X

□君のいる日常 132
1ページ/4ページ


「くしゅんっっ」
「ほ〜ら、まだダメやないか。寝とった方がええよ」
「大丈夫だよ。くしゃみが出ただけだよ」
「くしゃみが出るいうことは、治っとらんいうことや」
「ちょっと寒かっただけ」
「なに、寒いんか?あかん、それはあかん、もっと厚着せな」
「もう着れないよ〜」
「い〜や、あかん。ちょっと待っとれ」

今日は大晦日。
で、忍足夫人は風邪をひいてます。
どうもこの時期、風邪をひくことが多い忍足夫人なんですが、そうするとこの人が・・・

「ほら、これを掛けて、っと」
「暑いよ〜」
「寒いて言うたやないかい」
「寝るのやだから言っただけ〜」
「なんやて?俺を騙したんか?」
「騙してなんかない〜」
「そうか。俺がこ〜んなに心配しとるのに、当の本人は適当なこと言って俺を騙そうとしたりしとるんやな」
「そんなことない、ないよ。ねえ、侑士、ないから、ねえ、」

もう半べそです。
風邪と言ったって今回は熱が出た訳でもなく咳が出て鼻がぐしゅぐしゅといった程度なのに、もう大変なのだ。
今年中に机の片付けをしたかったのに、それはダメ。
洋服を少し整理したかったのに、それもダメ。
おせち料理も作りたいのに、そんなの絶対にダメ。
あれもダメこれもダメそれもダメ。
ちょっとくらい嘘もつきたくなる、というもの。

「ほんまに大丈夫なんやな」
「うん」
「なら、起きとってもええよ」
「わ〜い、やった〜」
「でもそこに座っとらなあかんからな」
「え〜、机の片付けしたいのに〜」
「だ〜め」
「だってやらなくちゃ引き出しの中とかぐちゃぐちゃなの知ってるでしょ?」
「知っとるよ。どこに何があるかよく分かるていつも感心しとる」
「だったら片付けさせて」
「あかん」
「座ってるのと同じだよ、大丈夫」
「なら俺がやったる」
「え〜、やだ、そんなの」
「なんや、俺に見られたくないもんでも入っとるんか」
「入ってない〜」
「なら、ええやろが」

もうお分かりとは思いますが、実際のところ水月の風邪は大したことはないのです。
ただただ、楽しいだけ。
もちろん忍足が、です。
水月が最初の咳をこほっとして、最初のくしゃみをくしゅんとした3日前から、ひたすらかまっている。
あ〜、楽しい。
水月がこの時期に風邪をひくのは忍足には既に織り込み済み。
今年も多分ひくだろうな、と思っていたら案の定4日前からぐしゅぐしゅ言いだして、3日前に風邪確定。
それからはもう、上へも下へも置かずに大事に大事にしている。
昨日は丸一日寝せといた。
だってこの風邪は1年分の疲れからきているのに決まっているのだから。
寝るのは嫌だと言いながら半日以上爆睡していたのが何よりの証拠。
だから今日もダメ。
まだダメ。
ダメ、絶対!

「じゃあ、隣で見てる」
「ん、ええよ。いろいろ指示してや」
「うんっ」
「じゃあ、あっち行こか」
「だからっ、歩けるのっ、歩きたいのっ」
「つまらんな」
「つまってなよっ」
「可愛いないなあ」
「どうせ可愛くないもんっ、わっ」

毛布でぐるぐる巻きにされたまま歩き出したものだから、3歩と歩かないうちに足を取られて転んだ。
床にみの虫のように転がっている妻を眺める夫、忍足。
すっごく嬉しそう。

「可愛いなあ」
「痛いのっ」
「よしよし、介抱したげよな〜」
「本当に痛いのに」
「そんなみの虫みたいになっとったら、説得力ゼロやな」
「本当に痛いのに〜」

泣いている妻を見て、ちょっと焦る夫。

「え、ほんまにどっかケガでもしたんか」
「分かんないよ。こんなぐるぐるなんだもん」
「それもそうやな。よし、ほら、手、あ、手は出んか」

どんだけぐるぐるなんですか。
巻かれた毛布をどけて、手を取って起こす、と、弾かれたように走り出す。

「うっそだも〜ん」
「あっ、こらっ、涙まで出しとったくせにっ」
「騙される方が悪いの〜」
「ふん、言うてろ。もう知らん」

背中を向けて立ち去ろうとする(ふりをする)。

「え、あの、ね、ごめんなさい。ねえ、ごめんなさい、」

あ〜、楽しい。
こんなに楽しいのは本当に久しぶり。
忙しい妻を持つと夫は寂しいのだ。
本当に本当に寂しいのだ。
でも、一生懸命な妻を見たら、なんにも言えないのだ。
一生懸命な妻も好きだし、なのだ。
だからたまの休日には楽しみたいのだ!

「なら、ここに来なさい」
「はい・・・どこ?」
「こ、こ」

指差すのは自身の膝。

「そこに座るの?」
「そう。嫌なん」
「風邪がうつっちゃったら困るでしょ」
「困らんて。ま、それに俺の方がよっぽど丈夫なんやから、そんくらいの風邪なんかどうってことないで」
「そうだけど・・・」
「ほら、早よ」
「うんっ」
「座りたいくせに」
「うん〜」
「疲れとるんやで」
「疲れてないよ」
「ならなんで毎年毎年、この時期に体調崩すねん」
「侑士とこうできるようにっ」

首にぎゅっと。
寂しい夫、昇天。

「ま、今日はこのくらいにしといたる」
「んふふ、侑士ってさ、ほ〜んとに私のこと好きだね〜」
「悪いか」
「いいよ?私も大好きだし〜」
「なら、チューしよ」
「だ〜め」
「なんで」
「うつっちゃうから」
「うつして下さい」
「やだ〜、きもい〜」
「自分の旦那にきもいとはなんや」
「うつっても知らないよ?」
「ん、ええよ。むしろ俺にうつして早よ治せ」
「ん・・・」

甘〜い甘〜い、今年最後の日。
と、そこへ。

「ねーね!にーに!」
「あれ、なんかたっくんの声がする」
「聞こえなかったことにしよ」
「え〜、そんなの可哀想だよ。あ、お蕎麦だよ、お蕎麦!」
「せやから聞こえんふりをするんやろが」
「お父さんも来るから?」
「そうとも言う」
「言っちゃお〜」
「あかんで、絶対にあかんからな」
「ね、ほら、早く開けないと」
「しゃーないなあ」

ふたりで玄関へ。
ドアを開けるとそこには、何やら大きな包みを持った父と弟の姿。
しかも何故か小さな弟は頭に手ぬぐいを巻いている。

「たっくん、なんで手ぬぐい?」
「おそばやさんやねん!」
「あはは、それで手ぬぐい?」
「僕がやってたら、自分もやるって言ってさ」
「たっくん、お蕎麦屋さんになったんだ」
「そうや、かっこいいやろ!」
「水月、早よ中に入ってもらい」
「あ、そうだった、ごめんね、どうぞ」
「おじゃましま〜す」
「忍足くん、はい、お蕎麦」
「ずいぶんでっかいんですけど」
「つゆも入ってるから」
「また出汁から取ったんですか」
「またってどういう意味だろう」
「いいえ、何でもありません」
「ほら、侑士もお父さんもいつまでそこにいるのよ」
「あ、ごめんごめん」
「水月、風邪はどうなの」
「うん、もう大分いいよ」
「おじいちゃんとおばあちゃんが心配してるよ」
「もう大丈夫、って伝えてね」
「お母さんは心配せんのですか」
「『またなの?』だって」
「さすがやな。あ、でもこの分なら正月にはちゃんとお伺いできそうなんで」
「うん、みんなで待ってるよ」
「はい」
「侑士〜」
「なに」
「どこに置けばいい?」
「とりあえずキッチンでええで」
「は〜い」

少し遅れてリビングへ行くと、そこには頭に手ぬぐいを巻かれたチワワが1匹。

「拓巳、何しとるねん」
「ちっくんもおそばやさんやねん、な?」
「ものすっごく迷惑そうやで」
「めいわく?」
「嫌やなあ、って思うこと」
「いややないよな、ちっくん!『うんっ』。ほら、いやじゃないって」
「お前が言うとったようにしか聞こえんけど」
「かわりにいってあげただけや」
「お前、段々姉ちゃんに似てきたな」
「おとうとやもん」
「ま、せやな」
「せやで」

こうやって拓巳と遊んでいるのは訳がある。
その頃、キッチンでは。

「お父さん、お蕎麦って冷蔵庫に入れた方がいいの?」
「いや、いいよ。そこに置いておいて大丈夫だよ」
「そっか、じゃあ、布巾を掛けておこう。あ、このお鍋は持って帰る?」
「お正月に来る時に持ってきてくれればいいって」
「うん、分かった。じゃあ、借りとくね」
「疲れは取れたの」
「うん、大丈夫。だってそんなに疲れてないもん」
「でも、決まってこの時期に風邪をひくっていうのは、やっぱり疲れが出るからだろう?やっと1年が終わる、って体が感じてるんだよ」
「うん」
「体は大事だよ」
「はい」
「仕事も大事だけどね」
「どっちなの?」
「さあどっちかな」
「お父さん、段々私に似てきたんじゃない」
「親子だからね」
「あはは、そだね」

血は繋がらないけど、誰よりも深い絆で結ばれた父と娘。
その久方ぶりの語らいを邪魔するほど無粋じゃないのだ。
でもま、やっぱり俺のやけど、な娘婿です。

「お茶、飲んでって下さいよ」
「お邪魔だろ?」
「1杯で帰っていただければ」
「もう、なに言ってんのよ〜」
「冗談やて。先生、コーヒーと紅茶、どっちにします?」
「水月のミルクティーがいいな」
「うん、いいよ!」
「たっくんのは?」
「そうだねえ、たっくんには・・・ホットミルクでいい?」
「うん、ええで!ねーね!」
「なあに?」
「たっくんね、スケートならいたいです」
「スケート?」
「うんっ!」
「あ、そうなんだよ。この間、全日本選手権を見に行っただろう?そうしたら、ずうっと言ってるんだけど、習ったりできるもんなの?」
「できるよ。本当にやるんなら、高木先生に頼んであげるけど、いいのかな。あのさ、結構、」
「お金がかかる?」
「うん、まあ、それなりに」
「いいよ。それは大丈夫。僕も頑張ってますから。この家のご主人には負けるけど」
「なに言うてるんですか。こないだやって、話題の作家の新作をばっちりやっとったくせに」
「まあ、そうだけどね」
「とりあえず、入門クラスでいいよね」
「もちろん。それで十分だよ」
「選手になりたいなんて言い出したらどないするんです?」
「その時はその時じゃない。本人がやりたいことをやればいいよ」
「たっくん、真面目な話をするよ?」
「はい」
「スケートを習うんだったら、一生懸命やらないとダメなんだよ。分かる?」
「はいっ、いっしょうけんめいならいます!」
「ずる休みとかはなしだからね」
「はいっ」
「じゃあ、由衣ちゃんの先生に頼んであげるね」
「はいっ!」
「高木先生て、こんな小さい子も見とるの?」
「ううん。入門クラスは高木先生のお弟子さんだった人がやってるの。あ、でもね、試合の時とかは高木先生が見てくれるんだよ」
「へえ〜、そうなんか」
「由衣ちゃんも、そういうのやりたいんだって」
「あ、オリンピックが終わったらか」
「うん。プロとしても滑るけど、どっちかって言ったら、選手をね、育ててみたいんだって」
「ふ〜ん、なんか意外やな」
「なんかね、自分がいろんな人にしてもらったことを今度は次の世代の子達にしてあげたいんだって」
「なんかええな」
「うん、いいよね」
「よし、拓巳、頑張って上手になるんやで」
「はいっ」
「上手になったら見に行ってやるでな」
「うんっ」
「はい、たっくん、ホットミルクだよ」
「ありがとうございますっ」
「じゃあ、あっちに持ってって飲んどれ。パパのは、できたら持ってくからな」
「は〜い」
「ゆっくり行くんだよ〜」
「たっくんはこどもやないで!」
「面白いなあ、もう〜」

ちょっと甘さは控えめだけど、温かい温かい今年最後の日。


次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ