跡部の世界を構成するのは、
他のなにものでもない、
忍足なんだよ。





お嬢様育ちの跡部が、一般常識で分からないことを聞くのは必ず忍足。
忍足も、優しく教えている。
そんな光景はもう見慣れたもので。
跡部の世界を構成する一般常識のほとんどは、忍足が教えたものではないかと思うほど。
がっくんも、亮ちゃんもたとえそれが間違っていたとしても訂正することはなかったし、二人がしないなら俺もいいやって。
でも、忍足は自分にプラスになることは絶対教えないんだ。
自分を、売り込むことはしないんだ。

「…なんで?」
「は?」

たまたま今日が、俺と忍足で部室の掃除当番だった。
俺たちも高校に上がれば一番下っ端になるわけだし。
そもそも、掃除当番に下っ端とか関係ないんだけどね。
いいチャンスが来たなあって思って、ずっと不思議に思ってたことを聞いてみた。

「なんで忍足はそんなに卑屈になるのかなぁって」
「そうか?」
「うん。そうとしか見えない」

そう返すと、忍足は寂しそうに笑った。
テーブルを拭いていた手を止めて、俺を見る。
漆黒の目に、ガラス越しではないその瞳に、見つめられた。
忍足は、高校に上がると同時にメガネをかけなくなった。
理由はわからない。
だって、入学式の日にはすでに外していたから。
誰も、何も聞かないし、俺も聞かなかった。
忍足の目が、聞かないでって言ってたからね。

「ジローはよう見てるんやね」

テーブルを拭くためにどかしていたペン立てとかを元に戻しながら諦めたように言う。
俺、その言い方も、その笑顔も嫌い。
忍足はいつも、肝心なことをみんなに隠すんだ。
跡部にも。

「卑屈になってるつもりとちゃうよ、そんなつもりはないんや」
「じゃあ、なんで?跡部のこと好きじゃないの?」
「好きやで、そらもちろん。でもな、だから、俺は俺に自制をかけなあかんの」
「なんで?」

俺はもう、掃除のことなんかどうでもよかった。
掃き途中だった床掃除だって二の次。
箒も誰かのロッカーに立て掛ける。
椅子に座る忍足の前に座って、じっと忍足を見る。
忍足は困ったように笑っていた。

「余計なことを考えてしまいそうやから。それに、きっと跡部を困らせて傷つけてまう。それだけは絶対に嫌なんや」

ふう、と忍足はため息をついて天井を見た。
真っ白な天井。
蛍光灯が少しまぶしい。

「跡部はいろんなものを背負ってる。将来のことだけやのうて、今やって。重すぎるほど背負ってるんや。それ以上に俺が負担をかけてどうするん?ただ、ふとした瞬間に俺を思い出してくれるだけで、それだけでいいんや、俺は。それ以上は何も望まん」

俺にとっての最優先事項は跡部が笑っていることだから、って。
きっと、この言葉だけ聞いたら跡部は嬉しいかもしれない。
言葉だけなら。

「跡部が笑っていてくれたら、いいの?」
「ああ」
「忍足が笑っていなくても、跡部だけ笑っていたらいいの?」
「そうやな」
「それは、」

それは、違うよ。
そんなのは忍足のひとりよがりだ。
だって、跡部が笑っているのはいつだって。

「忍足が横にいるからじゃん…!」

跡部、幸せそうなんだよ。
誰と居ても、どこにいても、そこに忍足が存在するだけで。
跡部の世界は色づくんだ。
跡部に聞かなくたってわかる。
跡部を構成するほとんどは、

「忍足なんだよ……!」

忍足の目の色は真っ黒だ。
少し冷たいと思うかもしれない。
真っ黒は、何も感じさせない色だから。
でも、でもね。
跡部はその目が好きだって言ったんだ。
忍足だから好きだって言ってたんだ。
俺が、忍足の目が怖いって言ったら、跡部はふんわり笑ってそう言ったんだ。

「跡部のこと大事に想うなら、もっと抱きしめてあげなきゃ。もっと声を聞かせてあげなきゃ。もっと強引にならなきゃ。跡部はいつだって、忍足を待ってるんだよ」

そう言ったら、忍足はびっくりしたように目を見開いたあと。
あのときの跡部とおんなじように、ふんわり笑った。

「そっか…ずっと、待たせてたんやな…」

そうつぶやいた忍足は寂しそうだったけど。
でも、もう大丈夫だなって思った。
それはきっと、自分に向けた寂しさだったんだと思う。
もう、今の自分とはサヨナラしないといけないから。
慣れ親しんだ自分とサヨナラするのは勇気がいるし、寂しいものだと思うしね。

「ジロー、掃除早よ終わらせるで」
「うん!」
「今日、帰りにサーティワンにでも寄るか?お礼に奢ったる」
「ほんと!?トリプル頼んでもいい?」
「ええで」




― 忍足は、いつか、あたしを手放すつもりなのかな…?
― え…?
― いつも、どこか遠慮してるように見えるんだ…

ねえ、跡部。
大丈夫だよ。
こんなにも、想われてる。





























2011/03/26


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