裏小説

ただ雪解けを待つ
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早い流れの雲の下、淀んでゆっくり流れる分厚い雪雲は重く湿った灰色で月を隠し、大粒の雪を降らせていた。窓に張りついた雪は形もそのままに凍り、割れた結晶が幾重にも重なる。空が剥がれる様に次から次へと地面の高さを増していく雪の勢いは、舞うというよりは降り注ぐという表現が似合う程に激しく、立ち止まれば十数秒で差す傘に積もる程だった。
大寒波による異常な大雪に、昼間の除雪も虚しく、道路の白線は埋もれ、交通機関は麻痺していた。何時もなら10時まで動いているバスは早めに運行を終了し車庫に並ぶ。歩道に積まれた雪は美琴の腰より高く、いやがおうでも視界に入る。街を彩るクリスマスイルミネーションも早々と消灯され、無機質な街頭の明かりが雪に追いやられて狭い範囲を照らすのみで、街全体が物悲しい雰囲気をしていた。
吹く風は、雪特有のどこか寂しい澄んだ匂いを運び、刺すような冷たさで肌の感覚を麻痺させる。
「……さむ」
手袋もタイツもたいして効果はない。手と足の指先がじんじんと痛むのに、美琴は鼻を手で覆った。鼻の頭も頬も耳も熟れたように真っ赤だった。
「ったく、バスが止まるなんて聞いてないわよ」
普段なら後輩の白井黒子に一報入れれば解決するのだが、頼りになる後輩は風邪をひき、ベッドの中で病原菌と戦っている真っ最中である。美琴が頼めば風邪であろうが喜んで飛んできそうだが、だからといって頼む訳にもいかない。
明日の、黒子とその友達とのクリスマス会用に買ったプレゼントの袋を持ち直し、美琴は震える足で雪道に足跡を連ねる。発泡スチロールを無理矢理小さな箱に詰め込む様な音が、靴底の堅い感覚に重なって苦しそうに鳴いた。
「寒い」
寮迄の道程を思うと、意味もなく寒いが口を突いて出る。
「寒いー寒い寒い寒い……」
出来る限り雪の侵入を塞ごうと傾ける傘の隙間から、人が歩いてくるのが遠くに霞んで見えて、美琴は視界を遮る傘の角度を変えた。美琴の手の動きに合わせて傘から雪が滑り落ちる。角度が変わって開けた視界で二足歩行の生き物が真っ直ぐに此方の方角に向かって歩いてくる。
寒さにぎこちなく動いていた美琴の足取りが、歩いてくる人との距離が詰まる毎に次第に重たくなっていく。白く斑に吹雪く世界で顔が判別出来る距離まで相手と接近して、引きつるように美琴の足が止まった。
美琴が止まったのに、相手も足を止めた。
雪よりも白いのではと疑いたくなる雪肌の相手は、フードの付いた白いジャケットに白いズボン、白い蛇柄の革靴を履いていた。さす傘も白ければ、傘に守られて風に揺れる髪も寒そうに白い。静寂と白銀に消えてしまいそうな中で、見開かれた瞳が赤かった。
「アンタ……一方通行」
呆然と呟く美琴の髪から青い火花が一筋、感情を代弁して散った。
沈んだ色の中で華の様に咲き乱れる電流に、一方通行の瞳が細められる。そこには、かつての飢えた獣の鋭さではなく、美しい物を目にした時に見るような慈眼があり、不思議な温かさを秘めていた。
壮絶ともとれる視線の温度に、呆然から一変、美琴は息を呑む。一方通行を狙った電撃が一方通行の横に落ちて、大量の雪がはぜた。
吹き上げた雪が地に戻った後には、ジャケットのフードと髪の毛から雫を垂らす一方通行が、驚いた様子もなく静かに佇んでいた。一方通行の手から離れた傘が美琴の足元に落ちた。
一方通行の凶暴さを身を持って体験した美琴は、一方通行からの攻撃を予測して身構えたが、目の前の仇は変わらず佇んでいるだけだった。隠す気も隠せもできない白濁とした狂気に歪んでいた顔は、会わない数ヶ月の間に何かあったのか、しんとして穏やかだった。
広大とは言っても、学園都市の敷地には決まりがある。人が生活する生活区域となれば、更に範囲は狭まる。何時か出くわすだろうとは思っていたが、こんなに早く再開するとは思ってもいなかったのか、押し寄せてきた忘れようと努めていた負の感情の波に、美琴は冷静に構えられず再度電撃を夜闇に咲かせた。
「あの子達の命を土足で踏み躙ったアンタを、私は許さない!」
死んでいった妹達の顔や一方通行の言葉が脳内で巡って、沸き上がった感情に次々と別の感情が生れて交ざっていく感覚は、どこか恋愛にも似ていた。ぐちゃぐちゃに交ざりあった激情は雷へと形を成して、一方通行の周囲にクレーターを作っていった。
「いいンじゃねェの。謝って許されようなンざ、虫のいいだ」
吠える美琴に反して一方通行は冷静だった。荒れ狂う雷と雪の間を縫うように進み、骨の折れた傘を拾いあげた。傘に積もった雪を傘を揺すって落とすと、自然な仕草で傘をさし直し、美琴の横を通り過ぎる。
「ちょ、ちょっと!待ちなさいよ!」
怒鳴った美琴から迸った電撃が闇に残像を焼きつけて、一方通行の背中に落雷した。
一方通行への直撃に、攻撃した側の美琴の表情が固まる。電撃が跳ね返ってくる、と美琴は咄嗟に砂鉄の壁を目の前に形勢する。号音に空気が震えた。轟轟と雪が吸収しきれなかった残響が建物の窓や街路樹の雪を騒つかせる。
唇を噛みしめる視界の端で、美琴は信じがたいものを見た。
一方通行に焦げ目1つ、静電気さえ残せない青電は、美琴の予測に反して、蜘蛛の巣に似た軌跡を描いて弾けた。
消灯していたイルミネーションが一気に点灯する。
街路樹に積もった雪、路上の濁った雪、両端に積まれた雪に反射する、控え目な淡い光は、光蘚の様に白い世界を虹色に染め上げた。
「…………え?」
砂鉄の壁を吹き飛ばす筈の青電が霧散したのに、美琴は気の抜けた声をだした。
砂鉄の壁が崩れて、目を丸くして立ち尽くす美琴と振り返る赤い目が交差する。
光源はあっという間に光を失って闇が戻ってきた。色濃くなった闇に、幽鬼の様な不安定な白い人影がぼおっと浮かびあがる。
美琴が次の行動に移るより早く、動く気配があった。引きずるような足音だ。億劫そうな足音が美琴から遠ざかっていく。
「何よ、それ」
最初は雪と暗さによく見えなかったが、イルミネーションが周囲を照らしだして、美琴は一方通行の身体が傾いているのに気付いた。絶対の攻撃力と絶対の防御力を誇る、最強が、杖をついて足を悪そうにしていたのだ。美琴の知る一方通行は、知人に殴られて頬を腫らしてはいたが、あんな後遺症を遺す大怪我はしていなかった。
「何よ、それ」
最低な計画が中止になってから、一方通行に何かがあったのだ。
あの殺戮を愉快と嗤っていた一方通行に、少年の顔をさせる、何かが。
「何で……何でっ」
もっと早く、一万もの犠牲を生んでしまう前に、
「何でその慈心を、あの子達にも向けてくれなかったのよ!」
固く拳を握った美琴の毛がバチバチと音を立てて逆立ったが、溜められた電圧は放たれる事なく勢いを無くした。逆立っていた髪がしなだれる。
雪明かりを頼りに白い姿を視線で探したが、自身が作り出した雪煙と降りしきる白に、美琴は揺れる歪な傘すら見つけられなかった。
足を引きずる音が、耳に残っていた。











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