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□055、旅支度
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とても心地よくて、幸せで――
だから、此処には居られない。


まるで旅支度のような大きな荷物を持って、部屋を出た。

音を立てないように、気をつかいながら玄関へ向かう。

――彼はまだ、夢の中…


組織を倒し、元の姿に戻ってから約3ケ月が経った。
              
彼は、元の姿――工藤新一に戻った時、直ぐ様幼なじみのあの子の所へ向かうのだろうと思っていた…けれど

あの日、ふいに抱きしめられ、「好きだ」と言われた。

それは全く思ってもいなかった展開。あり得ない、と思った。

けれど…嬉しかった。

本当はずっと、彼の事が好きだったから。

彼のことを待ち続けていた幼なじみのあの子のことを思い出して、胸が痛んだけれど――

それでも、彼の優しい腕を突き放すことは出来なくて…


私がずっと望んでいた場所。
とても心地よくて、幸せで――

だけど、私は此処には居られない。

知ってしまった。
「他に好きな人ができた」と笑って言ってくれた彼女の言葉が嘘だったこと。

彼女が…今でも、彼のことを思って涙を流していること。

そのことを知ったとき、激しい自己嫌悪に襲われた。

――自分は、なんて馬鹿な
んだろうって。

彼女が無理矢理笑顔を作っていたことに、何故気付かなかった。
彼女から何もかも奪ってしまった自分が、此処にいていい訳がないのに。

たくさんの人を苦しめた犯罪者である自分が、平気な顔をして幸せに暮らすことなど――

許されるはずがないと、分かってていたのに。


分かっていた…けれど…

少しだけ、優しさに甘えたかった。
少しだけ、普通の暮らしをしてみたかった。

でも、それも今日で終わり。

私には、他にすべきことがあって――
彼にも、愛すべき人がいる。


「……そろそろ時間だわ」

彼を起こさないように、そっと家を出た。

この家とも今日でお別れ。

この街とも今日でお別れ。

「……さよなら、工藤君」

――もう2度と出会うことなんてないでしょう。

優しくしてくれて、有り難う。
「愛してる」なんて言ってくれて嬉しかった。

貴方の全てが、好きでした。

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