愛のカタチ

□雨の中で抱きしめて
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恋なんていつ落ちるなんて分からない


ずっと一緒にいるからとか


その人の事を知っているとか


そんな事なんて関係なくて


ほんの一瞬、視界の隅に入っただけの人に


名前も知らない、話した事も無い人に心を奪われる事もある


その人に近づきたくて、みっともない事をしたり


その人の視界に入れただけで、幸せを感じて


でも、もっと近づきたくて


もっと貴方を知りたくて


もっと僕を知って欲しくて


格好悪いって分かっていても、頑張ってみたりして


気持ちを伝えたいんだけど、それすらも怖い


そんな、子供じみたような大人の恋


僕は今まで、そんな恋をした事が無くて


自分で言うのも何だけど、昔からよくモテた


自分から求めなくても、相手から近づいて来てくれて


自分から知りたいとか、近づきたいなんて思った事は無かった


だからだと思う、執着もしなかった


離れて行こうが近づいて来ようが、そんな事はどうでもよくて


好き?って聞かれたら、好きって答えるし


もう私の事好きじゃないの?って聞かれたら、そう見えるんならそうかもねって答える


怒る女もいれば、泣き出す女もいて


もうそうなると、途端に面倒くさくなる


たかが恋愛に、何をそんなにマジになってるの?


泣いたからって何が変わるの?


そんな事を考える、冷静で冷たい僕がいた


多分僕は一生、恋に焦がれる事なんて無くて


誰かに心を奪われる事なんて無いんだなって思っていた


そう、貴方と出会う前は…


この僕が一目惚れをして、心を奪われて


恋で涙するなんて思わなかった









たわいない話しをしながら公園を歩く


この公園を突っ切った方が会社まで近いので、ランチの行き帰りに同僚達とよく通っていた


今日もいつも通り、同僚達と話しながら歩いていると


ふと、大きなスケッチブックを持って、絵を描いている人が目に入った


真剣な眼差しでスケッチブックを見つめて


鉛筆を持つ綺麗な手が、サラサラと動く


男の人なのに、その真剣な眼差しと凛とした姿が綺麗だって思った


そう思った途端に、何だか身体が熱くなって……彼から、目が離せなくなって


この気持ちは何?


この胸の高鳴りと高揚感は…


彼を見つめながら、ゆっくりと歩く


「二宮さん、今日のランチ美味しいかったですね」



「そうですね…」


「腹一杯だと、午後から眠くなるよな」


「そうですね」


同僚達の言葉に、適当に返事を返す


「そう言えば二宮って、午後から会議じゃなかった?」


煩いな……少し、黙ってろよ


「今日の会議って確か…」


あっ、笑った


ふわっと……まるで花咲くように笑った彼


さっきまでの真剣な眼差しを優しく細めて


凛とした雰囲気を一緒で、柔らかな雰囲気に変えて


彼は笑った


その笑顔を見たら、身体に電流が流れるようにゾクゾクとした甘い痺れが駆け抜けた


もう、僕の足は歩みを止めていて


瞳は彼にくぎ付けだけだった


人間って、こんな一瞬で恋に落ちちゃうんだ


どんな奴なのか、何をしている奴なのか


まだ何も知らないのに、僕は一目惚れをした


それに、相手は男だぞ(笑)


思わず笑っちゃう位、今までの僕の人生では考えられない出来事だった


「二宮さん、どうしたんですか?」


立ち止まった僕に、同僚の女の子が声をかける


でも、今はそんな事はどうでもよくて


「すいません、先に行ってて下さい」


「えっ?」


「直ぐに行きますから…」


僕の視線は彼に注がれたまま


彼が笑ったのは、スケッチブックに小鳥が止まったから


彼の近寄りがたい静寂な世界に、小さな黄色の小鳥が迷い込んだ


彼はその小鳥を咎める事をしないで、優しく包み込むように微笑んだ


「二宮なんかほっといて、行くぞ」


同僚の男達がそう言って歩き出す


まだ、立ち止まったままの女の子達が


「二宮さん、行きましょうよ」


「急いで戻った方がいいですよ?雨が降りそうですし」


確かに直ぐにでも、
雨が降り出しそうな空


でも、今はそんな事はどうでもよくて


頭の片隅で、雨の中で微笑む彼は綺麗なんだろうなとか


濡れた彼は色っぽいんだろうなとか、考えていた


「二宮さん、一緒に…」


グイッと女の子が僕の腕を掴んだから


「大丈夫ですから…先に……ねっ」


女の子達を見つめて、ふんわり笑う


優しくて甘い、極上の笑顔


もうぶっちゃけ、貴女達と話すの面倒くさいんですよ


女の子を黙らせるには、僕がいつも使う手


でも、僕が得意なこの笑顔よりも


あの彼の笑顔の方が何倍も、何十倍も優しくて甘い


「えっと…先に行ってますね」



「すいませんね」


駄目押しにもう一度微笑むと


真っ赤になった女の子達は、バタバタと先を歩く同僚の男達に元へ走って行った


視線を彼に戻すと、彼の足元に擦り寄るように小さな黒猫が一匹


猫が来たからなのか、さっきの小鳥は何処に行っていて


彼は擦り寄る黒猫の頭を優しく撫でる


彼の手をペロペロと舐め出した黒猫に、彼の顔は更に綻んだ


あの、黒猫になりたい


遠慮なく彼に近づいて、彼に甘える黒猫になりたい


そんな馬鹿げた事を考えた


彼はそっと黒猫を抱き上げると、優しく微笑みながらほお擦りをした


そんな彼の頬を黒猫はペロペロと舐めると


彼はクスクスと擽ったそうに笑った


座っていたベンチから下りると、彼は黒猫を抱き抱えたまま芝生にねっころがった


彼の回りを歩く黒猫と、ゴロゴロと転がりながら追いかける彼


まるで二匹の猫がじゃれ合うみたいなその姿に、時を忘れて見惚れていた


どれ位の時間がたったのだろう


ポツ、ポツと、雨の雫が僕の頬を濡らした


彼のお腹の上からポンって飛び下りた黒猫は


彼の方に振り向くと、ニャ〜と小さく一度鳴いて何処に消えて行った


起き上がって、バイバイって小さく手を振ると


彼はスケッチブックを持って駆け出した


「あっ!待って…」


思わず声をかけたけど、走り出した彼の耳には届かない


ポツポツと増えていく雨の雫の中、時計を確認すると


「やばっ、会議」


慌て駆け出そうとして、もう一度足を止て振り向いた


「また、会えますよね…」


彼の消えて行った方を見て呟く


声をかけるのも忘れる位に、僕は彼に瞳も心も奪われた


たった一度


ほんの一瞬


視界に入った彼に僕は、瞳も心も奪われて夢中になった


彼の視界に入りたい


あの小さな黒猫のように、そっと彼に近づいて彼に触れたい


あの笑顔を僕に向けて欲しい


あの人はどんな声なんだろう


あの人の匂いは?


温もりは?


本格的に降り出し雨の中、僕はそんな事を考えながら会社までを急いだ
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