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□君のいる日常 101
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「なんで怒るの」
「別に怒ってへんし」
「怒ってるじゃん」
「怒ってへん」
「怒ってるっ」
「怒ってへん言うてるやろっ」
「じゃあ、何でさっきから私の顔、見ないの」
「別にそんなことない」
「あるよ。ずっとパソコンばっかり見てるじゃん」
「仕事中や」
「いいよ、そうやって怒ってればいいじゃんか」
「別に怒ってへんからな」

珍しく雲行きの怪しいふたり。
原因は言ってみればこれまた珍しくも忍足のヤキモチ。
実は水月がちょっとした噂になったのだ。
しかも3週連続。
1週目はプロ野球選手。
2週目は水泳選手。
3週目は書道家。
全員、割と最近取材をした人物。
根も葉もない記事なのだ。
単に取材の後で食事したり、送ってもらったり、そんな感じのところを撮られて記事にされた。
それだけと言えばそれだけ。
すべて出版社や新聞社の人から、忍足にお詫びの電話あり。
でもなんだか忍足、珍しく面白くないのだ。
2人目まではよかったのだが、3人目でカチンと来た。
ちょっとは気をつけろ、と思ってしまった。
思わずそう言ってしまった。
言ってから「しまった」とは思った。
でも、口から出てしまった言葉は戻らない。
ただ、忍足にもちょっとだけ言い分はあって。
水月が3人目の書道家をかなり気に入っていたのだ。
そもそもそこら辺からちょこっとだけカチンと来ていた。
自分の名前を書いてもらったと大喜びでそれを部屋に飾っていたりしていて。
「素敵なんだよ〜。書いてる時ね、すっごく真剣でね、すっごく素敵なの」なんてにこにこにこにこされた日には、まあ我慢した。
でも、3週続けてそんな記事が出て、しかも3週目がその書道家とにこにこにこにこと街を歩く姿だった日には。
さすがの忍足も思わず言ってしまった。

「お前がたるんどるからこんな写真撮られるねん。ちっとは気をつけや」

と。
でもでもでも。
水月にとったら、それこそ面白くない。
だって3回ともふたりきりだった訳じゃない。
ちゃんと新聞社の人だって、編集さんだって、マネージャーさんだって、みんな一緒だった。
そこを都合よく切り取られて「ふたりっきり」に見えるようにされてるだけ。
しかもそこには「人気イケメン作家の恋人が他の男性と?」みたいな見出しが付いていて。
水月にしてみたら「半分は侑士のせいじゃん」て感じ。
それに、だ。
自分は一年中、編集さんやら、スタイリストさんやらヘアメイクさんやらから言い寄られてるくせに、何で私のことそんなに怒るの、ってことだ。
私の方がずうっと我慢してるじゃんか、ってことだ。
でもでもでも。
間が悪かった。
いつもなら、このくらいの口喧嘩なら一晩経てば、まあ収まる。
でもでもでも。
今回は、その「一晩」がなかったのだ。
その日、思わず言い合ってしまったその日の午後、水月はフランスへ行かなくてはならなかった。
手塚の試合を見に、だ。
忍足が送っていくことになっていた。
でもでもでも。
なんだかそんなの絶対嫌で。
思わず水月は言ってしまった。

「送ってくれなくていい。ひとりで行けるもん」

と。
忍足も思わず言ってしまった。

「今度は手塚と載るんやないの」

と。

「載らないもんっ」

そう言い残して、水月は出かけて行った。
残った忍足はつぶやく。

「俺はあほや・・・」

でも、言葉はもう戻らないのだ。
それから何時間経っても、一日経っても、二日過ぎても、手塚が一回戦を突破しても、水月からは何の連絡もない。
「着いた」のひと言すらない。
もちろん手塚からは、来た。
手塚は知らないのだろう。
いつもの通り、水月が無事着いた旨を知らせるメールが来ていた。

「ちゃんと着いたんやな」

そうつぶやいても、誰も答えてはくれない。
言葉は戻らないのだから。

「そろそろ寝るかな」

こんな状況では、仕事もいつもほどはかどらない。
今夜もいつの間にか日付はとうに変わっている。
と、そこへ。
電話の着信音。
かすかな期待を胸にスマホを手に取る。
そこには。

「手塚・・・?」

期待したのとはちょっと違うけれど、でもこれで水月の様子を聞ける。
そう思って、出る。

「忍足か」
「ああ、そうやけど」
「中嶋がケガをした」
「ケガ?またか?去年もそこでケガしたで」
「そうなんだが」
「で、今度はなんや。まさかまた、お前がボール当てたとか?」
「いや、そうじゃない。それに、去年だって俺が直接当てた訳じゃない」
「そうやけどな。で、どんなケガやねん」
「肩が折れた」
「骨折?なんでまた。転んだんか」
「転んだのは転んだんだが・・・中嶋がこういう所に来ると、よくバスに乗るのは知ってるな」
「ああ、地下鉄より面白いって言うて、どこへ行ってもよく乗っとるわ。で、バスが骨折とどう関係あるねん」
「乗っていたバスが事故を起こしたらしい。たいしたことはなかったらしいんだが、その時に、」
「転んだんやな」
「ああ。立っていて、急ブレーキで飛ばされたらしい」
「肩だけか。頭とか打ってへんのか」
「ああ、大丈夫だ。ただ、一応これからきちんとした病院で調べてもらうことになっている」
「分かった。で、その病院の名前は」
「来るのか?ケンカ中だろ」

電話の向こうで手塚が、少し笑っている。

「知っとったんかい」
「分りやす過ぎだ。全然元気がない。海外の選手達もみんな不思議がってる」
「しゃーないなあ。ちゃんと仕事しとんのかいな」
「それは大丈夫だ。完璧だ。それで少し困っている」
「困る?」
「ああ。入院しないと言い張って、医者を困らせている」
「言いそうなことやな」
「お前が来てくれれば安心だ」
「そうとも言えんよ。怒らしたんは俺やから」
「顔を見ればそんな機嫌はすぐに直るんじゃないのか」
「そうやとええけどな。まあ、とにかく一番早く着く飛行機で行くで。とりえずお前に迷惑がかからん程度に好きにさせてやってくれるか」
「ああ、分かっている」
「毎回迷惑かけてすまんな。ほんまにお前に影響出んようにしてくれなあかんで」
「はは、大丈夫だ。痛くて泣きそうなのに我慢して笑おうとして変な顔になっているのを見るのは結構面白くてリラックスできていい」
「確かに、想像すると笑えるな。ま、とにかく頼むわ」

電話を切る、と同時にどこかへ電話する。

「お前な、今、何時だと思ってんだ」
「午前2時半をちょっと回ったとこ」
「ったく、ふざけやがって。水月に何があった」
「よう分かるな」
「お前がこんな時間に電話してくるとしたらそれしかねえだろが」
「明日一番でフランスへ飛ぶ飛行機、取ってほしいねん」
「分かった。で、何があった」
「肩が折れたんやて」
「はあ?確か去年は顔を半分擦りむいたんじゃなかったか」
「パリとは相性が悪いんかな」
「由衣の時は何もなかったぞ」
「なら、手塚と相性が悪いんやな。そうや、手塚や。うん、もう取材はあかん、って言おう」
「そんなの、言うこと聞くかよ、あいつが」
「まあな。とにかく頼んだで。俺、準備するから起きてるで何時でもええから連絡してくれ」
「ああ、分かった。ところで、ケンカはもういいのか」
「なんでお前が知っとるねん」
「由衣んとこに電話が来て、お前の悪口散々言ってたらしいぞ。高村にもしてんじゃねえの」
「・・・・・・・・」
「ま、せいぜい謝って許してもらうんだな。俺のヤキモチでした、ってな」
「お前なあ、後で覚えとけよ」
「知らねえな。切るぞ。また電話する」
「ああ、よろしくな」


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