X

□君のいる日常 130
2ページ/3ページ


みんな〜、仕事の手が止まってるわよ〜。
仕方ないとは思うけど。
何しろ噂の「忍足先生とその奥様」がいるんだもの。

「コーヒーでよろしいですか?」
「はい、すいません」
「いいんですよ。水月先生もよろしいですか?」
「はい、ありがとうございます。あの、私のことは先生じゃなくてかまわないので、」
「水月、それは我慢せな。他の呼び方を考える方が難しいんやから」
「あ、そうか、そうだね。すいません、未だに慣れなくて。父にも言われるんですけど。慣れなくちゃダメだって」
「渋谷先生ですね」
「はい。お前が慣れないと相手の人が困るんだよ、って」
「でもその『慣れないところ』は水月先生のいいところじゃないのかしら。ね、忍足先生?」
「俺は全部いいですけど」
「先生、帰ってもいいですよ」
「俺が仕事に来たんですよ?」
「そうでした。では、先生、そのお仕事なんですが」
「はい」
「今度うちの雑誌がリニューアルするのはご存知ですよね」
「はい。だから今日はちょっとドキドキしとるんですよ。連載、終わりかな〜とか」
「そんなことあり得ませんよ。リニューアルにあたって、先生のページを増やしたいと思っています」
「ありがとうございます。えっと、2ページになるってことですか」
「ええ、そうです。でも・・・ちょっとそれを変更したいとも思っていまして・・・」
「?」
「前からうちうちで話は出ていたんですが、なかなかきっかけもなくて」
「はい」
「先生と水月先生のおふたりで書いていただけないかな、と」
「ふたりで、ですか?」
「はい」
「どうやって?」
「先生がニューヨークへ行かれた時のお話を聞かせていただいたことがありますよね」
「あ、もしかしてあの時の俺らのホームページっていうか、ブログみたいなあれですか?」
「ええ、あんな感じで、見開きの右側に先生なら左側に水月先生、のような感じで、あ、上下でもいいんですが」
「水月、どう思う?」
「私?」
「ん、どう?」
「エッセイ、だよね」
「そうやね」
「ちょっと・・・自信ない。『この読み』とは違うんだし・・・」

自信がないって・・・嘘でしょう?
あれだけのものを書いて、賞まで取ってるのに?

「なんで自信ないの」
「私って、取材して、その取材した人のことを書いてるでしょ?」
「そうやね」
「だからね、あのね、えっと、」
「ゆっくりでええよ」
「うん・・・だから、自分の気持ちがどうかってことは書かないから、だから、」
「なるほどな。せやから、自信がないんやね」
「うん・・・それに侑士のと並べるの、恥ずかしいよ」
「それはどっちの意味?俺と結婚しとるから?それとも、俺の方がそういうの書き慣れとるから?」
「後ろの方」
「夫婦で書くんはええんやね」
「うん、平気」
「水月」
「うん」
「俺はやってみたいな。せっかくこうやって、ふたりして書くことやっとるんやから、ひとつぐらい一緒の仕事してもええかな、って思う」
「うん・・・」
「どうしてもダメ?嫌か?」
「ん・・・あのさ、並べないのはダメなのかな」
「並べないて?」
「右側が侑士で私が左側とかそういう風に」
「上下ならええの?」
「ううん、そうじゃなくて。リレーみたいな感じ」
「あ〜、えっと、1ヶ月交替で書くみたいな?」
「それでもいいけど・・・あのね、ん〜と、あ、そうだ」

水月先生がリュックの中からノートと鉛筆を出した。
これが噂のノートと鉛筆ね。
なんだか私、「噂の」ってばっかり言ってない?
それにしても、さっきからずっと、そうね、かれこれ10分くらいかしら、私は蚊帳の外なんだけど。
私が仕事をお願いしてるんだけど〜。

「あのね、月刊誌だよね?」
「ん、そうやで」
「じゃあ、そうだな・・・毎日じゃ入りきらないから、1週間くらいかな、それとも5日くらい?ん〜、ま、それはいいや、なんでも」

ノートに何かを書いてる。
先生もそれを覗き込んでて。
私も見たいで〜す。

「こんな風にね、侑士、私、侑士、みたいに書いていくの。それでね、ただ、順番じゃなくて、」
「前の文に関係性を持たせるんやね」
「うん、そうっ」
「おもろいな。で、どっちが先に書くん」
「侑士に決まってるじゃん」
「そうしたら何を書くかあんまし悩まんですむ、とか思ってないか?」
「あはは、ばれた〜?」
「まったく、ほんまに飽きんな、お前は」

かんっぺきに、ふたりの世界〜。
あの〜、私もいるんですが〜。

「あの・・・よろしいですか?」
「あ、すいません。話し込んでしもて」
「いいえ、いいんですよ〜。でも私にもちょっとは見せていただきたいな〜と」
「はは、ほんまにすいません。あの、こんな感じですけど、どないですやろか」

あら、素敵。
ノートにただ、ブロック分けしてあるだけなのかと思ったら、ちゃんと綺麗にレイアウトされてる。
タイトルもある。
「考えたがりの毎日(仮)」だって。
どうして、何をやっても可愛いのかしら、この方は。
端っこの方にはちょこっとイラストなんかも描いてあって。
ページ番号まで書いてある。
本当に雑誌の1ページみたい。

「これをそのままいただいてもいいでしょうか」
「ダメですっ」
「え、ダメ?」
「だってこんなの、ちょっと思いついただけですから、あの、」
「タイトルもこれがいいと思うんですけど」
「え〜っ、侑士、ダメって言って?こんなのダメって」
「俺もええと思うで」
「ええ〜っ」

ほんまにおもろい。
「自信がないの〜」なんてしおらしく言ったそのすぐ後に「こんなのはどうかなあ」なんて思いっ切りものすごいものを書いて見せる。
それで今度はそれは「ちょっと思いついた」もんやからダメ、とか。
吉井さんの目が白黒してしもてるで。

「面白いものを見せていただきました」
「それはよかったです」
「???」
「それに・・・どうせなら日替わりでいきませんか」
「え〜、そんなの大変やないですか」
「でも奥様が提案された訳ですし」
「水月のせいやで」
「え〜、嘘だあ」
「私もそう思います」
「ええ〜」
「細かいことは今後また打ち合わせさせていただくことにして、是非お願いしたいのですが、いかがでしょう」
「水月は?大丈夫?」
「うん・・・だって私のせいなんでしょう?」
「そうやね」
「じゃあ、頑張る。でも最初は侑士ね、絶対だよ?」
「ああ、ええよ。それはやったるで」
「うん、それならやれる。あの、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いいたします。これでまた部数が上がるわ〜」
「そんなん変わらんですて」
「そんなことありませんよ。先生に書いていただくようになってから明らかに変わったんですから」
「まあ、ボーナス、いただきましたね」
「そうですよ。お忘れになっては困ります。ところで、ああいうお金はどうさせるんですか?」
「全部やないですけど、大抵は、この人に」
「お渡しするんですか?」
「ああ、いや、そうやなくて、何かプレゼントするってことです」
「例えばどんな?」
「季節によりますけど・・・今みたいに寒い時期ならストールとか帽子とか。洋服なんかの時もありますけど」
「それは黙って買って帰られるんですか?」
「ん〜、時と場合、ですね。でも、買って帰るんが多いかな。何しろ、この人は自分のもんはちっとも買わんので」
「そうなんですか?」
「どうでもよくなっちゃって・・・」
「先生のお見立てはばっちり?」
「はい」
「見立てってよりも、見入っとる雑誌のページとかを後で見れば一目瞭然て感じなんで」
「一応、『これがほしいな』とかは思うんですね」
「はい。でも忘れちゃうので・・・」
「うちの雑誌とかもご覧になりますか?もっとも、先生が書いてらっしゃるんだから見ますよね」
「はい。でも、他のページもちゃんと見てます。ただ・・・」
「ただ?」
「こちらの雑誌に出てるものは、すっごく高いから・・・」
「ベストセラー作家の奥様が何をおっしゃってるんですか」
「え〜、でも高いですよ。コートが何十万とか、絶対無理です」
「先生、いい方を見つけましたね」
「はい」

確かにうちの雑誌はターゲットの年齢層が『LuRa』さんとかよりは高いから、掲載されてるものもそれなりに、なのよね。
でもこれだけ売れっ子の作家先生とライター夫妻が買えないものじゃないし、むしろみんないろんな意味でわざわざそういうものを買ったりするのに。
ホントに何から何まで、ねえ。

「あの・・・あそこにあるの、あれ、来月号ですか?」
「えっと、ああ、そうですね。来月号の特集ページです。コートなんですよ。特にムートンの素敵なのが載る予定です」
「ムートン!」
「お好きですか?」
「憧れてるんですけど、」
「高いから?」
「はい。私なんかまだまだです」
「お値段はともかく、結構カジュアルな感じのもあったと思いますよ。ご覧になりますか?」
「わあ、いいんですか?」
「ええ、どうぞ。こちらでご覧になって下さい」
「ありがとうございます!」

隣のテーブルに案内してもろて、大喜びで見とる。
3年くらい、かな。
ムートンのコートを眺めては目をキラキラさせとるんよ。
まあ、あんまし若い子が着るんもあれやからと思ってはおったけど、もうええかなって思うねん。
デザインもちゃんと考えれば大丈夫やて思うんや。

「コートが好きなんですよ。あ、コートとブーツか」
「今日もそうですね」
「実はこれ、内緒なんですけど、ムートンですねん」
「え?」
「今年のクリスマス」
「まあ、そうなんですか?」
「気づいてへんのですけど、もう家にあります。そんなに高級なのやないですけどね。あいつが普通に着られそうなんをちょこっと」

はあ〜、まったく、ほんっとうに何から何まで。
そうやって何でもふたりで分かち合っちゃうのね。
楽しいこともそうじゃないことも、全部。
どんな連作エッセイになるのかしら・・・楽しみ通り越して怖いかも。
それに、どんだけ売れちゃうのかしら〜。
でもそうしたらまた、ボーナスが出ておふたりの仲のよさに貢献してしまう訳ね。
いつか、そうね、金婚式とかに感謝状とかいただきたいわね。
よしっ、いいページを作るわよ〜!
こんな素材がふたり揃うことなんて滅多にないんだから、頑張るわ!


次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ