跡部の機嫌を損ねる原因は、限られている。

たくさんのモノを抱えている跡部の、機嫌を損ねられるモノ。











気付いたら、跡部は不機嫌だった。
朝は普通に部活に出ていたし、お昼に会ったときもいつもと変わらなかった。
次に会ったのは、放課後の部活のとき。
その時にはすでに跡部は不機嫌だった。
誰も原因はわからないというし、みんなが口をそろえて言うのは。

「原因はお前じゃねえの?」

ジローからもらったのだろう、ポッキーをかじりながら岳人が言った。
幾度となく言われたその言葉にため息が漏れた。

「なんでやねん…」
「だって、他に理由思いつかねーじゃん」

俺らが何したってあんなに不機嫌になることねーし、と続けてポッキーをもう1本。
ポキ、と軽い音を立ててそれは岳人の口腔内に消えていった。

「俺かて今日の昼が最後やっちゅーねん、跡部と会ったの。お前らも居ったやろ」
「んー、まあ、確かに。昼休みの時点で跡部は不機嫌じゃなかったわけだしな」

くしゃり、中身のなくなった袋が握りつぶされる。
ぎゅ、とひねりゴミ箱へ向けてゆるい曲線を描き飛んでいく。
俺はただそれを見つめて。

「あ、外した」

惜しくも端に当たって床に落ちたそれを見て岳人が呟く。
タイミングがいいのか悪いのか、それと同時に開いたドア。
二人しかいなかった部室に入ってきたのは、たった今まで話題の中心人物だったその人本人。

「あ、跡部」
「まだ部活中だぞ、何サボってやがんだテメーら」
「自主休憩中」
「アーン?十分休んだだろ、さっさとコートに戻れ。下の奴らに示しがつかねえだろ」
「へーい」

身軽な動作でぴょん、と椅子から立ち上がり床に落ちたごみを拾い再度投げ入れる。
至近距離から投げ入れたそれはようやくゴミ箱の中へ。

「侑士、行くぜ」

跡部と岳人の会話をぼんやりと聞いていると急に声をかけられ一気に現実へと意識を戻される。

「おう、行くわ」

飲みかけのスポーツドリンクを手に取り立ち上がる。
すれ違いざまに見た跡部の表情はやっぱり不機嫌そうに眉間にしわを寄せていた。




「な、やっぱりお前にだけだって」
「それはそれでへこむっちゅーねん」

部活終わり、無駄話に花を咲かせながら各々が着替えている。
さっきの話の続きとでもいうように顔を覗き込みながら岳人が言う。
確かに、あの後。
跡部の機嫌はあれ以上に悪化して。
むしろ、岳人の言うとおり、俺にだけ態度がさらに悪化したと言えるだろう。
無視はおろか、俺を視界に入れないようにしている様子はあからさまで。

「いい加減俺も腹が立つっちゅーねん…」
「ん?」
「いや、こっちの話」

ぼそりと呟いた言葉は岳人の耳には届いていなかった。

「岳人、帰るで」
「は?お前跡部と…」
「別に約束してるわけ違うし、どっちにしろ、今日はあかんやろ」

あの調子だと、と視線を向ける。
ひょっこりと俺越しに跡部の姿を認め、ああ、納得の声を上げる。
そしてくるりと向き直ると、にかっと笑い、いつもの人懐っこい顔となる。

「んじゃ、帰ろうぜ。あ、あそこの駄菓子屋久しぶりに行かねえ?」
「おん、ええで。自分の物は自分で買えや」
「何買ってもらおうかな〜♪」
「おーい、がっくーん。話聞いてますかー?」

ぱたん、と閉まったドアの向こうで跡部がどんな表情をしていたかなんて、背中を向けていた俺には分からない。
さっき岳人も言っていたけど、こうやって岳人と寄り道しながら帰るのは本当に久しぶりで。
跡部と付き合うようになってから、部活が終わったら跡部を待って、一緒に俺の家に帰って。
たまに跡部に家に行ったりもするけど、俺の家に来ることが多い。
最近は本当にそんな毎日で、たまに喧嘩もしたりするけど、ちゃんと仲直りしてるわけだし。
専ら謝っているのは俺の方やけど。
謝る理由を一つでも間違えると、余計に不機嫌となるから跡部は難しい。
しかも、あっちから謝ってくることなんて絶対にないと言い切れるから。
だからこそ今日みたいにまったく原因のわからないことで跡部が不機嫌になられると、こっちは困る。
ヘタに謝ることなんてできないんだし。
でも原因は明らかに俺。
どうしたものか。
今日は金曜日で。
明日は部活もあるけれど、宿題も急いでやる必要はないし二人でゆっくりできると思ったのに。

(残念やな…)

「なぁ、侑士ー。跡部さぁ、ほんとどうしたんだろうな」
「さぁな」
「あれ?もしかして侑士もフキゲン?」
「ちょっとだけな」
「そっか」

岳人の家の近くまで一緒に歩いて、じゃあな、って別れて。
大量に買い占めた駄菓子が入った袋ががさがさと揺れる。
今日の晩御飯をどうしようかな、とか。
駄菓子の他にもコンビニで買い食いしたからそこまでお腹は空いてないしな、とか考えながら。
自分の家の前まで来ると、薄暗い中に人影。

「……は?」

思わず漏れたその小さな声に、その人影は顔を上げる。

「跡部?」
「……どこほっつき歩いてんだ。もう暗くなってるぞ」
「いやいやいや。お前こそここで何してんねん」

ぶすっとした顔で、わかりやすく“拗ねています”と全身で伝える跡部に思わず強く返してしまう。
“お前”なんて、跡部に対してあまり言わないものだから。
その言葉にびくりと肩を揺らした跡部を見て、内心、しまったと思う。

「……えが…」
「…?」
「お前が、今日は先に帰るからだろ…」

手持無沙汰に、制服の裾をいじりながらぼそぼそとしゃべる。
いつもの跡部からは到底かけ離れたその姿に、目の前にいる人物は本当に跡部なのだろうか、と疑ってしまうほど。

「今日、金曜日だし、いつもだったら一緒に帰って泊まるのに…お前、向日と先に帰っちまうし…もう帰ってるかと思って家に来ても、お前、いねえし…」

そこまで言って俯く跡部の視線の先には、いつもの宿泊用の鞄。

「楽しみにしてたのって、俺だけかよ……」

耳まで真っ赤にして、きゅ、と唇をかみしめるその様子に、先程までの跡部に対するいらだちとかすべてふっとんだ。

「忍足?」
「……おいで、中で話そうか」

こくん、と頷く跡部の鞄をいつものように手に持って。
ふと、重みを感じる服の裾に胃の奥がなんだかぐるぐるとした。




「――で、まぁ、先に帰ってもうたのは謝るけどな…」

そもそもの原因はお前やろ、とアイスティーを渡しながら言う。
唇を尖らせたままそれを受け取り、こくり、と一口。
そして気まずそうに瞳をきょろきょろ。
今日一日で、一生分の跡部の表情を見たかもしれない。

「何をあんなに不機嫌になってたんよ?しかも俺に対して態度あからさまやし。原因もわからんのにあんな態度取られたら、俺かて腹が立つっちゅーねん」
「………」
「今日はだんまりは認めへんで、景吾」

隣に座って、顔を覗き込めば。
二、三度口を開けたり閉じたり。
そしてようやく出てきた言葉が。

「お前が、あんな女の髪なんか触るからだろ」
「は?」

それこそ突拍子のない一言だったものだから。
間抜けな声しか出せなかった。

「昼休みの、あのあと、お前に今日は遅くなるからって言いに行こうとしたんだよ…」
「…あぁ、あの時か…」

昼休み、跡部たちと昼ご飯を食べてそれぞれ教室に戻った後のこと。
廊下でたまたまぶつかった同じクラスの子。
その子が頭に埃をつけていたもんだから、それを取っていただけの話だ。
その現場を跡部が見ているとは思わないし、別にみられてもやましいことはしていないのだから、忘れていても仕方がないと思う。
まさか、そんなことで跡部があんなに不機嫌になるとは思わないわけだし。

「……それだけか?」
「ん?」
「本当にそれだけか?」

事情を話した後にぽそりと確認の一言。
じっと見つめる蒼に吸い込まれそうだ。

「おん、ほんまにそれだけ。そうやで、今の今まで跡部に言われるまで忘れてたんやし」
「そうか…」

こてん、と左肩に重み。
柔らかい猫っ毛が首筋に触れる。
跡部はいろんなものを抱えている。
普通の中学生じゃ背負わないだろうというようなものを。
それは俺には理解できない領域だし、絶対口出しできない。
そんなたくさんのモノを抱えている跡部の機嫌を損なえるモノ。

「…ゆう、し」
「へ?」
「ごめん…」

すり寄ってくるこの高級猫は、あのいつもの俺様猫なんだろうか。
でも、それよりも、気になったのは。

「なあ、跡部」
「なんだ」
「俺が女の子の髪触ってたのが気に入らんかったんや?」
「だったら悪いか」
「なぁ、それって」


それは、すなわち。
































2011/12/26


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