蒼穹

□手の鳴るほうへ
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ざわざわと木々が風に揺れた。
その隙間から日差しが漏れて、きらきらと顔に降ってくる。
それはまるで、あの頃のようだった。



*手の鳴るほうへ




「これからどうしよう……」


夏真っ盛りのよく晴れた雲ひとつない空。今日も太陽はさんさんと、暑い日差しをせっせと作り出していた。
こんなにも頑張らなくて良いのにと、一騎は木々の隙間から太陽を見てため息を付いた。森の中はまだ幾分か暑さも和らいで感じるのだが、それでも日中は暑い。
そんなクソ暑い中なぜ、一騎はこんなところにいるのかと言うと、それはかれこれ二時間ほど前のことだった。





アルヴィスでの仕事を終えたであろう総士を迎えに行ったときのこと。精密機械を数多く扱うアルヴィスの中は、冷暖房完備で夏の暑さとは無縁。一騎の家にもエアコンぐらいはあるのだが、そこは主婦的な感覚で節約意識が働いて一人でいるときはなるべく使わないようにしていた。その所為もあって、アルヴィスの中の快適な温度が密かな楽しみでもあった。


「総士、お疲れ」

「ああ、一騎か」


アルヴィスでの仕事をこなしていた総士は、勿論、アルヴィスの制服を着ている。その制服は、上着が長袖タイプになっている。施設の中で作業する分には問題ないのだが、どうにも暑苦しく感じる。おまけに、赤いスカーフをきっちりとしているために、余計に暑苦しい。外からこの中に入ってきた所為もあるのだろうが、それにしても暑苦しい。


「なあ、総士。暑くないのか?」

「いきなりなんだ? ……べつに、暑くはないが」


総士にとって見れば、突拍子もない質問だろう。適温に保たれたこの施設の中では、それ程疑問を持つこともない。


「制服。なんで、夏用がないんだ?」

「ここで作業するには必要ないだろう」


もっともすぎる意見。確かに、島の状況を大人達が隠していたときには、このアルヴィスの中でしか制服を着ることはなかっただろう。だが、こうして子供達にも知られてしまった今、制服で外に出歩く事も少なくはない。この炎天下の中、あの上着を着て出るのは拷問に近いと思ってしまう。


「まあ、それもそうだが……」

「だろ?」

「だったら、上着を脱げば良い」

「……あ」


ごもっともなその意見に、一騎はそうかと納得する。
基本的に、ルールは守らなければいけないものと無意識に考えている一騎は、真っ直ぐすぎて、その発想が出来なかった。総士は、ぐりぐりと一騎の頭を撫でる。撫でられたほうは、まるでバカにされていると勘違いしてぷくりと頬を膨らませる。それに思わず総士は吹き出した。


「笑うなよ!」

「すまない、な」

「おまえ、思ってないだろ……」

「…そんな、ことはない」


絶対嘘だと思いながらも、一騎は総士の赤いスカーフを解いて取った。首元がなくなるだけで、幾分か涼しげに見える。返せと総士は手を伸ばしてきたが、一騎はひょいとそれをかわす。頭の出来で総士にかなわないことは分かりきっているが、身体能力では勝つ事もできる。ひょい、ひょいと総士の手から逃れながら、いつしか駆け足になった。
鬼さんこちら、と口ずさみたくなって、ひらひらとスカーフを振る。


「おい、良い加減に返せ」

「取り返せば良いだろ」

「無理だから、言ってるんだ!」

「総士は総司令官なんだろー。そのくらいできないのか?」


鬼さんこちら、と口ずさみたくなって、ひらひらとスカーフを振る。一騎はくすりと笑った。
ずっと幼い頃は、総士や剣司たちともこうしてよく島中を駆け回って遊んでいた。その頃から足の速かった一騎は、鬼になれば、ひょいと簡単にみんなを捕まえる事ができた。勿論、逃げる側の時は最後の一人になることが多く、鬼に降参されることもあった。そのうち、大勢なら一騎を捕まえられるだろうと、多数対一騎で追いかけっこに発展した事もあった。だけど、咲良も剣司たちにもなかなか一騎を捕まえる事はできなかった。
幼い頃の思い出をぼんやりと思い出していると、ふいに一騎はアルヴィスのかなり奥のほうまで来てしまったことに気が付いた。アルヴィスの中は広く、未だに入った事のないエリアも存在する。


「どこだ、ここ……?」


ぴたりと立ち止まってあたりを見回す。アルヴィスの中は、どこも同じようなつくりをしているため、一度迷うと自分がどこにいるのか分からなくなる。メモリージングで知識はあるのだが、それはすべてではない。新たに作られた施設は、その範囲には勿論入らないからだ。


「いつのまにか、総士を撒いてたのか」


手にした赤いスカーフを見つめる。ぼんやりと昔を思い出しながら走っていた所為で、いつ総士がいなくなったのかも覚えていない。
とりあえず、来た道を引き返してみようと歩き出す。電気がついていないこのエリアは普段あまり使うことがないところなのかもしれない。通りすがりで誰かに会えば聞けば良いと思っていたのだが、それもあまり期待できそうない。
ぺたぺたと一騎の歩く音だけが廊下に響く。サンダルを履いてきた所為で、なんとなしに足元が冷たい。


「そういや、あの時もそうだったな」


誰にも捕まらないぞと、みんなから逃げ回って、逃げ回って、気が付くと後ろには誰もいなくなっていた。山の中に入って、ぽつんと一人きり。いつも遊んでいる山だから、迷う事はないけれど、一人きりだと妙に物悲しい。
走っていた歩みを止めて、ぐるりと周囲を見渡した。ミンミンと鳴く蝉の声と、ざわざわと木々が擦れる音、それに波の音。それだけしか聞こえない。

『みんな、どこ?』

不安になって、そう呼んだ。だけど帰ってくる声はない。もう少し登ったら、みんなが見えるだろうかと山を登る。けれど、登って下を見下ろしても、総士や真矢、衛たちの姿はない。

『もしかして、もう家に帰っちゃったのかな』

一人だけ捕まえられなくて、それに良い加減に飽きてしまったのかもしれないと考えた。


「なんか、今の状況にすごく似てる」


廊下を歩いていると、地上へと続く通路を発見した。島の地下に張り巡らせるように作られているアルヴィスだが、地上に出てしまえば場所は分かる。一度上に出れば、元の場所にもどる事も出来るだろう。
外の風にあおられて、思わず目を瞑った一騎は、その目を丸くした。こ階段を昇った先、それがあの森の中だった。
素直に帰れば良いのだが、なぜだが帰ることが出来なくてこうして木陰に座り込んでしまったのだ。手の中のスカーフを握ったまま。
多分、幼い頃のその感情に引き摺りこまれている。
確か、その後すぐに総士に傷を負わせてしまって、それ以来みんなと距離をとるようになった。だから、それ以来鬼ごっこをすることは少なくなった。誘われて、鬼ごっこをするときも、本気で走るとみんながつまらないだろうと思ってわざと手を抜いていた。


「これ、どうするかなあ」


一騎が持っていては、迷惑をかける。アルヴィスの中は、ほんわかとどこか家庭的だが、それでもどこかピンと張り詰めたものがある。日常との堺が、きっとこの制服なのだろう。だから、アルヴィスの中ではきっちりと皆が制服を着ている。
それならば、このまま黙って総士の部屋に置いてきてしまおうかと、一騎は立ち上がった。さくさくと落ち葉を踏み進むと、いつの間にかもう一つの足音に気付く。真っ直ぐにこちらに近づくその音に、一騎は振り返った。


「おまえ、そんなところにいたのか」

「総士……」


探し回ってくれたのか、総士は汗だくだった。暑いだろうにジャケットを着たままで、長い髪も首筋にべったりとくっ付いている。めったに見ることのないその姿に、一騎は目を丸くした。


「おまえ、暑くないか?」

「誰の所為だ。暑いさ、ものすごくな」

「じゃあ、上着、脱げば良いだろ」

「……そうだな」


気付かなかったとも言うような総士の顔に、思わず一騎は吹き出した。上着を脱いだ総士は、流れてきた汗を拭う。これではまるで、さっきのやり取りと同じ、立場だけくるりと代わったままではないか。
首筋に張り付いた髪を払うと、総士はシャツのボタンを一つ外す。そこから風を送り込むようにして扇いだ。さくさくと足を進めた総士が目の前に立つ。顔を見上げると、日差しの眩しさに一期は目を細めた。


「よくここが分かったな」

「おまえが言ったのだろ? 自力で取り返してみろって」


握り締めていた赤いスカーフが、しゅるりと奪われた。ひるがえった赤の色がきらりと日差しに光る。いつの間にか捕まれていた手首。いつもよりずっと高い体温にすっぽりと捕らえられて、逃げられなくなった。


「捕まえた」

「……暑いぞ、総士」

「おまえの所為だろ、我慢しろ」


そういえばあの頃も、一騎を捕まえられるのはいつも総士だった。いろいろと策を凝らして、なんやかんやと捕まえられる。かけっこでは負けたことはないのにと、ふて腐れていた。頭でも足でも敵わないのかと。


「また、お前に捕まったな」

「また?」

「こっちの話だ」


山の中で泣きそうになったとき、やっぱり見つけたのは総士だった。あの亜麻色の髪を見つけて、ほっとなって泣けてきた。泣いているのを知られたくなくて、ひしっと総士に抱きついた気がする。
何年語っても、まるで変わらない関係。いろいろと変わった事もあるのだけれど、それでも総士がいればいいかなとそう思った。
べたつく汗も、何故か心地よく感じるけれど、流石に暑くなってきた。


「総士……汗、べたべたする」

「……帰るか」


背中に回していた手を離すと、さあっと風が通り過ぎた。




End

夏らしく。あいも変わらず、べったべたしている総一です。
森の中は意外に涼しいですよね。最近、本当に総一が好きすぎて二人揃ってるだけでうひょ―ってなります←←






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