空に知られぬ雪

□弐
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「…九郎、今は御館にはご用がおありなのですよ…」
「しかし、じっとなどしておれん!」


―スパァーン!!
「御館っ!泰衡が崖から落ちたと言うのは、まことですか!!」

襖が大きく開けられた音に負けず、若い男の声が部屋いっぱいに響く。
蘇芳が後ろを振り返るときれいな栗色の髪の男の子と、その後ろには少々頭を抱えた様子の布を頭にかぶった男の子がいた。

「騒々しいぞ、九郎」

常に刻まれている眉間の皺がより一層深くなったのを蘇芳は確かに見た。

「泰衡…!無事だったのだな、よかった」

九郎と呼ばれた少年はよく表情の変わる子だった。
先ほどまで襖を吹き飛ばしてしまいそうな勢いだったのに、もうにこにこと笑っている。

「ふんっ……俺の心配よりも、自分の心配をするんだな。この状況がわかっているのか?」

そう言われて彼はやっと自分のしでかした事の重大さに気付いた。
やっと蘇芳が目に入り、面会の途中だったのだという事を理解する。

「もっ、申し訳ありませんでしたっ!!」

そう言って、床に手を付く。どうやら全く礼儀が備わっていない訳ではないらしい。先ほどのは泰衡の大事に気が動転していた、という所だろうか。

「御館、九郎は泰衡殿が崖から落ちたと聞き気が動転していたのです。普段ならばこの様な事はありません。ですので、どうかご容赦を」

そう言って、栗毛の少年の側に居た―頭に布を巻いた少年が弁明をする。
普通ならば主が他の者と面会中であるのに、そこへずかずかと入り込むのは無礼きわまりなく、相応の処罰が課せられるところだ。普通ならば、だが…

「よい、御曹司はこ奴の身を案じてくださったのじゃな。この通り傷一つ付いておらん。
ちょうどそなたの事を話そうとしてた所じゃったのだ」

ここで、蘇芳は改めて彼―御館の器の大きさを理解する。
秀衡に招かれた二人の少年は蘇芳の隣に少し間を空けて座った。

「こちらは蘇芳と言って、泰衡が崖から落ちた所を救ってくれたのじゃ」

蘇芳は紹介されて少年らに向き直り礼をする。

「救った、などと大したことはしておりません。落ちてきたのを受け止めただけにございます」

「それでも、泰衡を助けたのは変わりないのだろう。俺からも礼を言わせてくれ、有り難う」

深々と下げられた頭からは本当に感謝の念が伝わってくる。

「俺は源九郎義経。名乗るのが遅れて申し訳ない。訳あって御館のご好意で平泉で暮らしているこっちは…」

「自己紹介くらい自分でさせて下さい」

布を被った少年が九郎の言葉をさえぎった。

「僕は武蔵坊弁慶。九郎とは何かと腐れ縁でして、戦友とでも言っておきましょう」

(源……)
蘇芳は九郎の名に何か違和感を感じたが、それが何かわからなかった。
それに気付くのはまだ少し先の事になる。

「蘇芳は泰衡の恩人。
しかし、子ども一人寒空に叩き出され、その辛さ故か記憶までなくしてのぅ…なんと哀れな事じゃ…うぅっ…。
それで儂の子として養い、相応の歳になったら儂の郎党にしようと考えておるのじゃ」

なにやら始めの説明とは若干違うような気もするが、蘇芳は空気の読めない人間ではない。あえてここは名にも言わずにいる事にした。

「郎党ですか。ということは、お前、刀が使えるのか?」

そんな腕で?と後に言わずとも知れる言葉がかけられる。
蘇芳の体は男と説明するならば、とても華奢だった。腕も細いし、全体的に見ても筋肉がもりもりと付いているようには見えなかった。

九郎に侮ってとられたのが不愉快だったのか、少しばかり言葉に力が入る。
しかし、なにも九郎は蘇芳を侮った訳ではなかった。

「そうか。それは是非、剣の手合わせ願いたい」

彼の爽やかな笑みに不愉快など吹っ飛んでしまう。
手合わせを望むが故の、純粋な質問であったのだろう。

「はい、九郎殿がよろしければ喜んで」


こうして蘇芳は平泉で生きていくこととなる。


この世に「偶然」なんてない。有るのは「必然」のみ。
蘇芳と泰衡、九郎達が出会ったのもまた「必然」。

そして、彼らは己の運命を自ら選んで進んでいく。
数年後、平泉に訪れる小さな春を密かに待ち望んで。



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