鋭い石があって……


バラバラだったパーツが一つになった。


「具合が、悪いのかと……」

「え?」

「具合が悪くて倒れたのかと思った」

「俺が?」


顔に手を当てて頷いた。
幼かった僕のあまりにも幼稚なその心。大人だったのは一騎のほうだった。
勝手に解釈されていた記憶は、じつに身勝手で一方的すぎるものだった。

ふっと一騎が笑った。指の隙間から見えたその顔は、とても懐かしい顔だった。
明るくて、素直で、その笑顔を独り占めしたかった。


「あいかわらず、優しいんだな」

「は?」

「だって、俺なんかのこと気にして、授業中なのに」


一騎の顔が陰る。その顔にさせたのは、僕の所為だ。
一騎の手を掴む。驚いた手を無視して、僕はその手を左目に持っていった。
瞼の上に感じるぬくもり。薄くなったその傷は、今ではほとんど目立たない。


「なんかなんて、言うな」

「そ…し……?」

「これは、お前の所為じゃない。むしろ、僕の所為だ。だから、お前は……」


言葉が続かなかった。感情のまま言葉を発する事をしてこなかった所為で、感情をうまく言葉に出来ない。開いた口が閉じる。自分にイラついたその衝動が、行動に出た。


「え、そ…し、あの……」


突然抱きしめられて、一騎の言葉が淀む。自分の行動に驚いているのは、僕も同じでだけど離す気にはなれなかった。


「一騎、すまない……」

「そうし……」


一騎の手が背中に回った。掴んでくる手は、昔と変わらない。
一回り小さい――というと、よく怒っていた、身体も少し高めの温度も変わらない。


「一騎……」

「なんだ?」

「……傍にいてくれるか?」

「……ああ」






“一歩を踏み出す勇気”





それさえあれば、もっと早くこの距離を縮められていたのに。


微妙だった距離は、ぐっと近づいて。



僕らの距離は、ゼロになる。




End


総士の傷捏造。
原作ベースですが、普通の学生だった場合はそこまで複雑にはならないんじゃないかと……。ただし、状況は劇的に変わることはないので時間はかかるんじゃないかなぁと思ったり。
総士が女々しすぎた気もι
まあ、パロなので←

曖昧な関係の総一って、なんか総一の象徴っぽい気がする。







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