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□番外編・拍手夢
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●「甘い薬、甘い誘惑」(黄昏連載「Sempre nel cuore.」設定/ノエル×アイリーン)






フォークスへの引越し作業もあらかた片付き、アイリーンは市街地の高校へ転校生としてノエルはラプッシュの高校へ教師として新たな生活が始まった。


事件はそんなある日のせわしい早朝に起こった。



故郷ラプッシュで教師として働き始めたノエルだが日課の朝食作りは絶やさない。朝に弱いアイリーンが起きてくる前に作り終えて、食卓に並べ置く。


アイリーンは寝起きは良くないが寝坊することはないので、定刻には身支度を整えて二階の寝室から降りてくる。


だが、その日は違った。


定刻にさしかかろうというのに寝室のドアは開くばかりか身支度の音一つ聞こえてこない。


自身の身支度をとうに済まし終えたノエルは首をかしげつつ、ソファーから立ち上がった。


階段を上って正面の寝室のドアを静かに開けて中に入ると、室内は自分が今朝方起きたときと同じでカーテンが締まりきったまま薄暗い。


狼族は夜目に優れているのでその暗さは視界を遮るものではない。だからノエルの銀眼は真っ先にそれをとらえた。


「っ!? アイリーン!!」


滅多なことでは声を荒げないノエルの切羽詰った大声にも、アイリーンは反応しない。


あろうことか彼女はベット脇のラグにうずくまったまま、もとより白い面を蒼白にさせてぐったりとしている。


ノエルが駆け寄って抱き起こすも、アイリーンは目を閉じたまま細い息を小刻みに繰り返して身じろぎ一つしない。


息を呑んで背筋を凍らせたノエルは彼女の体を抱き上げベットへと横にする。細い腕を取り脈を計りながら、素早くポケットの携帯を引き出した。


短いコール音の後に見知った声が応対する。


「朝早くにすまない、カーライル」


〈ノエルかい? どうしたんだ、何かあったのかい?〉


抑えていても焦燥が見え隠れするノエルの声に、電話越しの驚いた様子のカーライルはそれでも冷静に尋ね返す。


その柔らかい声音にノエルは多少の落ち着きを取り戻して状況の説明を口早に始めた。












「すまなかった、カーライル。早朝から呼び立ててしまって。仕事のほうは差し支えなかっただろうか?」


「いや気にしなくていい。今日は非番だったからね。それにこれでも医者だから。アイリーンが目を覚まして何か食べられそうなら消化にいいものを。そのあとに薬もね。何かあればいつでも連絡しておいで。人手が足りないようならエズミにも声をかけるから」


「ありがとう。世話をかける」


「じゃあ、お大事にね」


電話のあと、すぐにかけつけたカーライルの見立てでは風邪とのことだった。


フォークスの厳しい寒さと慣れない環境の変化に身体が弱っていたせいだろう。薬を飲んで二、三日様子を見たほうがいいとのことだった。


幸い今日は金曜日。職場に取らなくてはいけない休みもとりあえず一日だけだ。


カーライルの車が遠ざかっていくのを見送りながら、ノエルは深々とため息をついた。


「風邪か・・・失念していたな」


体温の非常に高い狼族が風邪にかかることはまずない。そしてヴァンパイアも然り。だから見落としていた。


もう少し気をつけていれば。後悔が止むことはないが、今はアイリーンの身を看病することが先だ。


作りたてのリゾットと薬と水をのせたトレイをもって、ノエルは早足に階段を駆け上がった。









「アイリーン?」


極力音を立てないように寝室に入って、ベット脇のスタンドにトレイを置く。小声で呼びかけながら、ベットに横になるアイリーンをのぞきこんで見ればまだその瞳は閉じたままだ。


先ほどよりも少し落ち着いた呼吸は規則的で、そのことに安堵しながらも未だ優れない顔色に眉をひそめた。


すう、とノエルの指先が熱で火照る頬に沿えられる。


人狼の自分にとっても熱いと感じられるほどならば、もともと体温の低い彼女にとっては高熱に近いに違いない。


今朝方まで一緒に休んでいたというのに体調の変化に気づかなかった自分を内心で責め立てつつも、ずれたかけ布団をそっと首元まで引き上げて、ノエル自身もサイドチェアへと腰を下ろした。











『・・・・・・、――――』


一時間経とうかという頃合になって、ようやく小さく身じろいで億劫そうにまぶたを震わせたアイリーンは、視点を合わすように何度か瞬きを繰り返した。


「目が覚めたか?」


ぼんやりと遠くから聞きなれた声が聞こえて、緩慢な動作ながらも頷きを返す。そうして上体を持ち上げようと試みて、節々の痛さに眉をひそめる。上体どころが腕一つまともに上げられない。


「無理しなくていい」


今度は先ほどよりもはっきりと、鮮明に聞こえ、アイリーンは視線だけをゆっくりとその方へと動かした。


『――ノエ、ル・・・?』


険しい面持ちの中に少しの安堵を覚えた様子のノエルは、アイリーンのかすれた声に薄く微笑んで頷いた。


「覚えてないか?今朝、倒れたんだ。カーライルの診断では風邪らしいから、今日はゆっくり休むといい」


『か、ぜ・・・?』


しばし逡巡した様子のアイリーンだが、はっとして気づく。


『ノエル、しごとは?』


「ああ、それなら問題ない。若干一名のクラスの生徒から苦情の電話が来たが、それ以外は万事計ったから。今日は休みだ」


ちなみに、生徒というのはジェイコブだ。小言とともに言外に、アイリーンの体調を気遣う様子には頬が緩んだ。


なんだかんだ言っても狼は刻印を持つ者に対しては本能的にやさしい。


『・・・・・・ごめんなさい』


「気にしなくていい。俺のほうもすぐに気づいてやれなくてすまなかった」


そう、自分も例外なく、だ。己の刻印をもつ彼女は何よりも大切で、愛おしい。


「少し食べられるか。名医から処方された薬を飲まないと。リゾット、温めてこよう」


わざとおどけた風な口調で言ったノエルの一言に、ふとアイリーンの目元が険を帯びる。


『くす、り・・・』


「そうだ。飲めるだろう?」


有無を言わさぬノエルの口調はさながら闇夜に吠える狼のようで、アイリーンは気圧されながらもおずおずと首を下ろした。


言い忘れていたが、アイリーンは薬が大の苦手だ。









『どうしても、飲まないとだめ、ですか・・・?』


ノエルが温め直したリゾットをゆっくりとだが食べ終えたアイリーンが、ノエルの手に構えられたそれを見て弱々しく呟く。


「当たり前だ。飲めないなら、飲ませてやろうか?」


『い、いえ、自分で・・・』


それっきり口をつぐんで手元に置かれた薬を凝視するアイリーンの横顔にノエルは小さくため息をついた。


アイリーンの薬嫌いはそれはもう、凄まじい。普段の彼女からは想像もできないくらいに嫌がる。


彼女自身は理由を話そうとはしないが、その行動や様子からあらかたのことを察するに容易かった。


アイリーンが薬や注射や病院を嫌がるのは、施設にいたときのことを思い出してしまうからだろう。強制を強いられた恐怖を思えば、それらを嫌がることは仕方ない。


だが、かと言ってここで薬を飲まさなければ、風邪が長引いてしまう。かわいそうだが、ノエルが引くわけにはいかなかった。


「アイリーン。飲めばすぐに楽になる。それに苦くない、はずだ」


『・・・・・・"はず"ってなに』


正直に言って、ノエルは薬というものをほとんど飲んだことがなかった。理由は無論、必要なかったからだ。狼の今はもちろん、子どもの頃にもそうそう病気にかかったことがない。


「・・・・・・」


とっさに返す言葉がないノエルをアイリーンは半ば涙目でにらんだ。


『いや、です』


今にも泣き出しそうなアイリーンの舌っ足らずな一言に、ノエルは心内で密かに悶絶する。


無意識でやっているから、なお破壊力がある。


あい変わらず無防備なところはどうしようもないな、と思いながら、ノエルの手はするりとアイリーンの手から薬と水を奪った。


『、ぁ・・・』


アイリーンが驚きに目を瞬かせると同時に、ノエルは自分の口に薬と水を含んで、反論を言わさぬ早さで桜貝の唇にくちづけた。


一瞬思考を停止させたアイリーンだったが、口に広がる苦さと間近に迫るノエルの整った顔に慌てて抵抗する。


しかしアイリーンの細腕ではノエルを退けることができない。ノエルの手は律儀にもアイリーンの頬をしっかりと包み込み、乱暴ではないが決して放そうとしない。病気で弱っていることも相まって、ついに苦いそれを呑み込んでしまった。


アイリーンが飲み込んだのを確認したノエルは、惜しみつつもくちづけを解く。


『ん、っ・・・――っ、にが、ぃ、・・・』


「だが、飲めただろう?」


勝ったと言わんばかりのニヒルな笑みだ。大人びたノエルらしい極上の笑みに、顔を赤らめたアイリーンは今度こそ押し黙った。


『でも、いきなりはひどいです』


「いきなりじゃなければいいんだな?」


『・・・・・・』


口上手なノエルに自分が叶うわけがない。でもさほど苦もなく薬を飲むことができたのは事実なのでアイリーンは口を尖らせながらもしぶしぶ頷く。


「っ、――はあ。・・・それは、反則だろう」


『?』


どこまでも己の魅力に気づかない彼女の無防備さに、自分はどれほど翻弄されるのだろう。


早くも疼き始めた本能を遮るように、ノエルはサイドチェアから立ち上がる。


「さて、俺は片付けをしてくるからゆっくり休んでいろ」


そう言ってトレイを持って立ち去りかけたノエルのシャツの裾を、ふいにアイリーンが力のはいらない指先でぎゅうとつかんだ。


引っ張られるようにして、ベットを振り返ったノエルにアイリーンは熱にうかされてかすれる声でつぶやく。


『いっしょに、いてほしいです』






―――まったく。そのかすれた言葉が、そのうるんだ瞳が、そのなにげない仕草が、どれほど飢えた狼を煽っているとも知らないで。


これだから、この白うさぎからは目が離せないんだ。




*END*
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