春はいい。
と棒は思う。
白く美しい雪がとけ訪れる春。
桜が一斉に咲きそして散ってゆく様。
あの日もこうして桜は散っていた。

『涙のように桜は散って』




それはまだ棒が心や用と出会ってないころの話である。

河川敷の桜街道は美事に桜が咲き誇り、人々の目を楽しませている。
その一本に女が寄り添っているのを棒は見つけた。
透き通るように美しい女に声をかける。

―――あなた私が見えるの?

第一声、彼女はそう言った。
奇怪な女人だ。
見えるから話しかけているというのに。

「見えるが…何か不都合でも?」
―――いいえ。だた私は世間で言うところの幽霊ってやつだから。

時が止まった。
目の前の女人の大胆な告白に棒は目を丸くした。
その様子に幽霊は悲しみの顔を向ける。

―――やっぱりあなたも同じ。私が怖いの…
「なんと!それは誠か!?なぜそれを早く言わぬか?」
―――ええ、驚かせてごめんなさい。もう出てこないわ。
「やはり本物はいたのだ!拙者の考えは正しいのだ!」
―――はい…?

今度は幽霊の方が目を丸くする番だった。
全く会話がかみ合っていないことに気付いたのだ。

―――怖くないの?
「怖いものか!拙者幽霊あの世UFOなど、あらゆる不思議な出来事を信じている」
―――そ…そぉ?
「ところでお主、名は?なぜここに?」

全く動じずむしろ嬉々として名を尋ねてくるものなど彼女の知る限りいなかった。
ましてや気圧されるなど。
まぁいい。それならそれで話は早いと幽霊は思った。

―――私は香(こう)。ある人を待っているの。



彼女が待ってるのは旦那。
ある日を境にぷっつりといなくなってしまった旦那を健気にもずっと待っているらしい。

―――きっと何かあったんだわ。だから連絡できずそのまま…。

そうして待ち続けていたが食べていけず栄養失調になり彼女は死んでしまった。

―――一目だけでいいの、会いたい。それが叶ったら私は成仏するわ。
「しかしそれではここにくるかどうか分からんのではないか?」

棒のもっともな疑問に

―――お花見をしようと約束していたの。

お香ははにかんでそう言う。
棒にはそれ以上何も言えなかった。
心底信じている女人に、もう会えないだろうから成仏したほうがいいと言えるだろうか。
棒には否である。
こんな健気な幽霊の願いを叶えてやることは出来るだろうか。



別の晩、棒はお香に会いに行った。
桜が散り始めている。
ひらひらと舞い散る桜がなんとも美しい。
その下にいる幽霊というのものも格別に美しい。
お香はすぐに棒に気付いた。

―――きっともうすぐよ、泰之丞さま。あの人が会いに来てくれる。
「なぜ分かる?」
―――会えたらなんて言おうかしら。もうご飯作ってあげられないけどちゃんと食べているかしら。

お香は棒の質問に答えなかった。
少しずつ壊れてきている。
棒はそう感じていた。
突然お香がはしゃぐような声を上げた。

―――あぁ、あの人だわ。やっぱり会いに来てくれた。

お香はすぅっと滑るように移動した。
なんと、そんな都合のよい話があろうか。
やはり旦那も約束を覚えていてそれを守ろうとしているのだろうか。
棒もそのあとをそっと追いかける。
彼女が見る先には愛おしい旦那がいる。
ずっとずっと死んでも待ち続けた相手だ。
だが相手には全く見えてない。

―――あなた、私が見えないの?どうして?私に会いたかったんじゃないの?

お香の悲しそうな声が棒に聞こえてきた。
そのうち男は棒に気付く。
目が合ったからだろう。
目礼をしてきた。
身分の高い武士に対する礼儀だ。
棒は話しかけてみた。

「今宵は桜がきれいだな」

話しかけられるとは思わなかったのだろう。
驚いた顔をしたがへつらうような笑みを浮かべ言ってきた。

「いやあ不気味な夜ですよ。なんでここに来ちまったのか、さっぱりわからねぇ」
「ほう。ここに来るつもりはなかったと?」
「へい。ここは…ここは別れた女房と約束した場所で二度と来るまいと思っていやした」

棒は目を細めた。
食い違っている。
この男とお香の話は。

―――そんな…

お香の声が聞こえる。
悲しそうに震える声だ。

―――そんな…だってまた一緒にお花見しようねって約束したのに。

これ以上お香にこの男の話しは聞かせないほうがいいのではないかと思ったが、男は堰を切ったように話し始める。
恐怖のあまりしゃべらずには居れないといった有様だ。
何に怯えているのか。お香にか。

「あっしはあいつを捨てたんでさ、だってあっしには…」

―――あぁあ!恨めしい恨めしい恨めしい!!

突然お香は叫ぶ。
女のすさまじい怨念が一気に噴出した。

―――私は生きてるときあんなにも尽くしたのに!私を捨てるなんて…!!!

泣きながら旦那に近づく。
(憑依するつもりか!?)
棒は後悔した。
旦那に話しかけるのではなかった。
美しく悲しく儚い彼女にこんな思いをさせるつもりはなかったのに。

「うわぁぁああ!」

死んだはずの妻に男は怯え逃げ出した。
どうして突然見えるようになったのだろう。
棒には不思議だったがそんなことを考えているヒマはない。

「た、助けてくれ!殺される!!」
―――あんたが私を殺した…!!!
「やめよ、お香!この男をとり殺しても何にもならぬ」
―――恨めしや恨めしや…。

もう棒の声はお香に聞こえない。
恨めしいその感情だけが彼女を支配し突き動かす。
あっという間に男は壁際に追い詰められた。
棒に背を向けている女がその恨みを晴らすため男に取り憑こうとした瞬間、彼は刀を抜きお香を斬っていた。
効果があるとは思えなかったが、お香は悲鳴を上げる。

―――泰之丞さま…

お香は正気に戻った。
が、その体はどんどん密度を失い今にも消えそうだ。

「すまぬ。お主を止めるにはこれしか…」
―――ありがとう…ございます。怨みによって人を殺めれば私は極楽へは参れません。これで…

桜がはらはらと散ってゆく。

「すまぬ…」

という棒の声に

「すまねぇ…」

という元旦那の声が重なる。

「俺には賭博で作った借金があったんだ。あのままいくとお前を巻き込むと思って逃げたんだ。だから別れた。
まさかずっと待っているなんて…」

男は泣いていた。
女も泣いていた。

桜がひらひら。
優しく二人を癒すように。
ひらひら、ひらひら、ひらひら。
棒は夫婦と一緒に泣いている桜を右手に受け止めた。



はっと棒は目覚めた。
夜が明け朝になっている。
場所も桜の下ではなく滞在している宿屋だ。
夢だったとでもいうのか。
いつの間にか握っていた拳をゆっくり開くと、桜の花びらが一枚名残を惜しむかのように乗っていた。








あとがき
ゆ、夢オチすみません。
夢オチじゃないと絶対棒が心や用に自慢すると思ったので。
どう考えても本物に会えないからこそおもしろいのに。
あえて反則に挑戦してしまいました。
お楽しみいただけたら幸いです。

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